*ハッピーとラッキーのあいだ。

へぇ~、ふぅ~ん、と気軽に読める、カフェ風ブログをめざして。
ときにゆるく、ときにアツく。“一杯の”お話を(^ー^☆

幼稚園のプレスクール。

2010-03-01 23:59:54 | Junko-ism~考。

まだ娘は2才4カ月ですが、そろそろ幼稚園のことを考えだす時期にさしかかり始めた訳で、ちょいと前から我が家でも情報収集を始めています。

かなり気に入った幼稚園があって、そこが2歳児を対象にプレスクールをやっているので、願書をもらいに行って提出し、先週末、面接に行ってきた。4月から週に一回通うだけのプレスクールだけど、園庭遊びやプール、遠足、運動会など、今の時期に経験させておきたいことてんこもりで、何より楽しそうな内容。なので、本番さながらに人気が高くて毎年応募が定員より上回る状態


それで挑んだ面接。もうね、ビックリですよ、ただただ。土曜日だったので、パパも同行。「おまえだけじゃ不安」という失礼な理由により。で、まぁまだプレだしなぁ、ということで、両親共にきちんとした格好はしていったつもり。でも、園に入るなり、ほとんどの人たちが両親びっちりスーツで、しかもリクルートっぽいガチガチのスーツで、冷や汗たらり。さらに、待機する教室ではトトロのDVDが流れてたのだけど、子どもたちがちゃんとおとなしくイスに座って鑑賞している。うちの子くらいだった、部屋のすみにあるおままごとセットに食いついて、エアーおままごとしてたの。パパも、娘と同じ年齢の子が集まってるのを初めて見て、「え・・2歳ってみんなこんなに落ち着いてるの?」と仰天。いや、いつも遊んでる子たちはこうではない、と言っといたけど。月齢による違いも多分にあると思う。たぶんありゃみんな4月生まれだな。←いやいや!

そして順番が来て、母親がメインで質問をされたのだけど、私が先生に答えている時、娘が部屋のすみっこにドナルドの何かを発見したらしく、「あっ、ドナルド!」と言ってイスを降りようとするので、パパがダメと押さえると、手をふりほどいて「ドナルドのとこ いくっ!」と若干暴れ、ビビる。ちょっとまって、のひと言で落ち着いてくれたからまだよかったけど、いや、ホントびっくりだね、何から何まで。

面接が終わって、やはり今年も定員以上の応募があるので、とひと言釘をさされ、帰り道、はぁー、もっとああ言えばよかったなぁ、アピールが少なかったかなぁ・・とか、反省する点ばかり。何回か足を運んで娘が幼稚園を気に入ってるだけに、ぜひ一緒に通いたいんだけどなぁ、落ちたら悪いなぁ・・、と。


で、今日、早々に結果が郵便で届いてた。封筒見るなり、ペラペラでがっかり。ダメだろー、この薄さは・・やっぱりスーツじゃなかったからかな、暴れたからかな?? ・・で、ものすごく封筒開けるのにドキドキして、まずは明かりにすかして見たら(笑)、何か時間が書いてあるのが見えたので、お?と思い、ビリビリ開封。そしたら、合格の通知だったのでひと安心。プレなのに結果見るのにそんな緊張して、この先の本番や、もっとその先の受験戦争とかどーすんだよ、と、先々を思ったね、思わず。神社で、絵馬に親の名前で合格祈願が書いてあるのをたまに見るけど、代理?と思ってたけど、いやいや、今なら、親のできることとして神だのみって気持ちがものすごくわかる。まだ幼稚園だとメインで面接するのは親だから、神頼みの前にリサーチしたりできることがあるけど、高校とか大学受験となると、やっぱり親のできることは神頼みくらいしかないんだろうなぁ・・。


