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ジョッシュの日記

ジョッシュは好きな映画「big」の主人公の名前からとりました。趣味を大事にしながら長男くんと次男くんの育児に奮闘中です。

自動車教習所のバス運転手さん

2014年09月27日 10時42分05秒 | 思い出
車の免許証を取得するために教習所に通っていた時のこと。

教習所は少し遠く、家の最寄り駅まで送迎のバスが来ていました。

その日もいつも通り教習所で授業を受ける為、予定時刻に停留所でバスを待っていました。

しかし予定時刻を過ぎてもバスが着ません。「どうしたんだろう?」なんて思っていると予定時刻を10分ほど過ぎてやっとバスがきました。

バスに乗るなり運転手さんが「遅れまして申し訳ありません」と謝罪しました。そして皆が座るのを確認して「只今から少し飛ばしますのでしっかりと近くの手すりにおつかまりください」と言いました。

その後はアクセル全開です。

見事なコーナリングです。

乗車客は右へ左へ重力に身体を持っていかれます。

そしてバスは無事に授業前に教習所に着きました。爽やかに「ご乗車ありがとうございました」と言う運転手さんの姿は一仕事を終えたような達成感があります。

「なに清々しい顔をしてんじゃ!」と思いましたよ。だってこれから「安全運転」とやらを学びに行くというのに。

五右衛門風呂って入ったことありますか?

2010年03月13日 09時20分25秒 | 思い出
今日「知っとこ!」という番組で、五右衛門風呂に入りたいという少年が、五右衛門風呂を探しに探して、やっと見つかって入れたという企画がありました。

「五右衛門風呂って何?」という人もいると思いますので、少し説明を。五右衛門風呂とは鉄製の風呂釜のことで、風呂釜に入れた水を薪を燃やして作った火で直接温めて沸かしたお湯に入る形式のこと。とくに直火で沸かしていて底が高温になっているので、踏み板を沈めて入るのも特徴です。

実は私は五右衛門風呂に入ったことがあるんですよ。小学校のころの思い出ですが、三宅島に田舎の家があって、そこが五右衛門風呂だったんです。お風呂は家から離れたところにあって、雨の時は傘をさしながら着替えを持ってお風呂場まで行くということもありました。お風呂場では温度調整が難しいので、お湯がとにかく「熱い」という印象があります。水を足しながらゆっくり足を入れるという感じです。でもその熱さと風呂釜の質感が良い思い出となっています。久しぶりにテレビで見たら入りたくなってきましたが、数年前にお風呂で火事があったらしく、今は無くなってしまったようです。う~ん、残念。

そうそう、お風呂が離れにあると話をしましたが、お風呂で体を綺麗にした後、家に戻る時に、雨が降った後だったのっで足を滑らせて転んでしまい泥だらけになったことがあります。あの悲しみ・虚しさもはっきりと覚えています(苦笑)。

封印された作品

2007年10月07日 00時05分21秒 | 思い出
小学六年生の時、先生からテーマフリーの作文の宿題が出された。私は悩みに悩んだ揚句に、ある本について熱く語ることにした。テーマが決まるとすらすらと筆が走り、あっという間に書き上がった。出来た文章もなかなかよく出来ていて、満足いく結果だ。

後日、先生に自慢の文章を提出して読んでもらった。しかし先生の反応はイマイチ。何も言わなかったが、なぜかチラチラとこちらを見ていたのを今でも覚えている。「反応悪いなぁ」と思ったが、結局先生は「まっいいや」と言って受け入れた。作文の宿題に「まっいいや」って何だと疑問に思ったが、時は過ぎて、いつしかそんな出来事も忘れ、小学生卒業間近となっていた。

そこであの作文を目にすることになるとは夢にも思わなかった。

その日、先生は全生徒に立派な冊子を渡した。表紙には誰かが書いたと思われる絵と「卒業文集」という大きな文字が書かれている。「卒業文集?俺書いたっけ?」と思いながらパラパラめくると、「思い出の卒業旅行」や「いつも遊んだ友達」など卒業文集らしい作品が続いた。

そしてそのままめくると全く卒業文集に似つかわしく無いあの「本について語った」文章が現れた。

先生の話しをよく聞いていなかったので、卒業文集の宿題に全く意味不明な文章を出してしまったのだ。これでは「小学生時代友達のいない、本が友達のような人間」と思われてしまうではないか!

