はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

中山道を歩く(今須から関ヶ原)

2018-03-10 18:21:55 | 街道歩き
中山道を歩いています。
柏原宿から一里ほど歩いて、今須宿にやってきました。街道沿にあるお店のシャッターには歌川広重の版画「木曽街道六十九次今須宿」が描かれていました。


今須の一里塚です。国道が造られた時に撤去された一里塚を本来の位置より東側に復元したものらしいです。


一里塚の後ろには今須宿が見えます。ここから今須峠を上って行きます。いちおう難所と言うことですが、それほどでもありませんでした。


東海道線はトンネルで峠を越えます。名神高速も今須トンネルで越えています。


峠を越えて下りて来ると、集落が見えてきました。懐かしい「金鳥」の看板がありました。


常盤地蔵がありました。常盤御前と言うのは、あの源義経のお母様のことです。


案内板には常盤地蔵の説明がありました。涙なしには読めませんでした。


山中大師道標の石仏には、「右聖蓮寺道」とありました。


この辺りまで来ると関ヶ原も近いのか、消化設備にも家康と三成の旗印が書かれていました。家康さんの旗印は「厭離穢土欣求浄土」だと思っていたのですが、まあどっちでもいいでしょう。


鶯の滝です。写真には写っていませんが、すぐ真上を新幹線が走っています。


溝のように見えますが、黒血川です。関ヶ原は1600年の関ヶ原の戦いが有名ですが、古代672年におこった壬申の乱でも関ヶ原は合戦の地だったのです。その時の流血で川が黒く染まったのでこの名前が付いたそうです。


壬申の乱とは、天智天皇の後の皇位を争って起こった古代の合戦です。結果は天智天皇の弟の大海人皇子が勝利し、やがて即位して天武天皇となります。壬申の乱は「日本書紀」に詳しく書かれているのですが、「日本書紀」の作成を命じたのが天武天皇なので歴史をどう読むかということでしょう。


この階段を進んでいけば、関ヶ原の戦いで大活躍をした西軍の武将大谷吉継の陣地があります。以前から大谷吉継のファンは多くいたのですが、大河ドラマの影響でしょうか、大谷吉継の陣地やお墓に行くための駐車場もありました。


階段の上から山中間の宿場を見下ろします。その先に見える山が松尾山です。関ヶ原のキーパーソン小早川秀秋が陣を敷いていました。あそこから一気に駆け下りてきたのですか‥。


やがて中山道は国道と交差します。旧街道の曲がり具合がなんとも味があります。


天武天皇は壬申の乱の後、ここに「不破関」を設けました。日本三関の一つです。一番低いところを藤古川が流れています。


関の藤川(藤古川)です。壬申の乱ではこの川をはさんで開戦したと言われています。


古戦場を新幹線が走ります。新幹線なら京から江戸までは2時間20分ですが、当時は2週間ぐらいかかったそうです。


旧道と国道が重なっていますが、国道も旧道につられて微妙にカーブしています。


今回の街道歩きの終着駅の関ヶ原駅に到着しました。柏原から7.4キロの道のりでした。


米原行きの電車がやってきました。帰りももちろん「青春18きっぷ」です。


電車の車窓から伊吹山を写しました。曇ってはいますが頂上も見えていました。


今回は寄り道しませんでしたが、関ヶ原の古戦場巡りは以前レンタサイクルでまわりました。妄想しながらの歴史体験は実に面白かったです。
次の中山道歩きは垂井・赤坂宿をめざしてになります。いつになるかは分かりませんが、また気が向いたら歩こうと思います。

※訪問日 3月7日