結果を確認したとき、帰宅途中でベビーカーで眠ってしまった娘をそのまま玄関にベビーカーごと置いてあったのだけど、もそもそ起きたので駆け寄って、思わず寝起きの娘に、「よかったね、また幼稚園行けるよ!」と言って、ギュッと抱き上げてそのまま部屋に連れて行こうとしたら、「くつ、はいてるけど・・」と娘につっこまれた・・2歳児に、しかも寝起きの・・。確実に私よりしっかりしてる娘で安心ですけどね


今回のプレススクール、願書の時点で「家庭教育の留意点」とやらを書く欄があった。家庭教育の、留意点 その聞いたこともない言葉に、最初何を書いたらいいのかさっぱりわからず、まずは言葉の意味からすごく考えてしまった。家庭教育で気をつけていること・・。テレビをあまり長く見させない、とか? それはそれなんだろうけど、でもそういうことだけじゃない気がして。
今まで、「教育」ってことすらよく考えたことが無かった。まだ2歳だし。それでも、日常生活のなかで、何を娘によく言っているか、注意しているか、をよく考えたら、何となく見えてきた。

たとえば、何かをあげたり、してあげたときに、最近じゃ自分からちゃんと「ありがとう」と言う率が高くなってはきたけれど、それでもまだニヤッとするだけで何も言わないときがある。その都度、「ちゃんと、嬉しかったらありがとう、でしょ」とつっこむ。これってよく考えたら、感謝の気持ちをちゃんと伝えられる子になってほしい、ということの表れ。なので、「思いやり、感謝の気持ちをきちんと伝えられるように導いていく」ことをひとつとして、書いた。

あとは、「我が子を信用して愛情深く育てつつも、子どもを客観視する姿勢も忘れない」、ということ。何かができたらものすごくほめたり、抱きしめたりスキンシップで愛情表現したり、ということは、今の時期にうんとしてあげたいこと。そして子どもを信用してあげることはとても大切だけども、なんせまだまだ子ども。まだ言葉も不十分なところもあるから言ってることと言おうとしてることが一致してないときもあるし、軽く嘘つくこともあるし、そういうところがあるということをわかったうえで、自分の子どもの言い分だけを鵜呑みにせずに冷静に見なくちゃいかん、と思う。自分の子どもは信じたい。子どもはすべて正直に話してくれる、そうならとてもキレイな話だけど、なんせまだ子どもだしね。何でも信じきって大切にしすぎるのも、それは子どもが知らずしらずにわがまま、自己中になるだけだと思う。それは子ども自身は気づかないでそうなってしまうんだから、それこそかわいそうなことだと思う。

などなど、ね

今まで、自然とそうしてたんだろうけど、言語化して意識してるわけじゃなかったので願書に書くのにすごく戸惑ったけれど、それを改めて考えて書き出してみることで、ようやくそれがポリシーになった、というか、うやむやだったものが一貫性を持ってきた気がした。パパとも、「方針」としてはちゃんと話し合ったことがなかったので、これはとてもいい機会になった。すり合わせて、価値観を共有できるようになった。単なる子育て、じゃなくて「教育」。ちゃんと社会に通じる人間にするためのその言葉の重みを感じるようにもなったし。


ともあれ、春からプレスクールで、楽しみが増えた


いやー、久しぶりに熱くなってかなりの長文になってしまったぜー。最後までおつきあいいただいた方、おつかれさまでした、ありがとうございます



今どきの近所づきあい。

2007-03-27 22:18:02 | Junko-ism~考。
ここんとこ、ワケもなくネットから遠のいていましたが、それなりの日々を過ごしています(笑)。

マンション前の桜がところどころに咲き始めた! 