こんなこともありそれ以来「卒業文集」を開くことは無かった。さらに言えば、今はそれがどこにあるのかもわからない。人の話しはちゃんと聞かなきゃいけない。この件については未だに後悔している。でも最後に一言だけ言わせていただきたい。

「先生、止めてくださいよ」と。

大人と子供の笑いのツボ

2007年10月04日 23時01分55秒 | 思い出
小学生の頃、コロコロコミックという漫画雑誌があった。当時の小学生はコロコロ派とボンボン派に別れていたが、私は断然コロコロ派だった。

コロコロには今もテレビでやっている「ドラえもん」があった。でも私が好きだったのは「つるピカハゲ丸君」というギャグ漫画。親父に単行本まで買ってもらい毎日のように読んでは一人で笑っていた。

ある時、本当に面白いので、親父に「面白いから、読んでよ」と言って半ば強引に読ませたことがある。その時の全く笑わず真剣に読んでいた父の姿は今でも覚えている。そして「何で笑わないんだろう」と思ったことも。

最近、マンガ喫茶に行った時に、懐かしの「つるピカハゲ丸君」を見つけた。そしてあの時の笑いを感じたくて、手に取って読んでみた。し・か・し、これが驚くほどつまらない。全くくだらなくて笑えないのだ。

どうやら大人と子供の感性(笑いのツボ)というのは違うらしい。あの時の親父もこんな思いだったのかと思うと、なんだか申し訳ない感じでいっぱいだ。

ストラ~イク、バッターアウト!

2007年01月25日 22時45分00秒 | 思い出
中学生のときに入っていた野球部でのこと。

その日の練習も終盤になり、わが部活は「フリーバッティング」という練習に入っていた。この練習は各人が交代交代にバッターとなり、10球くらいをバッティング練習する。その他のメンバーは守備位置で守る為、実戦に近い練習だ。

私はボールが飛んでこないポジションナンバー1と言っていいライトに守備についた。この部活はメンバーも多かったので、その他にも合せて6名ほどがこの守備位置についている。

10分ほど経ったが、やはり、こちらに飛んでくるボールはほとんど無い。それでも「バッチこーい(バッターこっちに打ってこいの意味)」とバッターに向かって、叶うことのない声を出さなくてはならないことに私は苦痛を感じていた。

その日は野球部の顧問が休みだったこともあり、注意する目も無かったので、私は隣にいたA君と話しをし始めた。たいした話ではなかったが話は盛り上がり、いつしか練習のことは忘れていた。

A君が言った些細なことで私が大爆笑していると、20メートルほど離れたファーストらへんから「お~い、おぉ~い」と声が聞こえてきた。私とA君がその声に気付いて、そっちの方向に顔を向けると、B君が両手を大きく振っていた。

それが何の意味だか判らなかったが、私がその仕草に応え、大きく手を振り替えした。その瞬間、「ドスッ」という音が横でし、隣にいたA君が「あ~ぁ」と言って崩れ落ちた。そして、倒れると同時に飛んだ眼鏡の近くをコロコロとボールが転がった。

すぐにB君がこちらに走ってきた。状況のつかめない私は「A君が倒れた」とB君に伝えたが、何とか軽症で眼鏡を取って起きあがろうとしていたA君を見ながらB君は少し笑っていた。そしてB君は事情を話しだした。

「お前ら暇そうだったから、近くにボールを投げて脅かそうと思ったら、手が滑っちゃってさ。本当に当たりそうだったから、声をかけたんだ。そしたら本当に当たっちゃったよ」と、まるでバスケットボールで3ポイントシュートを入れたかのように自慢げに言った。

そう、隣にいたA君はB君が20メートルほど離れたところから投げたボールを頭に受けて、倒れてしまったのだ。「ちょっと~、ふざけんなよ、痛いよ」と頭をさすりながら抗議をしていたA君を見て、申し訳ないが、私はくすくすと笑い出した。そして、その笑いは3人に広がり、大きなグランドに広がる大きな笑い声となった。

懐かしのゲームセンター

2006年05月13日 19時18分14秒 | 思い出
小学生の頃によく行った「ゲームセンター」がいつの間にか無くなっていました。

あの頃の「ゲームセンター」は「不良のたまり場」となっていて、今のように女の子や家族が気軽に入れるような場所ではありませんでした。私の学校も「ゲームセンター」は立ち入り禁止になっていたのですが、友達と「好奇心」でよく内緒で遊びに行きました。

