怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

8月26日  教育現場への不信感

2012-08-26 07:48:09 | 事故後の動き
昨日から名古屋で開かれている「第三者委員会」のシンポジウムに招かれ、うちの事故の事例報告のため、今朝早くから主人は出掛けて行った。

            うちの事例が何かの役にたてばと、娘の石(遺骨)をしのばせて。

2日前の「弁論準備手続き」の合間をぬって、レジュメをせっせとまとめていた主人。

花菜ちゃん、全国の学校事故・事件で子どもを亡くした親御さん同様に、お父さんも頑張っているよ。


                     「学校事故・事件を語る会」事例報告レジュメ
                                                  2012年8月26日
                                                  報告者:遺族代表 西野 友章

                         ~豊橋市立章南中学校浜名湖カッターボート転覆事故~
発生年月日:2010年6月18日
発生場所:静岡県浜松市浜名湖
■事故概略                         
豊橋市立章南中学校1年生の野外活動で、えい航中のカッターボートが転覆し、私の娘、  西野花菜(当時12才)が亡くなりました。
これは自然体験学習において、学校が正課の授業として企画し、生徒が力を合わせてカッターボートを漕ぐことで規律・忍耐・協力の精神を培うことを目的に行われました。
カッター訓練は、専門施設である静岡県の指定管理者として三ケ日青年の家が実施しました。引率先生は校長を含め8名、生徒は96名でした。出港前には、大雨、雷、強風、波浪、洪水の各注意報が出ており、荒天の中、3か月前までは小学生だった子どもと経験のない先生だけのカッターボートは湖に出て行きました。生徒は初めてオールを握りました。校長と養護教諭はハーバーで見送っていました。出港時点での雨量は1時間に24mm(国交省調査書より)で、これは土砂降り(気象庁)の状態です。出港から20分後には、私の娘が乗っていたC艇は、船酔いにより漕ぐことができなくなりました。そして、レスキュー艇で曳航途中に転覆し、先生2名と生徒18名は全員が落水し、湖面に投げ出されてしまいました。先生方は先に陸に救助されています。
転覆から2時間半後にボート内で私の娘は心拍停止状態で発見され、搬送先の病院で死亡が確認されました。この転覆事故は、リアルタイムで全国に放映され、各新聞に大きく報道されました


■事故関係者の行動
静岡県と三ケ日青年の家を運営している小学館集英社プロダクションは、いち早く責任を認め謝罪し、事故原因と再発防止に取り組む姿勢を見せ、私たち遺族に対しても誠心誠意の対応を見せて頂きました。しかし、豊橋市は、事故当初から、静岡で起きた事故とし、むしろ我々も被害者なのだと言わんばかりの受け止め方でした。
事故当時の新聞に市幹部のコメントとして「この事故は修学旅行中、列車事故にあったものだ」との記事がありました。この考えが、事故の真因だと感じました。市長を含め教育委員会全体がこの感覚でこどものいのちを預かっているのであれば、改めさせないといけないと強く感じました。