全体的につぼみが濃いピンクになってきて、ところどころに花が咲いていて(写真じゃわかりにくいけど)、かわいらしぃ。



さてさて本題ですが。 新しいマンションに移り住んでから、今の住環境がどんどん好きになっていく。ファミリーが多いということもあって、今までとは雰囲気が全然違う。
これまでも何人かの住人とエントランスなどですれ違ったことがあるけれど、とてもいいカンジに挨拶を交わしたりして、これが本来の姿なのだろうけれど、これまでの独身ばかりの住居ではそうもいかなかったので、ちょっとびっくりしつつも、なんだかうれしぃ。

こないだ、住人と思われる男の子がポストの影に隠れていて、気づいたときはかなりビックリしたのだけど、「こんにちわ」って言ってみたら、ちゃんと(しかも元気に!)「こんにちわーっ!」って返してくれた。今まで、知らない子どもと挨拶するようなシーンなんて滅多になかったけれど、でも何となく、挨拶しても人見知りだかで返事してくれない気がしていたので、ちょっと試す気もあって声をかけたんだけど、想像以上に元気なりアクションがあったので安心した。

また、会社帰りの時間帯、あたしより数テンポ先にエントランスを入った女性がいて、あたしがエントランスの自動ドアをくぐるまで、エレベーターのなかで待っててくれて、「乗りますか?」と声をかけてくれた。「一階なので乗りません。ありがとうございます」とお礼を言ったけれど、今までの感覚だとちょっと気まずいタイミングで先にそそくさと上がってしまってもいいようなものを!と、これにもちょっと新鮮さを感じた。


ちょっと前からすごく気になるCMがあって、ランドセルを背負った子どもが歩いてるとこへ近所のおばあさんが挨拶する。すると子どもは不信顔でその場を去ってしまう。そして両親に、「今日挨拶されたの、知らない人なのに変だね」という。さらにその言葉を聞いた母親が旦那に「なんだかここ、面倒くさそうね」という…
最初、意味が全っ然わかんなかった。何、「めんどくさそう」って
けれども、そう捉える母親も最近はいるということなんだろう、そのことにビックリした。

たしかに変な事件も多いので、一概に今までどおりの価値観というわけにもいかなくて、今の時代だからこその警戒心とかあるのかもしれない。でも、せめて同じ住宅だとか同じ地区に住んでいるなど共通点があるのならば「知らない人」で「めんどくさい」って思うのは寂しい気がする。

今の住居はその点では、いいお付き合い(までいかなくっても)があると思って、安心している。



ほんのちょっと、意識すること。

2006-08-07 21:41:11 | Junko-ism~考。

プロと、そうでない人との違い。
それは、ほんのちょっとの違いなのかも。


今となってはだいぶ前だけれど、テレビで、 バレエを習っている女子高生がプロのバレリーナに自分の踊りをみてもらい、指導してもらっているシーンを見た。
女子高生の動きだって、素人目にみたら、なかなかのもの。
でも、同じ踊りをプロがやると、それもやはり素人目に、まったく違うものに映る。
さ、さすが、プロ…

その指導光景を見ていると、そのどれもがちょっとの違いだった。
たとえば、指先の角度だったり。体の向きだったり。動きとの間に“ため”があるかないか…。
こういう、ちょっとした違いの積み重ねが、大きな違いを生む。
ホント、ぜんぜん違っちゃうんだ、ちょっとの違いなのに…。

でも、プロのバレリーナは体の角度ひとつをとっても、 お客さんからどう見えるか、ってことをふまえたうえで、 いかに「魅せるか」を考えていた。
結局、プロと呼ばれる人たちは視野が広くて、どうやったらどう見えるのかがイメージできていて、だから美しく魅せる角度や向きを考えるし、知っているし、現に美しく目に映るんだぁと思った。


ちょっとの違い。
しっかり意識しているか、していないかの違い。


文章だって、そうなんだょなぁ…。
仕事でずっと、文章に対峙しているけれど、 やっぱり先輩ライターが書く文章は、きめ細かい配慮がされている。やはり、いつでも「見え方」を考えている。
やみくも、ではない。ちゃんと計算されたうえに、成り立っている。

