まだ娘は2才4カ月ですが、そろそろ幼稚園のことを考えだす時期にさしかかり始めた訳で、ちょいと前から我が家でも情報収集を始めています。
かなり気に入った幼稚園があって、そこが2歳児を対象にプレスクールをやっているので、願書をもらいに行って提出し、先週末、面接に行ってきた。4月から週に一回通うだけのプレスクールだけど、園庭遊びやプール、遠足、運動会など、今の時期に経験させておきたいことてんこもりで、何より楽しそうな内容。なので、本番さながらに人気が高くて毎年応募が定員より上回る状態。
それで挑んだ面接。もうね、ビックリですよ、ただただ。土曜日だったので、パパも同行。「おまえだけじゃ不安」という失礼な理由により。で、まぁまだプレだしなぁ、ということで、両親共にきちんとした格好はしていったつもり。でも、園に入るなり、ほとんどの人たちが両親びっちりスーツで、しかもリクルートっぽいガチガチのスーツで、冷や汗たらり。さらに、待機する教室ではトトロのDVDが流れてたのだけど、子どもたちがちゃんとおとなしくイスに座って鑑賞している。うちの子くらいだった、部屋のすみにあるおままごとセットに食いついて、エアーおままごとしてたの。パパも、娘と同じ年齢の子が集まってるのを初めて見て、「え・・2歳ってみんなこんなに落ち着いてるの?」と仰天。いや、いつも遊んでる子たちはこうではない、と言っといたけど。月齢による違いも多分にあると思う。たぶんありゃみんな4月生まれだな。←いやいや!
そして順番が来て、母親がメインで質問をされたのだけど、私が先生に答えている時、娘が部屋のすみっこにドナルドの何かを発見したらしく、「あっ、ドナルド!」と言ってイスを降りようとするので、パパがダメと押さえると、手をふりほどいて「ドナルドのとこ いくっ!」と若干暴れ、ビビる。ちょっとまって、のひと言で落ち着いてくれたからまだよかったけど、いや、ホントびっくりだね、何から何まで。
面接が終わって、やはり今年も定員以上の応募があるので、とひと言釘をさされ、帰り道、はぁー、もっとああ言えばよかったなぁ、アピールが少なかったかなぁ・・とか、反省する点ばかり。何回か足を運んで娘が幼稚園を気に入ってるだけに、ぜひ一緒に通いたいんだけどなぁ、落ちたら悪いなぁ・・、と。
で、今日、早々に結果が郵便で届いてた。封筒見るなり、ペラペラでがっかり。ダメだろー、この薄さは・・やっぱりスーツじゃなかったからかな、暴れたからかな?? ・・で、ものすごく封筒開けるのにドキドキして、まずは明かりにすかして見たら(笑)、何か時間が書いてあるのが見えたので、お?と思い、ビリビリ開封。そしたら、合格の通知だったのでひと安心。プレなのに結果見るのにそんな緊張して、この先の本番や、もっとその先の受験戦争とかどーすんだよ、と、先々を思ったね、思わず。神社で、絵馬に親の名前で合格祈願が書いてあるのをたまに見るけど、代理?と思ってたけど、いやいや、今なら、親のできることとして神だのみって気持ちがものすごくわかる。まだ幼稚園だとメインで面接するのは親だから、神頼みの前にリサーチしたりできることがあるけど、高校とか大学受験となると、やっぱり親のできることは神頼みくらいしかないんだろうなぁ・・。
結果を確認したとき、帰宅途中でベビーカーで眠ってしまった娘をそのまま玄関にベビーカーごと置いてあったのだけど、もそもそ起きたので駆け寄って、思わず寝起きの娘に、「よかったね、また幼稚園行けるよ!」と言って、ギュッと抱き上げてそのまま部屋に連れて行こうとしたら、「くつ、はいてるけど・・」と娘につっこまれた・・2歳児に、しかも寝起きの・・。確実に私よりしっかりしてる娘で安心ですけどね。
今回のプレススクール、願書の時点で「家庭教育の留意点」とやらを書く欄があった。家庭教育の、留意点 その聞いたこともない言葉に、最初何を書いたらいいのかさっぱりわからず、まずは言葉の意味からすごく考えてしまった。家庭教育で気をつけていること・・。テレビをあまり長く見させない、とか? それはそれなんだろうけど、でもそういうことだけじゃない気がして。
今まで、「教育」ってことすらよく考えたことが無かった。まだ2歳だし。それでも、日常生活のなかで、何を娘によく言っているか、注意しているか、をよく考えたら、何となく見えてきた。
たとえば、何かをあげたり、してあげたときに、最近じゃ自分からちゃんと「ありがとう」と言う率が高くなってはきたけれど、それでもまだニヤッとするだけで何も言わないときがある。その都度、「ちゃんと、嬉しかったらありがとう、でしょ」とつっこむ。これってよく考えたら、感謝の気持ちをちゃんと伝えられる子になってほしい、ということの表れ。なので、「思いやり、感謝の気持ちをきちんと伝えられるように導いていく」ことをひとつとして、書いた。
あとは、「我が子を信用して愛情深く育てつつも、子どもを客観視する姿勢も忘れない」、ということ。何かができたらものすごくほめたり、抱きしめたりスキンシップで愛情表現したり、ということは、今の時期にうんとしてあげたいこと。そして子どもを信用してあげることはとても大切だけども、なんせまだまだ子ども。まだ言葉も不十分なところもあるから言ってることと言おうとしてることが一致してないときもあるし、軽く嘘つくこともあるし、そういうところがあるということをわかったうえで、自分の子どもの言い分だけを鵜呑みにせずに冷静に見なくちゃいかん、と思う。自分の子どもは信じたい。子どもはすべて正直に話してくれる、そうならとてもキレイな話だけど、なんせまだ子どもだしね。何でも信じきって大切にしすぎるのも、それは子どもが知らずしらずにわがまま、自己中になるだけだと思う。それは子ども自身は気づかないでそうなってしまうんだから、それこそかわいそうなことだと思う。
などなど、ね。
今まで、自然とそうしてたんだろうけど、言語化して意識してるわけじゃなかったので願書に書くのにすごく戸惑ったけれど、それを改めて考えて書き出してみることで、ようやくそれがポリシーになった、というか、うやむやだったものが一貫性を持ってきた気がした。パパとも、「方針」としてはちゃんと話し合ったことがなかったので、これはとてもいい機会になった。すり合わせて、価値観を共有できるようになった。単なる子育て、じゃなくて「教育」。ちゃんと社会に通じる人間にするためのその言葉の重みを感じるようにもなったし。
ともあれ、春からプレスクールで、楽しみが増えた。
いやー、久しぶりに熱くなってかなりの長文になってしまったぜー。最後までおつきあいいただいた方、おつかれさまでした、ありがとうございます。