本当の自分に
なりたい
真実の幸せが
知りたい
虹のような
幻の幸せを
まといながら
心は水母のように
さまよっている
嘘ばかりついて
偉い人になっても
こんなことは馬鹿なんだと
もうわかっている
それなのに
引き返せない
盗んだ金で造った
黄金の宇宙船が
あまりにも巨きすぎるからだ
あんな立派なものがあると
みんなが寄ってきて
俺をほめるからだ
本当の自分に
なりたい
真実の幸せが
知りたい
愛が欲しい
それが
最も難しいことになるまで
俺は馬鹿をやりすぎたのだ
短髪の女性ばかり描いていると、たまには髪の長い女性も描きたくなるもので。
相変わらずバックに何も描かず、ちょっと寂しいですが。
スキャナの具合で、絵に筋が入ってしまうのが、難ですね。
ちなみにこの絵、何となく近所の奥さんに似ていますよ。
湯のように沸騰する
賞賛の海を
黄金の船で渡りながら
馬鹿が身悶えている
愛ではないものが
黒い蛸のように
自分に絡みついている
それを取りたくても
取ることができないからだ
取ってしまえばすべてを失う
賞賛の海も
黄金の船も
すべては
その黒い蛸が見せる
夢だからだ
ああかわいそうに
愛ではないものの
吸盤の跡が
赤々と骨にしみこみ
馬鹿は恐ろしく変なものに
変ってゆく
逃げることはできない自分を
足元に引きずりながら
永遠の聖者の仮面に
支配されてゆく
哀れな蛙の魂になる
昨日切ったばかりの新作です。
ヴィーナスのニンフたちは短髪がルールなのでね。
髪の長いこの人は、こっちで発表することにしました。
かのじょの作品と比べると、目が単純できついですね。
でもなかなかいいと思います。
書斎の書類の山の中から見つけました。
2005年ごろのかのじょの作品です。
同人誌の表紙のために作られた切り絵。
かわいい目ですね。今はこんな目がどうしても描けません。
またかのじょの作品を見つけたら、ここで紹介していきましょう。
今日は母の日です。日本では、カーネーションを贈ったり飾ったりして、お母さんに感謝を伝える日ですね。
でもかのじょには、母の日にはいい思い出がありません。
幼いころに実母に捨てられ、二番目のお母さんには愛されず、母と慕った叔母さんには、言葉の虐待を受け続け、要するに、母親の愛情には、ほとんど恵まれずに育ったのです。なんだか踏んだり蹴ったりですね。
そういう経験をしてきた人ですから、母という言葉には、一種冷めた感情を持つ人でしたね。お母さんに感謝したくても、感謝したくなるようなことはほとんど何もしてもらえなかった。そんな子供時代のさみしさ、心の寒さは、大人になったかのじょにも、大きな影響を与えていました。
自分の子供には、同じ思いをさせたくない。大人になって結婚し、母となったかのじょは、一生懸命に子供を愛しました。
夫と心の行き違いがあっても、夫婦別れはしなかった。親が離婚した子供が、どんな思いをするか、深く知っていたからです。
女の子は、自分の母親をモデルにして、母親業をやるものですが、そんなモデルはなかったので、手探りで母親をやっていましたね。世間の母親をまねしながら、自分なりの母親をやっていた。
満点のお母さんではなかったけれど、一生懸命にやっていました。
子供時代に、あたたかなお母さんの思い出がないということは、苦しいことですよ。大人になっても、心にいつも寒い隙間がある。
お母さんというものは、子供の心を作る、あたたかなお日様なのです。