その「ちょっと」が、実はかなり難しかったりする。
だけど、まずは意識することが、そのちょっとを埋める近道なんだ、きっと。




みんな、つながっている。

2006-06-01 23:19:17 | Junko-ism~考。

毎月、月はじめには会社の全体朝礼がある。
そして今日も、その朝礼の日だった。

東京支社は今ふたつのビルに分かれているので、
今日も、もうひとつのビルから営業さんたちが集まってきていた。
普段営業さんとはビルも違ってまったく顔をあわせないし、
月一の朝礼でほんのちょこっと一堂に会したって、
あたしは目が悪いから人の顔なんてよく見えないし、
見えないってわかってるから、あんまり興味もなくて、
一体どんな人が営業部隊にいるか全然知らない。

今の会社はHP制作k会社だけど、あたしがいるのは制作事業部の、ライターチーム。
仕事の流れとしては、営業さんがアポどりしてきた案件は、 まずディレクターに割り振られ、ディレクターがそのクライアントに合ったHPの構成を考える。どうやって強みを見せていくか、とか、何ページを商品紹介にするとか、ほかにどんなコンテンツを入れればクライアントの魅力が伝わるサイトになるか、とか、HP特有の階層ごとにわけて、内容を考える。
で、営業とディレクターがクライアントにプレゼンしてきて、見事受注となれば、今度はその構成に基づいて、デザイナーさんがクライアントのイメージに合ったデザインをして、ライターが文章を入れていき、そしてコーダー(簡単にいうとプログラマー)が実際にプログラムに落とし込んで…、って、各制作部隊の裾野へと作業がまわりだす。
そしてHPが納品されると、今度はリレーションチームがクライアントとの窓口となって、お客さんのフォローをしていく。

だから、ライティングの作業自体は、案件ひとつを見ていった場合の流れとしてはほんの川下のほうで、携わるのは全体のなかの一瞬。
たまに取材に行って直にお客さんと接触することはあるけれど、そうでなければ、文章を淡々とかくだけ。

だけど、たしかに一番最初の営業さんがアポとったところから、ずっとつながっているんだよなぁ、と今日なぜかしみぢみ思った。
そう考えていたら、作業自体はごく個人的に進めるものなんだけど(そりゃもちろん、疑問があれば担当ディレクターに相談しにいったりするけれど)、みんなで作ってるっていう、その意識も大切だな、と思えた。
だってクライアントにしたら、HPというひとつの商品を注文して受け取るだけで、それがうちの会社のなかでどこをどお通ってできたか、なんてまったく関係ない。普段あまり全体のフローとして考えたことなかったんだけど、でもよく考えると、その一番最初のきっかけ作りをしている営業さんはえらいなぁ、って、改めて思ってみた。


同じようなことを、以前バイトしてた飲食店でも思ったことがあった。
ホールのバイトで接客していたんだけど、
たまに、 「これすごくおいしぃね!」って、料理を食べた感想をいってくれるお客さんがいた。
言われるとすごく嬉しいけれど、でもホントはその言葉は、料理を作ってくれてる厨房のひとたちに聞かせてあげたい言葉。 あたしたちホールのバイトは、たしかにお客さんとの接点なんだけど、ほんの川下で、実はそこに至るまでには、作る人たちがいるわけで…。


ひとつのサービス、ものを組織で提供している限り、そこに関与してる人は何人もいて、末端まで流れる過程のなかで、みんなつながってるんだなぁ、と、なんだかマジメに考えてしまいました。

6月だから…か?



母の日にちなんで。

2006-05-13 08:04:56 | Junko-ism~考。

前もちょろっとブログで紹介したけれど、明日の 母の日にちなんで、 ちょっぴり母のはなしをしてみようかな~、と思う。

母は今、小学校で働いている。 以前小学校教員をしていたキャリアをいかし、 今は新卒の若手先生の指導係として、週に3日くらい学校に行って、子どもたちと戯れている。

だから母と会うと、いまどきの小学生の動向がわかっておもしろいし、最近は母が教育に対してどういう考えを持っているかということも垣間見えて、なかなか感心したり、楽しかったりする。