■私たち遺族の活動
事故から4か月経っても何の説明もしない豊橋市に対して強い怒りと不安を覚えました。
「なんの落ち度のない娘が、なぜ死ななければならなかったのか。どうしてもその理由が知りたい。」との思いで、2010年10月12日、市長に事故原因の事実関係を調査するように要望書を提出しました。
以下は、その当時要望書に私たちの思いを書いて市長に渡したものです。
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今年6月17日の朝、「行ってきます」と言って、章南中学校に行った私たちの娘、花菜は、翌18日に 二度と帰れなくなりました。あれから4ヶ月近く経過した今でも私たちは、娘が亡くなった現実を受け入れることができずにいます。どうしてなんの落ち度もない娘が、学校教育の場でいのちをなくしてしまったのか、悲しくて悔しい気持ちでいっぱいです。
今、私たちに何ができるのか、何をしなければならないのかを考えた時、12歳の若い尊い命がなぜ失われることになってしまったのか、その原因を明らかにして、このような悲しい出来事を二度と繰り返さないようにすることだと考えました。また、こどものいのちを預かる学校教育の責任は、非常に重い事を再認識してもらうために、力を尽くすことだと思いました。豊橋市におかれましては、今教育の現場でどんなことが行なわれているのか、どこに問題があったのかについて徹底的に調査をしていただき、豊橋市の学校教育が安全で安心なものになるよう対策を講じていただくことを切望します。
4か月近くたった今も、事故の原因も花菜が亡くなった事の真相も何も知らされておりません。しかも未だ、具体的な対策が講じられていないと聞きます。1日も早く生徒たちが学校に信頼を置き、将来に向かって勉強に励み、また健やかに中学生活を送ることができるよう、親が、自分の命より大事なこどもを安心して学校に預ける事ができるよう、次の事項を強く請願します。皆様の温かいお力をお貸しください。
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 失意の中にいる遺族が要望書を提出しないと、まったく動かない豊橋市に対して強い憤りを覚えました。これは事故から4か月経った時の私たちの思いですが、今ではさらに市に対して、教育委員会に対して、学校に対して不信感は強まっています。要望書提出から1か月後に、市議会に対し、17,000人以上の署名を添付し原因究明と再発防止を求め請願書を提出しました。しかし市議会からは、「趣旨採択」というグレーな結果でした。また市長からは、「この事故は静岡の問題、静岡県警に協力する」の立場を堅持するに止まり、自分の市のこどもが学校教育の場で亡くなったにも係らず、市長は主体性のないままでした。
私の娘は豊橋市立の学校に通い、正課の授業中に先生の言われた通りにして、いのちを落としてしまったのに、そこの首長とそれをチェックする議会の対応に大きく失望しました。それでも私たちは、娘の死を無駄にしたくないとの一心で、4回にわたり、市教育委員会に、この時、この場面で、誰が、何をしたのかの質問状を送って、回答のやり取りをしてきました。その中でやはり、市教委は、「私たちは、静岡から不良商品を買わされた」、「やるべきことを怠ったためにこの事故を招いたのではない」との考えが基準となったままでした。
市長、教育委員会、市議会と接する中で、私が感じたことは、『静岡の言う通りにしたらこの事故が起きてしまった。死亡に至った事故責任は静岡側にある。よって、豊橋側としては静岡がどんな対策を打つのか様子を見ている。警察も静岡中心に捜査しているし、今回の事故について積極的に動かない方が賢い』そんな雰囲気が伝わってきました。
市教委が作った、安全マニュアルも「今後配慮すべき事項」という切口で、この事故の反省に立ったものではありませんでした。
■私たち遺族の思い
この事故は、学校が企画した正課の授業中に発生しました。生徒のいのちを守れなかったのは学校です。ましてや事故当日雨も激しく降り出して、これから天気が悪くなることは容易に判断できる中、中学になったばかりの子どもと、ほとんど経験のない先生だけで、船を出して湖面に出るということは、専門家でなくても危険を想定するのにそんなに難しいことではないはずです。そんな状況で招いた結果に対して専門家が「何も教えてくれなかった」、「大丈夫だと言った」からなにもできなかったのではあまりにも情けないです。学校は教育の一内容としてカッター訓練を選んでいます。私たち遺族からすれば豊橋に預けた娘を豊橋が返せなかったのだから、豊橋が責任を感じ謝罪し償うのは当たり前です。
再発防止の観点からも、この事故は、3者がそれぞれやるべきことを怠ったために起こってしまいました。カッター訓練を運営していたのは小プロ、それを監視する立場にあったのは静岡県、その現場に生徒を連れて行ったのは豊橋市。いのちを救えなかった責任は、小プロ、静岡、豊橋とそれぞれにあると考えます。それぞれの危機管理意識の希薄さが招いたものです。あの出港時の荒天の状況から、現場にいた引率責任者の校長は、容易に危険を判断できるはずです。「今日は荒れているので止める」と一言いえば、娘は亡くなることはありませんでした。なぜ言えなかったのか、引率教諭はだれも校長に進言できませんでした。そこに対して策を講じなければまた同じことが起きると感じています。
私たちの市長は、「教育委員会がやったことだろ、そもそもあれは静岡が悪いんじゃないのか」その思考のままです。市長は市民の安全を図る義務があります。市教委は学校を指揮監督する立場です。引率先生はこどものいのちを預かっています。
今年3月に改めて遺族の思いを市長に伝え、謝罪申し入れをしましたが、全く考えは変わっていませんでした。最終的には、豊橋市の責任を明確にするために、司法判断に委ねざるを得ませんでした。
以下は裁判所で私たち遺族の意見陳述として裁判官に託した思いです。



