ジョッシュの日記

ジョッシュは好きな映画「big」の主人公の名前からとりました。趣味を大事にしながら長男くんと次男くんの育児に奮闘中です。

ボクシング過去名勝負(ベスト20)2位

2012年12月30日 12時49分16秒 | ボクシング

それではベスト2位です。

 

シリモンコン・ナコントンパークビュー vs 辰吉丈一郎(1997年)

1997年10月、日本が誇る期待のホープ「畑山隆則」が世界戦に挑んだ。当時は日本人の世界挑戦は連続して失敗していたが、世界挑戦前からスターの輝きを放っていた畑山への期待は大きく、当然の事ながら世界チャンピオンとなり、新たな時代を切り開くと誰もが思っていた。しかし世界奪取は失敗となる。そしてそのたった1ヶ月後の1997年11月、かつてスターの輝きを放っていた辰吉が世界再挑戦をすることになる。バンタム級で薬師寺保栄に敗れ、1階級上げたジュニアフェザー級ではサラゴサに2度の完敗。誰もがこの挑戦が最後の試合と思っていた。相手はシリモンコン、日本でおなじみの「ホセ・ルイス・ブエノ」や「ビクトル・ラバナレス」らに圧勝、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのチャンピオンだ。当時のシリモンコンも、辰吉には眼中になく、1番の相手は大きくなった身体による「減量」だったようだ。現に減量をパスしたシリモンコン陣営はまるで勝ったかのように喜んだという。この試合も戦前に両者を比較したが、勝てる可能性は0%、どのようなパターンを考えても勝てる要素は見つからなかった。

試合は体格に勝るシリモンコンが迫力ある攻撃を見せるも、この日の辰吉はフットワークが軽く、左ジャブが効果的に当たる。また減量の影響かシリモンコンに本来のスピードが無く、大きなパンチも辰吉はよく見えて避けていた。そして5R辰吉のボディーが入るとシリモンコンの身体がくの字に曲がる。そしてすぐさまたたみ掛けワンツーでダウンを奪う。なんとか立ち上がるシリモンコンだがダメージが深い。しかし序盤からハイペースで打ち続けた辰吉も疲労を見せ、今度はチャンピオンが大きなパンチで辰吉の身体を大きく揺さぶるシーンも多くなる。どちらがペースを握るかわからない展開だったが、7Rに再びボディーで辰吉がダウンを奪う。興奮の坩堝と化していた会場の声援を後押しに、辰吉が再度たたみ掛けると、シリモンコンは力なくロープまで後退、それを見たレフリーが試合を止めた。

やはりスターというのは此処ぞと言う時に「輝き」を見せるもの。3位の竹原慎二の試合同様、ボクシングに「絶対」は無いことを教えてくれた一戦。しかし忘れてはいけないのは会場の声援の後押しが辰吉の力を増長し、そしてシリモンコンの力を萎縮させたこと。辰吉の強さはもちろん認めるが、熱狂的なファンがあってこの勝利があったように思う。

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ボクシング過去名勝負(ベスト20)3位

2012年12月30日 11時36分12秒 | ボクシング

それではベスト3位です。

 

ホルヘ・カストロ vs 竹原慎二(1995年)

日本王座3度防衛。東洋太平洋王座6度防衛。23勝無敗。世界挑戦するには十分すぎる実績である。しかし私を含めて世間一般の評価は「世界挑戦は無謀な戦い」と思っていた。何故か?それは世界で最も層が厚く、そして日本人が誰も踏み込む事(挑戦)すら出来なかった階級、彼が「ミドル級」という「大き過ぎる山」に挑もうとしているからである。相手のカストロについてはWOWOWで何度か試合を観た事があるが、とにかく馬力が凄く、頑丈、そして劣勢に見せてからの大逆転を演じる試合巧者ぶり、まさに強豪、難攻不落な王者である。竹原慎二の十分すぎる実績があっても、この王者に勝つ事は無理だと思われた。私自身、数多くの展開(パターン)を想定するも勝利するイメージが全く出来なかった。当時の「期待の無さ」を物語るエピソードがある。それはテレビ放送についてで、竹原慎二の試合はいつもTBSが深夜に放送していた。しかしTBSはこの世界戦の中継を(期待出来ないという理由で)自ら辞退。そこでテレビ東京が放送権を得るのだが、テレビ東京でさえもゴールデンタイムではなく深夜枠での放送となった。いくらボクシング人気が下火になりつつあった当時でも、ほとんどの世界戦はゴールデンタイムで放送されたいた。深夜だった世界戦放送が「期待の無さ」を物語っている。

そして試合が始まった。ゆったりとしたカストロに対し、竹原慎二はスピードあふれるフットワークとジャブでペースを握る。竹原慎二がどんなにスピードが勝っても、カストロは「いつかしとめてやる」という余裕が感じられるのが怖い。しかし3R竹原慎二の左ボディーブローがカストロの腹をえぐると、カストロは顔を歪めてよろよろと後ずさりしそのまま膝をついた。正真正銘のダウンである。まさかの光景に後楽園ホールは大歓声。カストロは自らマウスピースを落とし時間稼ぎをする。効いている証拠だ。ダウンから立ち上がったカストロはゴングに救われるが、4Rからはさすが名王者、カストロも攻勢をかけ、一進一退の攻防へ突入。竹原慎二のボディーブローで何度もカストロがロープを背にするが、「劣勢と見せかけて大逆転」を何度も演じているカストロは最後まで油断出来ない。終盤は竹原慎二も打ち疲れを見せ、両者はフラフラになりながらも打ち合った。そして判定の結果は竹原慎二が3-0で文句無しの勝利。判定の瞬間の後楽園ホールの熱狂は凄まじいものがあった。

深夜放送だったので「これ夢じゃないか?」と頬をつねったのを思い出す。竹原慎二が教えてくれたのは、ボクシングに「絶対」は無いということ。そしてあれから17年がたったが未だミドル級の日本人世界チャンピオンは彼ただ1人である。どれだけの偉業だったか、この年月が物語っている。