ミスチルの期間限定公開映画、週末に見て来ました。
単刀直入、すごかった…、ライブよりある意味ライブ。映画であんな風に音楽を楽しめるとは。
今回の映画、「Mr.Children Split The Difference」は、2月中旬の最初の打ち合わせから、4月24、26日におこなったシークレットライブまでを密着したドキュメンタリー。2日間のシークレットライブは、440人収容のとても規模の小さいもの。そういえばうちにも招待状来たけど抽選で外れて涙をのんだんだった、一体どんだけの倍率だったんだ?! まだ当時、何が起こっているのかさっぱりこちら側にはわからなかったけれども、届いたその招待状にも、こんなことが書いてあった・・
「目的」とか「理由」とか深く考えるのやめて
「ボランティア」とか「ドネーション」とか
人の善意とも無関係
演奏したい人がいて それを聴きたい人がいて
ただただ楽しい時間の為に音楽が存在する
そんな音楽の「あたりまえ」を一緒に。。
いかがでしょう?
そんなコンセプトのもと、どのような形で見せていくのがいいか、そして音楽のアレンジができあがっていくさまが今回の映画では見られる。
印象的だったシーンは、桜井さんがギター片手に「ここはバックにピアノでこう…」とイメージを口ずさむ、するとそれをすぐさま音に実現していく小林武。また別の曲を作り上げてく過程では、コバタケが「ここからはドラムがダッダッタタっ、バーン、みたいな感じで入って…」というとそれをすぐに汲み取って忠実に再現してみるジェーン。それがあまりに完璧すぎて、プロの仕事、もはやあ・うんのチームプレイを見た。
そして実際のライブでの演奏が後に続くと、もうそうでしかあり得ない、でも今まで聞き慣れた曲がまた別の魅力をもって流れ、うっとり聞き惚れてしまう。
ライブ特有の、「空気の振動の共有(by石井達也@ap bank fes09)」こそないものの、映画館の音響効果のよさが最大限に活かされ、息づかい、声のかすれなど映像で見るマイクを通って直に耳に届くような迫力、リアリティーがあるし、大画面で見るそれぞれ演者の表情は圧巻。音楽を楽しむ場所として映画館を選んだのは正確だと思った。まさに第2のライブだっ。
24、26日のシークレットライブ前にも、関係者や友人ばかり30名ほどを招待して、飲食でもてなし、普段は関係者以外は入れないというレコーディングスタジオすぐ脇のブースでガラス越しに演奏を見せるスタイル(それぞれの部屋の音はもちろん行き来する)、“レコーディングのようでライヴでもある”という新たな形式で音楽を楽しんでもらう、という試みを数日間やっていたようなのだけど、そこにゲストボーカルとしてきたSalyuの歌唱力にも改めてビックリ。最初スタジオに入ってきたとき、あまり垢抜けない感じで(イメージにない黒髪おかっぱで、多分メイクもあまりしてなかった?)、誰?、でもミスチルと絡むくらいだからきっとベテラン?としか思わず、しかしそのやさっぽいイメージとは裏腹の太い声で歌い始めたところで初めて、あ、サリューだ…、と気づいた(笑)。本当にものすごいパワーみなぎる歌声だった。体の底からの歌声、そして歌い切ると、もうこの歓喜をどうしても抑えられない感じで小さくジャンプしたり体をゆすっていたけど、純粋に彼女は歌が好きで、歌声で表現しきった喜びが自然と体全体から出てしまったのだなぁ、と、天性、天職を垣間見た気が。見ててもすがすがしかった。
これは↓↓映画館に入場するときもらったおまけのハガキなのだけど、
レコーディングスタジオの風景。こんなカンジで、関係者友人らには音楽が披露された。
今回ライブで披露された曲目は、結構しぶめの選曲だと思った。中でも私自信かなり久しぶりに聞いてパッとタイトルが出てこなかった曲、『横断歩道を渡るひとたち』、この歌詞が再度今までとは別の響きで心に残ったのでした。
イライラした母親はもの分かりの悪い息子の手を引っ張って
もう何個も持ってるでしょ!?と おもちゃ屋の前で声を上げている
欲しがっているのはおもちゃじゃなく愛情で
拒んでるのも「我慢」を教えるための愛情で
人目も気にせず泣いて怒って その親子は愛し合っているんだ
初めて聴いた当時も、文字どおりなるほど、と思った記憶はあるけれど、じきに3歳になる娘がいる今となっては、かなり現実と結びついて心にせまり、ジーンときてしまった。やっぱり桜井さんの歌詞のセンスは素晴らしいと思った。
この新たな試みの「ライブ」を体感できるのは、9月17日まで!
Mr.Children Split The Difference