初めてテレビゲームを手にしたのは任天堂が発売した「ファミリーコンピュータ」でした。
調べてみると1983年の発売ですから、私が小学3年生(9才)の頃です。
初めてやったのは父が買ってきた「ゴルフ」や「ベースボール」や「テニス」。
親子でたくさん遊びました。
「あ~くやしい、もう1回勝負しようよ」、「じゃあ、もう1回だけだぞ」、なんて盛り上がりました。
十字ボタンとAボタンとBボタンですから操作も簡単。
まさしく家族の中心にあったファミリー(家族の)コンピュータでした。
その後、「スーパーファミコン」が発売されたのは1990年。
ゲームは進化し、画面は比べ物にならないくらい綺麗になりました。
また、性能向上により、内容も複雑になり、たくさんのことが出来るようになりました。
その複雑さを物語るのが、コントローラーで、
十字ボタンとAボタンとBボタンに加え、XボタンとYボタン、そして上部にLボタンとRボタンが増えました。
思い返してみると、その頃から親はゲームをやらなくなりました。
子供達が多くのボタンを素早く押し、多くのアクションを楽しんでいるのを遠くから眺めていたように思います。
そして家族の中心にあったコンピュータは子供部屋へ行くことになりました。
ゲームの進化と同時に大事な部分だった「ファミリー(家族の)」が取れてしまったように感じます。
先日「任天堂“驚き”を生む方程式(2009年発売)」という本を読みました。
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任天堂 “驚き”を生む方程式 |
井上 理 | |
日本経済新聞出版社 |
そこで出てくる経営者・開発者の言葉。
「最先端の技術を尽くした豪奢な映像美や音楽だけが、人の驚きを生むわけではない」
「家には既に複数のゲーム機があって、お母さんはもう1台もいらないとおもっている。だから、家族の誰からも嫌われないようにしないといけない」
任天堂も「高性能」に向っていたゲーム業界に危機感を持っていました。
そこで、出てきたのが「Wii」や「DS」です。
操作は単純でやりやすく、
「脳トレ」や「Wiiスポーツ」や「Wiiフィット」など、パパやママ(もしくはおじいちゃんやおばあちゃん)も「やってみようかな」と興味が出るような内容です。
まさに「ファミリー(家族の)」が復活したように感じました。
私が親になって、またファミリー(家族)のコンピュータが出てきたのですから嬉しいことです。
しかし、最後に気になることをお話しします。
「DS」や「3DS」などの携帯ゲームは1人1台という時代になりました。
よく見かけるのが家族でいる時間に子供が「携帯ゲーム」に夢中になっているという場面です。
例えば、
レストランにパパとママとお兄さんと妹さんの4人の家族がいました。その家族は料理を待っているのですが、子供達はそれぞれゲームに夢中、パパは携帯電話をのぞき、ママは時間をもて余すように窓の外を見ています。
家族の時間を与えたゲームが、せっかくの家族の時間を奪っているのです。
とても寂しい風景です。
ゲームも使い方によって、家族を集めるツールであったり、家族を離すツールになります。
使う側も注意しなくていけませんね。