このあいだ会ったときは、今母が担当している小学校2年生の子どもたちに、本の読み聞かせをした時の話をきいた。
母は、この 読み聞かせというものを大事にしているらしぃ。 まず、 本が好きな子どもになってほしい、という想いがあって、 そしてただ読むだけじゃなく、 本を読み聞かせることで、音と絵からイメージをふくらませてほしい、と。
なるほどぉ、と思った。 たしかに自分で活字を読むよりも、本に描かれた絵を見ながら音できいたほうが、イメージがわきやすいかもしれない。 し、そうしてイマジネーションを働かせることも、小さいころから知っておいたほうが、いい。

そのとき読み聞かせた本は、「百万回生きた猫」という童話。 百万回、生と死を繰り返した猫の話。 生まれ変わるたびに、猫ではあるが、状況が違う。王様に飼われたり、サーカス団に飼われたり、いろんな経験をするが、決して誰かに心を開くこともなく、どこかクールに、淡々と生きていた。 けれど100万回めに生まれ変わったとき、本当に愛するメス猫と出会う。ふたりは寄り添い、そのうち子どももうまれ、そこで初めてこの猫は幸せを得て、生きることの意味、充実をおぼえる。 しかしやがてメス猫は死を迎え、猫は3日3晩泣き明かし、そして後を追うように死んでしまう。そしてもう、生まれ変わることはなかった、というストーリー。
やっと、永遠に続けばいいと思う大切なものを見つけたとき、猫は変わった。 心の充実を、知った。でもそれは、はかなくも限りあるもの。
童話ながらに、すごくせつなくもなるし、奥が深いストーリー。

これを、小学生がどう感じるかはわからない。
けれど、最初はさまざまな態度でばらばらだった子どもたちも、本を読み進めるうちに、グっと話にひきつけられてくるのがわかった、と母は言っていた。
おぉ。この話を聞いたときは、ノンフィクションな教育現場のドキュメンタリーを見たような気分だった。
教育の場で、どう自分の考えを実行して、子どもたちに伝えていくか
教師って、重要な立場にいるんだなぁ、と思った。
だって、とくに小学生なんて、柔軟な幼心に影響するんだからねぇ。

あたしが小学生だったときって、果たして「あの先生がこう言ってたからこれが好きになった」、とか、印象的だった授業とかコトバとか、なんかあったかなぁ…。思いつかない。
単に忘れているだけかもしれなくて、もしくは、もう自然なこととして身についてしまっているから気づかないだけなのかもしれないし、今フツーに常識的にいること自体、これまでの教育の蓄積なわけだから、それにはこれまで接した先生たちの影響もあるのかもしれない。 先生はそれぞれに、子どもにこうなってほしい、という想いを胸に教育の場に立っているのかもしれない、と気づいた。もちろん、人にもよると思うけど。
でも、一番身近にいる「先生」である母がそうであることは確かだし、 それがちょっとうれしい。し、尊敬している。
これからも、がんばって、豊かでいい子どもたちを育ててください。


あ、あれ…。
今気づいたけど、あたし、あまり本好きな子どもぢゃなかったょねぇ・・・。
あたしにもちゃんと、読みきかせ、した???



明日は母の日。
おかあさんありがとう、であると同時に(!?)、 あたしは東京競馬場に行ってきますょ。 ダンスインザムードとの再会のためにっ。
しかもまた、馬主席をとってもらっちゃった、超ラッキー。

お母さん。お馬さん。ありがとー! そしてこれからもよろしくね
な日曜日でありますよぉに。(笑)




ありがとうのことば。

2006-05-07 22:10:24 | Junko-ism~考。

今日法事だった。
そこで聞いたお坊さんの話のなかで、印象に残ったこと。
それは、「ありがとう」の言葉の意味


ありがとう。漢字で書くと、「有り難う」
つまり、有ることが難しい、と書いて、ありがとう。
今ここにあるその縁に、感謝する気持ち

たしかに、「ありがたい」と言う場合には、そのものへの奇跡的なニュアンスが入る。しみじみと、そのことに感謝するカンジ
日常的に言う「ありがとう」だって、それと同じルーツなのだと思うと、これからはもっと感謝の念がこもる大切な言葉として使える気がする。

