怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

8月9日    海難審判

2012-08-09 08:33:48 | 事故後の動き
毎週続く8/4のいつもの弔問時、小プロの役員も同席し、8/30の海難審判の説明を受けた
聴き慣れない言葉だが、海の事故の裁判らしい。その裁判が、民事にも刑事にも、影響していくらしい。

事故から26ヶ月近く経とうとしているが、まだ娘の命に対する責任は出ていない

これでまだ海難審判を仰がねばならない。一体いつまで時間がかかるのか?

               前に踏み出せない私達


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海難審判には、C艇、D艇の先生にも証言してもらうという。

思わず「山川先生もですか?」 の私の質問に、「(辞職した)K先生にお願いしています。」との答えに、少しほっとした。


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            <現場にいた先生方に教えて頂きたい事とその回答>


2010年12月25日10:00~13:00
メンバー:合川校長/M教頭/K教務主任/山川校務主任/T 1学年主任・A組担任  /K 1年A組担任/S 1年B組担任/A 1年C組担任/N養護教諭

Q29.花菜が死亡した一番の理由は何だと思いますか。

A29.
(K教務主任)予測可能な事を充分に、手を尽くしたかどうか。実施を決定した事が一番、最も悲しい結果にさせてしまった。今後もいいことも悪いことも 子供達につつみ隠さず共有していけたらと思う。
(山川)一番の理由はやっぱり曳航にあったと思う。今後花菜さんがどう進んでいけたかをお家の方に伝えていきたい。
(T)いろいろあってこれがとは言えない。私が出来た事は、出航判断の時に「もう一度考えようよ」とその一言が言えなかったこと。
(K)曳航の事もあると思うが、曳航後の対応が自分としてももめられるものでなかったので、いろんな面で考えが甘かったと思う。自分のできる事をやっていきたい。それが花菜さんとかご両親の為になる事をしたい。
(S)訓練の実施をとめられなかった事。自分の中にある人任せの部分があった。自分の意志を持ってやっていかなければいけないと思った。その認識の甘さが重なって今回の事故につながった。子供達を守る自覚がたりなかった。ここへ子供達が来た時にできるならば愚痴を言って欲しくないなとの思いがある。学校が楽しいと思えるようにしたい。
(A)一番の理由は答えることができない。ただ自分にできる事は、もっとあっただろうし、自分の甘さが関わっている事はすごく認識している。花菜ちゃんの事は絶対忘れない。
(N養護教諭)一番の理由は難しいが、自分がちょっと違うことやったらこんな結果にはならなかったと思う。陸で待機していて山川先生が帰って来た時に「花菜とまりながいない」といろんな人に伝えたのになんで事になったのか、自分の中で消化できない。自分もそこから進めないでいる。
(M教頭)予想の甘さというのか、雨が降っていたかで雨天決行という事だったが、部活でも雨の中大会をやったりする。なんかそこに鈍感さがあっていろんな面で
予測の甘さ、鈍感さがあったなと反省している。ご両親には精神誠意尽くして関係を崩さないでやっていきたいと思う。


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生徒を守れなかった自分達の責任を考える引率教諭達。

その中で山川先生だけが、えい航した施設側の責任を強く述べている。 自分は被害者だと

娘への謝罪の気持ちがない のはこの時もあきらかだった


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第2回の海難審判は、9/26。

                   偶然にも、娘の15歳の誕生日だった・・