の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

角上社 / 角上神社

2013年10月26日 18時02分25秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■境内■
(16th June 2011)

 

★角上社★ 長崎県壱岐市石田町湯岳射手吉触トカミ山

・延喜式内社、壹岐嶋壹岐郡、角上社。

・舊社格は無格社。

・祭は素盞嗚尊。仁天皇、仲哀天皇、功皇后、應天皇を配祀。

・延寶四年(1676)六月の橘三喜による延喜式内社の調査に際し、壹岐郡角上社をここに査定し、藩主松浦鎭信が木鏡と石保古良を献納した。

・延寶の式内社査定の時には、社がなかったという。


■境内への道■
(16th June 2011)
 


■鳥居■
(16th June 2011)
 


■本殿■
(16th June 2011)



((コメント))

2011年6月16日

 角上山山頂近くに鎭座する角上社。雨天で、境内までの道には霧があり、よい雰圍氣であった。ただ、おそらく、ここは式内社の角上社ではないだろう。日本語、中國語に關して、漢字はその時が意味を持っており、非常に重要なものであるが、古代日本のことに關しては、その讀みの音のほうが重要なのである。何ゆえの「ツノカミ」か、と言うことである。漢字が同じであっても、それが同じとはいえないのである。

 「角上」は「トカミ」と呼ぶそうであり、山も「トカミヤマ」と呼ぶそうである。壹岐では河川の渡し場を「ト」と呼ぶようであり、すなわち、「トカミ」は「トの」、つまり、渡しのという解釋である。これは、式内社與社の論社である深江社、舊稱「トノミヤ」にも通じるわけである。ところで、『延喜式』名帳の角上社に關しては、仮名がふられており、「ツノカミ」とある。これは、「津の」と考えることもでき、そうなれば、「トの」と同じと考えてもよいと思われるかもしれないが、讀みがつけられていると言うことが重要なのであり、「ツノカミ」は「トカミ」にはなりえない。「トカミ」に關しては、近くにもう一社、覩上社もあるが、むしろ、角上山を體とする與社の論社と考えるほうが自然なように思わざるを得ない。果たして、壹岐郡と石田郡の嚴密な境界がわからないので、どうともいえないが、津の上山にある津社が正直、津社ではなく、角上社としか思えない。


最新の画像もっと見る

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。