今日、おもしろい本を目にした。
新井満さんという方の『自由訳 般若心経』という本。 漢字がひたすら並ぶお経が、すごくわかりやすいストーリー仕立てに、詩的に訳されている。これは、すごい。おもしろい。
たとえば、
色即是空
空即是色
見たことあるような、お経で聞いたことあるようなこのフレーズ。
「色」とは“目に見えるもの、実体のあるもの”らしいが、簡単にいうと、「目に見えるもの、形あるものは流動的で、絶対的ではなく、いずれなくなるもの。、であるからして、また違うものが生まれくる」、ということらしい。(簡単に言いすぎかっ)
たとえば雲はとどまることなく流動的に形を変え、消えてはまた違う雲が形成されていく。そういった宇宙の営みのひとつとして人もあるのであって、今ここに自分が存在するには、父と母があり、さらにその父と母には、父と母がいて、さらにさらに……。というように、そのどれもがつながりながらも、絶対的ではなく、流動的にかわるがわる存在していく…
といった具合に、仏教の思想のエッセンスが、わかりやすくソフトに意訳されている。 これはほんの序章にすぎないが、構成要素は漢字なのに英語よりも難い印象を受けてしまう「般若心経」が、基本的に会話方式なので、肩肘はらずに、構えることなく、くどくない程度に無理なく読めちゃう。(褒めすぎ?)
あたくしはなんの思想にも属しませんが、ひとつの世界観として古くから確立されているものって、やはり説得力があるというか、核心をついているというか、絶対じゃないにしても知っとくといい考え方、というかなんつぅーか、とにかく学ぶべき視点が多いなぁ、と改めて思った。
仏教とか哲学とか、単に生きてるだけよりも宇宙の法則的な動きとか、要素とか、そういったことを少しでも知ってたほうが、なんか深みのある世の中に見えてくる気がするし。
なんてちょっと知的なことを(?)思った今日。
引越し用のダンボールが大量にやってきた。
…これだって一時的なものさ、流動的に、やがてなくなって……
って、こればっかりはあたしがどうにかしなくちゃ箱詰めにもならないし、無くなりもしないじゃんっ!
…当面は、かわいいパンダのいるダンボールとお友だちになるつもり。
新井満さんという方の『自由訳 般若心経』という本。 漢字がひたすら並ぶお経が、すごくわかりやすいストーリー仕立てに、詩的に訳されている。これは、すごい。おもしろい。
たとえば、
色即是空
空即是色
見たことあるような、お経で聞いたことあるようなこのフレーズ。
「色」とは“目に見えるもの、実体のあるもの”らしいが、簡単にいうと、「目に見えるもの、形あるものは流動的で、絶対的ではなく、いずれなくなるもの。、であるからして、また違うものが生まれくる」、ということらしい。(簡単に言いすぎかっ)
たとえば雲はとどまることなく流動的に形を変え、消えてはまた違う雲が形成されていく。そういった宇宙の営みのひとつとして人もあるのであって、今ここに自分が存在するには、父と母があり、さらにその父と母には、父と母がいて、さらにさらに……。というように、そのどれもがつながりながらも、絶対的ではなく、流動的にかわるがわる存在していく…
といった具合に、仏教の思想のエッセンスが、わかりやすくソフトに意訳されている。 これはほんの序章にすぎないが、構成要素は漢字なのに英語よりも難い印象を受けてしまう「般若心経」が、基本的に会話方式なので、肩肘はらずに、構えることなく、くどくない程度に無理なく読めちゃう。(褒めすぎ?)
あたくしはなんの思想にも属しませんが、ひとつの世界観として古くから確立されているものって、やはり説得力があるというか、核心をついているというか、絶対じゃないにしても知っとくといい考え方、というかなんつぅーか、とにかく学ぶべき視点が多いなぁ、と改めて思った。
仏教とか哲学とか、単に生きてるだけよりも宇宙の法則的な動きとか、要素とか、そういったことを少しでも知ってたほうが、なんか深みのある世の中に見えてくる気がするし。
なんてちょっと知的なことを(?)思った今日。
引越し用のダンボールが大量にやってきた。
…これだって一時的なものさ、流動的に、やがてなくなって……
って、こればっかりはあたしがどうにかしなくちゃ箱詰めにもならないし、無くなりもしないじゃんっ!
…当面は、かわいいパンダのいるダンボールとお友だちになるつもり。