それではベスト2位です。
シリモンコン・ナコントンパークビュー vs 辰吉丈一郎(1997年)
1997年10月、日本が誇る期待のホープ「畑山隆則」が世界戦に挑んだ。当時は日本人の世界挑戦は連続して失敗していたが、世界挑戦前からスターの輝きを放っていた畑山への期待は大きく、当然の事ながら世界チャンピオンとなり、新たな時代を切り開くと誰もが思っていた。しかし世界奪取は失敗となる。そしてそのたった1ヶ月後の1997年11月、かつてスターの輝きを放っていた辰吉が世界再挑戦をすることになる。バンタム級で薬師寺保栄に敗れ、1階級上げたジュニアフェザー級ではサラゴサに2度の完敗。誰もがこの挑戦が最後の試合と思っていた。相手はシリモンコン、日本でおなじみの「ホセ・ルイス・ブエノ」や「ビクトル・ラバナレス」らに圧勝、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのチャンピオンだ。当時のシリモンコンも、辰吉には眼中になく、1番の相手は大きくなった身体による「減量」だったようだ。現に減量をパスしたシリモンコン陣営はまるで勝ったかのように喜んだという。この試合も戦前に両者を比較したが、勝てる可能性は0%、どのようなパターンを考えても勝てる要素は見つからなかった。
試合は体格に勝るシリモンコンが迫力ある攻撃を見せるも、この日の辰吉はフットワークが軽く、左ジャブが効果的に当たる。また減量の影響かシリモンコンに本来のスピードが無く、大きなパンチも辰吉はよく見えて避けていた。そして5R辰吉のボディーが入るとシリモンコンの身体がくの字に曲がる。そしてすぐさまたたみ掛けワンツーでダウンを奪う。なんとか立ち上がるシリモンコンだがダメージが深い。しかし序盤からハイペースで打ち続けた辰吉も疲労を見せ、今度はチャンピオンが大きなパンチで辰吉の身体を大きく揺さぶるシーンも多くなる。どちらがペースを握るかわからない展開だったが、7Rに再びボディーで辰吉がダウンを奪う。興奮の坩堝と化していた会場の声援を後押しに、辰吉が再度たたみ掛けると、シリモンコンは力なくロープまで後退、それを見たレフリーが試合を止めた。
やはりスターというのは此処ぞと言う時に「輝き」を見せるもの。3位の竹原慎二の試合同様、ボクシングに「絶対」は無いことを教えてくれた一戦。しかし忘れてはいけないのは会場の声援の後押しが辰吉の力を増長し、そしてシリモンコンの力を萎縮させたこと。辰吉の強さはもちろん認めるが、熱狂的なファンがあってこの勝利があったように思う。
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