有り難う。ありがとう。
シンプルだけど、大切に使いたいことばだな、と思った。



法事のあとに、横浜のおもしろスポットに行ってきました。
…今日はとても眠たいので、詳細は明日にしときます。



今にいたる、その道のり。

2006-04-06 23:58:37 | Junko-ism~考。

先月、「冬の函館PR」のお仕事で函館にいたとき、あたしはレポーターチームでビデオでのコメント撮りが多かったのだけど、最終日にスチールの撮影もしてもらった。
同行したカメラマンさんがとてもおもしろいセッティングをしてくれたので、おかげであたしは本っ当に楽しんで遊んでいるところを撮ってもらったものだから、自分でもビックリするくらい若々しく、いい写真が撮れていた(笑)。
カメラマンさんも、その出来にビックリしたのか、「んー、あと10年早かったらもっといっぱい仕事できたのにね」と、サラ~っとおっしゃった。
…そ、それは、どぅも…( ̄‥ ̄
ってとても複雑な心境だったけどね。(笑)


でも、違うんだよなぁ…。
たとえあたしの中で10年巻き戻してみたところで、あたしはただの垢抜けない高校生だったわけだから。
だから、10年早かったら、じゃない。
強いていうなら、10年遅く生まれていたら、なんだと思う。

今のこの時代にお年頃だったほうが、こういう世界に興味持ちやすくて、足も踏み入れやすかったのかなぁ、と。

いや~、でも、それも、きっと違う。

あたしは間違いなくここまでの年月、起こったすべてのことで、熟成されてきたんだから。
どれが欠けても、ここには辿りつけない。

って、いつまでもそう思いつづけていたいなぁ、と思う。
自分がこれまでしてきたことに、自信を持って。
今の自分がつねに一番、と思っていられるように。

かといって、もちろんすべてを持っているわけぢゃあない。
足りないもの、欠けてるものはこれから補っていけばいい。
だから、自分に足りないもの、「欠けているもの」に気づくことも大切

そして気づけたら、それは幸せなことだと思おう。
次のステップへの第一歩だからね。

そう、だから、何でもやってみて、そこから、自分に向いてる向いてない、 目指しているコトのためには何が足りないか、などを感じることが、そういう機会をつくることが、大切なんじゃないかと思う。
そしてつねに、これまでの集大成としての自分でいたい。


なんて、ちょっとまじめに考えてみた。(照れ)


PIという考えかた。

2006-03-30 23:59:00 | Junko-ism~考。

今日、職場の男の子に、「ピンクが似合いますょね」と言われた。
「あら、そぉ?」とかいいながら、ほくそ笑む。
これ、あたしにとっては、大成功。

ピンク好きなあたしのポリシー?というか、こだわりとして、 どっかに必ずピンクを身につける、ってのがある。
…いや、そんな大それたもんじゃないんだけどね…(笑)。
しかも、全面的にピンク、じゃなくて、ポイント使いのピンク
たとえば、洋服自体はシンプルにして淡いピンクのブーツ、とか、 洋服にピンクがなければ、アクセサリーで必ず入れる
こうしているのは、もはやピンクをどっかに入れてないとガマンできないってのもあるのだけど(え、病気!?)、それ以上に、あたしのブランディング、みたいなところがある。

大学卒業後就職した会社では、CIという分野の仕事をしていた。
 CI=Corporate Identity
企業がどういうイメージを消費者、顧客に持たせたいか、そしてそれをどううまくアピールしていくか、ということを考える分野で、 具体的には、まず社内での意識統一のためにスローガンを考えたり、 社外対策として、ロゴマークの企画(コンセプト、方向性を考えてデザイナーさんにデザインしてもらう)や、ロゴマーク類を統一して使用していくためのマニュアルを作成したり、という仕事だった。
メッセージを正確に伝えるためには、つねに同じイメージやメッセージを発信しつづけることが大切になってくる。

