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世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

スピカが主な管理人です。時々留守にしているときは、ほかのものが管理します。コメントは月の裏側をご利用ください。

冬のおわり

2024-08-10 03:20:57 | 月夜の考古学・第3館

素直になりたいと思った
嘘はいやだと思った
日常のいらだちの中で
本当のことを語りたいと思った
塵や垢のように脳細胞にまとわりつく
行方のない想いとではなく
人間と
語り合いたいと思った

井戸の底からわきあがる
どうしようもない想いを
鎧の外へ出してはいけなかったのか
瞳で語ってはいけなかったのか
振り向いてはいけなかったのか
だれかが落とした言葉のかけらを
拾ってゆっくりと見てはいけなかったのか

ああ、いけなかったのだ
もしそのまま眠っていたかったのだとすれば
つむっていた目をあければ
夢が覚めるとわかっていたのに
わたしはもう目をあけてしまった
わたしはもう見てしまった
優しさの仮面に隠れた
氷のように冷たい息
ふしめがちの目の中に見え隠れしていた
小さな恐ろしい蛇

そんなものを
なぜ見てしまったのだろう
たぶんそれは
あなたに出会ってしまったからだ
あなたの目は嘘をついていなかった
わたしの浅薄な仮面を透いて通ってしまうほど
あなたの目はまっすぐだったのだ
わたしは、あなたの目で引き裂かれた
仮面の下から血膿が流れ出るのが
心地よくなるほど
わたしは引き裂かれ
そしてわたしにもどってきた

もう、目をそらすのはやめよう
もう、自分の心から逃げようとするのはやめよう
わたしはたぶん、きらわれものだ
きらわれるのは
本当のことを見ようとするからだ
人が見られたくない所まで
見てしまうからだ
だから見ないようにしてきたのに
気がつかないふりをしてきたのに
もうそれができなくなった
うそっこの笑顔ができなくなった
あなたと笑顔をかわしたから
あなたの瞳があんまりに
わたしをきれいに映しかえしてくれるものだから

求め続けていたものが
不意に目の前に現れるのが
どうしてあんなにこわかったんだろう
ただ手をさしだせばよかったのに
ああ、わたしは
真正面から見ていたはずなのに
いつの間にか背を向けていたんだね
人から聞いた優しさの形を受け入れて
自分自身の寂しさに耳を傾けなかったんだね
空を見上げればいつだって涙が出たのに
傷をつけたら熱い血が溢れ出てくる柔らかい皮膚を
わざわざ言葉の蝋で固めて
わたしは人形になっていたんだね
こんな簡単なこと
とうの昔にわかっていたはずなのに

明日からわたしは
もとのわたしに戻ろうと思う
ひとりで歌をくちずさんで
ひとり楽しむ楽しさを知っていたころに
戻ろうと思う
言葉がわたしにかたりかけてくれた
流れる涙の意味を一生懸命に探した
子供みたいに馬鹿なわたしに戻ろうと思う
そしでできることなら
あなたといっしょにいきたいと思う
何もできなくて
欠点だらけのわたしだけど
たとえだれより遅くたって
一つ一つ学んでいくから
一生かけて
いい人間になるから

何かが違うという思いにとりつかれたら
それから逃げない方がいい
今は何も見えないけれど
きっとどこかに道はある
たとえ間違えたって、引き返せる
自分の目が生きている限り
信じられるものを持っている限り
友達はきっとどこかにいる

さようなら
もう後ろは見ない
もう嘘をほんとだと思うふりはしない
もうひかえめな言葉の下にひっこめられた光る刃を
怖がりはしない
嘘つきだった人の胸に隠れた
暗く果てしない荒れ地を
耕さなければならないと思い込んでいる
果てしない畑を
だれが照らしてあげられるかはわからないけど
たぶんそれはわたしではない

くりかえしくりかえし
積もる雪をかきわけながら
わたしはふきのとうのように
今日、一つの冬と決別するのだ




(1989年)





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