の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

興社

2012年11月03日 09時45分37秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■拜殿■
(16th June 2011)
 


★興社★ 長崎県壱岐市芦辺町湯岳興触676

・延喜式内社、壹岐嶋石田郡、天手長男社、名大、論社。

・延喜式内社、壹岐嶋石田郡、與社、論社。

・舊社格は村社。

・祭は足仲彥尊、息長足姫尊。應天皇、仁天皇、天手力男命、八意思兼、住吉大を配祀。

・「興=こう」は「國府=こふ」のことを示し、壹岐の最初の國府があったところであると考えられており、當社の永祿九年(1566)の棟札に「湯嶽村印鑰大明」とあり、『壹岐社誌』には「當社は古來一之宮印鑰大明と稱し、當年例祭順位の首位にあり、且民七社順拜の筆頭に算せられ給ふ」とあり、當社が一之宮であることを示す。印鑰とは、官庁の印と官庫の鍵のことである。


■一之鳥居■
(16th June 2011)



■參道■
(16th June 2011)
 


■二之鳥居■
(16th June 2011)
 


■拜殿■
(16th June 2011)
 


■本殿■
(16th June 2011)




■末社■
(16th June 2011)
 


((コメント))

2011年6月16日

 おそらく、眞の壹岐國一之宮天手長男社と思われる興社。角上山を下ったところに鎭座している。遺跡は出ていないらしいが、色色な古文書より、この地に國府があったとされ、一之宮印鑰大明と呼ばれ、壹岐の七社の筆頭でもあることより、おそらく、違いはないであろう。ただ、一之宮であろうことはほぼ、確かであろうとは思うが、海社で感じたような氣は感じられなかった。祭祀對象が何であるのか、により感じるものは変わるのであるが、眞の體はなんであろうか、氣になるものである。

 壹岐市の北部、勝本町本宮に式内社の手長比賣社があり、その西方向の海上に手長島があり、一之宮の天手長男社、さらに天手長比賣社と「手長」の名がいくつか見られ、「手長」のが重要視されたことがわかるが、このの性質に興味がある。明らかに、今まで訪れてきた社と壹岐の社には、根本的な祭祀の起こりが異なるように思わざるを得ない。この、天手長男、および、天手長比賣とは何者であるのか、非常に興味深く、いつか、調べてみたく思う。

海社

2012年11月03日 09時28分10秒 | 九州(福岡、佐賀、長崎、大分)
■鳥居■
(16th June 2011)



★海社★ 長崎県壱岐市石田町筒城西触323

・延喜式内社、壹岐嶋石田郡、海社、大。

・舊社格は無格社。

・祭は豐玉彥命。

・創祀年代不詳。

・延寶四年(1676)の橘三喜の式内社査定による式内大社海社比定以前の由緒は不詳。

・橘三喜が「カミジヤマ」という山名を「海山」と合點した爲、式内大社海社に比定されたという。
 

■燈籠、參道入り口■
(16th June 2011)
 


■拜殿■
(16th June 2011)





■本殿■
(16th June 2011)
 


■末社小祠■
(16th June 2011)





■社叢■
(16th June 2011)



((コメント))

2011年6月16日

 雨が少し小降りであったので、傘を持たずに行くと雨が少し強くなってきた。少し、境内への入り口がわかりにくいところではあったが、呼ばれるように感じ、境内へ導かれた。境内に關して言うと、先住民族の海人族が山に祀る水、龍に非常に似ている氣を漂わせており、背筋に冷やりとするものを感じ、畏怖を強く感じるところであった。式内社としては、筒城に近い白沙八幡社が有力であるらしく、『壹岐國社考』においても、當社地には大社が建っていた事は考えられないと言うことで、白沙八幡社を有力視しているようである。が、實際、強引とはいえ橘三喜の「かみじやま」の推測も捨てがたく思う。白沙八幡社の社殿の向きも踏まえ、遙拜所と奥宮という關係が適當な氣がしてならない。その上、この境内の氣は、山地に祀られる祭祀蹟や禁足地とされた地と非常に似ていることもあり、白沙八幡社の禁足地とされる社叢が本來は今よりも廣く、ここに到っていたのではないか、と思わざるを得ない。