そしてその仕事をしているうちに、企業における「CI」という考えかたを個人に転じて、PI=Personal Identity という考えにいたったわけ
(ホントにそういう考え方があるかは、知らない

持ってもらいたいイメージは、きっと自分で作っていくもの
もはやあたしは誰もが認める「ピンク好き」(笑)。
そして似合う、といわれるのは、本望

ピンクと同時に、あたしは馬も好きだけど、これに関してのPIは一部失敗(?)しているようで、あたし=馬好き、ってより、あたし=競馬好き、になってしまっている…
会社のPCに、馬のシルエットと真向勝負の四文字が書かれたシールを貼っているからかしら…。
それとも、ガチャガチャで出てきたナリタブライアンのちっちゃいぬいぐるみが机に置いてあるから??

って、どうみても、単なる「競馬好き」ぢゃんっ!!


…はい、そうですけど、なにか?





イチロー選手のようなタイプと、そうでない人。

2006-03-25 23:43:45 | Junko-ism~考。

今日、イチロー選手が小学校6年生のときに書いたという作文を目にする機会があった。そして、たまげた
6年生のイチロー選手は、「未来日記」かと思うくらいに、今実現していることを夢として作文で語っていた。
要約すると、こう。

「夢は一流のプロ野球選手になること。そしてそのために3歳から練習を始めていて、1年間で360日は練習をしている。中・高と活躍して、卒業したらプロになる。契約金は1億円以上が目標」
(全文は、こちらのサイトに載ってますょ) 

小学校6年生、ですよ? 具体的すぎるくらいに、イチロー少年は未来を見据えていた!? そしてそれを実現、いや、それ以上のものを手に入れ、つい先日もWBCで日本を世界一へと導いた、誰もが認める大きい存在ともなっているのだから、改めてスゴすぎるよ、イチロー。 そしてさらに、もうそこでよし、とせずに、つねに上昇をめざす姿勢。もう鏡だね。

この作文を読んで、今のイチロー選手の活躍を見ると、やはり明確な目標があれば(しかもそれが具体的であればあるほど)、そこへの向かい方が見えてくる。そのために今何をすればいいのかが明確になってくる。そしてそういう人はダンゼン強い、と思える。イチロー選手みたいに、目標がビタっとあって、それに向かっていく人は

でもねぇ、やっぱりそんな人は一握り。やっぱり、タイプがあるんじゃないか、とも思う。


大学の授業で、とても楽しかった授業を思い出した。「情報活動論」という授業。その授業のレポート課題は、「検索」ではなく 「探索」をすることだった。
つまり、あらかじめ目指すべきゴールがぴっちりあって、いかにそこに効率よくつくか、という 検索じゃなくて、
なんとなぁ~くのテーマがあって、そこをめざす過程で見つけたこと・知ったことを楽しむのが「探索」。同じ駅まで行くにも、 効率よくまっすぐに駅をめざすのではなく、 興味の赴くままに道を曲がってみたり、途中で偶然見つけたお店に入ってみたり、そうすることによって、どんだけ思いがけぬものと出逢えて、そこからさらに何か新しい興味が見つかるかもしれないという、その 道のり自体を重視する授業だった。
それ以来、この「探索」という考えかたが、好き。とりあえず、渋谷に行く。漠然としたテーマしかもたない。そしてそのなかで、とびっきりなことがあれば、サイコー。お気に入りの店を見つけた、いいデザインを見た、おもしろいことを知ったなど、何でもいいんだけど。
今のライターの仕事でも、原稿を書くまでの下調べの作業がすごく楽しくて好きなのも、その過程で知ることが多くて「探索」を楽しんでいるからなのかも。