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あの日元気に「行ってきます」と言って、章南中学校に行った私たちのひとり娘、花菜は、二度と帰れなくなりました。あの日以来、生きる希望を失くしながらも、多くの方々の支えを頂き、家内と二人、前を向こうとしている日々が続いています。しかし残念ながら、落ち度のないいのちが亡くなったことに対して、そのいのちを預かった豊橋市からは、明確な謝罪を未だに頂いていないことが、今でも私たちにとって大きな辛さとなっています。
私たちは一昨年秋に、娘がなぜ死んだのか、その原因を知りたく、豊橋市議会にその原因究明を求め請願書を提出しました。また、豊橋市教育委員会に対しても、事故の事実関係について質問をさせていただきました。しかしいずれも満足のいく回答は得られませんでした。このままでは、豊橋市は、娘の死について何も責任を感じないまま、忘れてしまうのではないかと、強い不安を感じました。そこで、今年3月に、豊橋市の責任を明確にするため、学校設置者の豊橋市長に謝罪を申し入れましたが、ここでも明確な回答を得ることはできませんでした。
私たちは、今強く感じています。
落ち度のないいのちが亡くなったことに、豊橋市はもっと真剣に考えて欲しいと。
私の娘は先生の言われたとおりにした結果、亡くなってしまいました。授業の一部を専門家に委託しても、あくまでも教育の主体は学校にあると考えます。当然学校が子どものいのちを率先して守らなければならないはずです。しかし豊橋市はそのことについて、曖昧のままにしています。
これから多くの方がこの豊橋市に子どもを預けなければならない中、今の豊橋市の姿勢のままでは、安心して子どもを預けることができないと強く感じています。学校が企画した正課の授業で、生徒のいのちを守るのは学校であるという当たり前のことを豊橋市に認識させ、このような悲しい事故が二度と起きないように努力し続けてもらうことこそが、娘の望んでいることと信じています。 この裁判はそんな思いから提訴させて頂きました。
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■今後について
民事裁判は、結果は賠償金です。
その理由を明確にしないと、私たちが思っている再発防止は望めません。
事故関係者のやるべきことは、何があったかの事実関係を明らかにし、誰が何をすべきだったか、場面ごとに反省と責任を感じて、二度と起こさないためにはどうすればいいのか対策を立て、継続的に実行する。これらをすべて公開で進める。遺族に対しては、いのちの重さを肝に銘じ、誠心誠意謝罪を繰り返し、与えてしまった被害は迅速に償い、風化防止に努力し続ける。私たちはそれに向かって取り組んでいるところです。
刑事的には静岡県警が、関係者の業務上過失致死の容疑で調査中です。
国交省も事故調査委員会とは別に、今月30日に横浜で海難審判が開始されます。
民事裁判は、先日弁論準備手続きが行われたところです。
9月13日には、豊橋市において、市民報告会として、現状を市民に訴えかけます。
■私たち遺族の主な活動
   1.ボート転覆事故        2010.6.18
   2.豊橋市に事実解明の要望書提出  2010.10.12
   3.署名活動           2010.11.7
   4.豊橋市議会に請願書提出    2010.11.29
   5.文庫寄贈(章南中)       2010.12.18
   6.菜の花キャンドル(三ケ日) 2010.12.23
   7.市議会趣旨採択      2010.12.24
   8.命の日コンサート(章南中) 2011.6.18
   9.像除幕式(三ケ日)     2011.6.26
   10.国交省事故調査報告発表  2012.1.27
   11.市長へ謝罪申し入れ書提出  2012.3.16
   12.提訴表明 記者会見      2012.4.17
   13.名古屋地方裁判所豊橋支部に提訴 2012.5.1
   14.第一回口頭弁論         2012.7.4

▲ 是非皆様のご意見、ご教示、よろしくお願いいたします。