だから、人生も「探索」タイプの人がいていいのかなぁ、と。もちろん、探索の過程でこれぞ、というものと出逢えて、そこに照準を絞って一気に目標に向かっていくことになればいいのだろうけど。あたしも、今でこそ目指したいもんがようやく見えてきだしたけど、それはやっぱりこれまでの紆余曲折があってのこと。探索してきた結果、見えてきたもの。
たとえ今目標がなくても、何かを見つけよう、と思ってさえいて(そうじゃないと「探索」にもならない)、その過程を楽しめていれば、いいんじゃないかと思うわけです。

でも、やっぱりすごいな、イチローって。





ライターが役者になるとき。

2006-03-17 22:17:07 | Junko-ism~考。


平日している、HP作成会社のライターという仕事
今あたしがいる職場での「ライター」的仕事は、大まかに以下の3つ。

●原稿を書くうえで、ネットや本、雑誌を駆使して情報、知識を得て、そのものを理解したうえで、自分の言葉にのせて書く
⇒自分が理解することが、肝心。
●取材に行って、聞いてきた話を元に原稿を書く
うまく話を引き出すことはもちろんだけど、その会社や業界について理解しておくことなど、下準備が重要。
そして、
リライト。たとえば「社長のあいさつ」といったコンテンツの場合、先方に原稿を書いてもらって、それを読みやすいように書き直す。


このリライトという作業が、元原稿があるのに、でも逆にあるから、けっこう大変だったりする
先方が出してくる原稿だから、極力元を生かす。でも、その原稿を書いた人が必ずしも文才があるわけじゃない
まぁそのためにうちの会社にライターチームがあって、読みやすいように、サイトのその部分にふさわしい文章に書きかえていくわけだし、つっこみどころがないほどの文章を先方が出してきたら、逆にひく…
それにしても、たまぁに理解に苦しむほどの文章を目にすることも。どっちにもとれる曖昧な文章とかね…しかもそれが両極端だったりして、どちらに捉えるかでまったく意味が変わってくる、というようなね…

昨日手がけた原稿は、仔犬の販売、犬のお見合い相手探しなんかを仲介する会社のサイトで、数人のブリーダーさんを紹介する原稿を書いていたのだけど、これがまた、なかなかやりがいがあった
先方が、各ブリーダーさんに「ブリーディング・ポリシー」とかメッセージなどを聞いてくれて、まとめたものを送ってきたのだけど、これが、質問項目とはかけ離れたところに話が着地しちゃっているブリーダーさんとか、えらく簡潔すぎるコメントだとか…
サイトを作る側としては、それぞれのブリーダーさんのPRを、互いにあまりかぶらないような表現、書き方で、見栄えよく同じくらいの文量で、…ってことを考えて原稿にしていくわけなのだけど…(○ ̄ ~  ̄○;)ウーン・・・

でも、どのブリーダーさんの話からも伝わってくるのは、犬が大好きで、かわいくて仕方がない、ということ。たとえそこに、質問とは無関係なことが書いてあっても(笑)、それも含めてその方が言ったことをヒントにして、その人がいかに犬を愛しているか、その想いからどんなに大切にブリーディングをして、犬を育てているか、を、想像していった。
気持ちになりきって、じゃあ、それをなんて表現する!?、って。
また、そのブリーダーさんの文章に「孫と同じくらいにかわいい」と書いてあれば、孫がいるおばあちゃんの気持ちになりきって、言い回しもちょっと落ち着いたカンジにしてみたり。

昨日は、ブリーダーさんという、とっつきやすくて想像もしやすい分野だったこともあり、わりとすんなり、なりきれた
し、上司に誉められた。ヾ(@^▽^@)ノ ワーイって、子どもか!?(笑)

水曜日にギャラリーの取材に行ったときは、実際にそこの社長さんとお会いしたから、あたしがそこで垣間見た社長のキャラクターや想いをもとに、もらった原稿を最適な文章にリライトできた、と自負している。

そう、ライターは、ときに役者でもあるのです。




あしたは久しぶりに乗馬の日~
いいパートナーだといいなぁ…