ゲームのポスターが張ってある横開きのガラスドアを開けると、色んなゲームの音が混ざった大きな電子音が出迎えます。店内は薄暗く、テーブルゲームの明かりが少しだけまぶしかった印象があります。手前がテーブルゲームコーナーで奥にコインゲームのコーナー。中央に店長がいるのですが、そこでは確か50円くらいで駄菓子のカップ麺が購入できました。

今では懐かしい「スターフォース」や「スパルタンX」「テラクレスタ」などのゲームも懐かしい思い出ですが、一番印象に残っているのは、あのカップ麺です。ゲームの合間に息抜きに食べたあの味は何故か知らないのですがとても美味しかったのです。出来ればまた食べてみたいのですが、もう売ってないのかな。でも今普通に食べてみると、おそらく「そこまでは」美味しくないのでしょうね。。。

消えた洋服ダンス

2006年02月08日 00時04分25秒 | 思い出
懐かしい出来事を思い出した。

友達の家はとても大きかった。交代で何度も繰り返しやっていたテレビゲームにも飽きた三人はこの広い家で「隠れんぼ」をすることを思い浮かんだ。

「べつにいいけど、うちのかあちゃん恐いから汚したり散らかしたりするのは駄目だよ」とこの家持ち主である友達の「ダイちゃん」は言った。

そうと決まれば始まりだ。三人は向き合って「じゃんけんぽん!」と叫び手を出した。グーを出したダイちゃんがあっさりと負けて「ちくしょー」と一つ声出して百からのカウントダウンをし始めた。

勝った僕等は隠れる場所を探し、回りを見渡した。「ここはどうかな?」と僕は声を出さずに顎でシゲちゃんに合図し、二人でその部屋に入った。中は押し入れと洋服ダンスが一つある和室で押し入れを開けると上の段には布団があり、下の段には洋服のようなものが入っていた。どちらも子供なら一人くらい入れる隙間がある。ここからが小学生の頭の悪いところで、僕が上の段、シゲちゃんが下の段に隠れた。これでは一度に二人とも見つかってしまうのだが、そんなのお構いない。隠れる場所を見つけて二人は喜んだ。

「・・にい、いち、ぜろ」ちょうど百の数を数え終えたダイちゃんは「どこだ~」などと言いながら動き出した。僕は押し入れの襖をほんの少しだけ空けて外の様子を確認した。ちょうど正面に洋服ダンスが見える。まだこの部屋には来ていないようだ。

数分後、とうとう僕等が隠れる和室のドアが開いた。「この部屋が怪しいなぁ」などと言っている。僕は手を口にあて、笑い声を隠した。部屋に入るとダイちゃんはまず最初に洋服ダンスを怪しんだ。「絶対ここだ」と言い近付く。僕が隠れる押し入れの襖の隙間から洋服ダンスの観音開きのドアに手をかけるダイちゃんの姿が見える。「そこじゃあないのに」と思い、僕はますます笑いそうになった。

そして「おりゃあ」と大きな声を出し、ダイちゃんは思い切りよく洋服ダンスを開いた。すると信じられないことに押し入れのわずか2cm程の隙間から見えた洋服ダンスが大きな音と共に一瞬にして消えたのだ。

何が起きたのか解らない僕は押し入れの襖を開けるとそこには洋服ダンスの下敷きになったダイちゃんが「うぅ~」と手をばたつかせ唸っている姿があった。そう、思い切り空けた勢いで洋服ダンスが前に倒れてきてダイちゃんが下敷きになっていたのだ。

「今から助けるよ」と隠れていたシゲちゃんを呼び、二人は洋服ダンスを持ち上げた。タンスには重いものが無かったようで、なんとか小学生二人でも持ち上げることができ、時間は少し掛かったが元の位置に戻すことができた。

目に微かな涙を浮かべ「死ぬかと思ったよ」とダイちゃんは囁いた。対する助けた二人は絶対絶命の親友を助けたという満足感でいっぱいだった。一時感動的な空気が僕等を包んだ。

「さぁ、気を取り直してゲームでもしようよ」と言うと皆も笑顔で頷いた。そしてダイちゃんの手を掴んで起き上げようとした目の先に「嫌な物」を見てしまった。嘘であってほしいと目を一度とじて再度見たがやっぱりそれはあった。

ダイちゃんの右側1m先に硝子のケースが落ちていた。どうやらタンスの上にあったと思われるそれは結構な高さから落ちたのだが割れることなく無事だった。しかしその中に入っていた日本人形が無事ではなかった。なんと日本人形の首が取れて落ちていたのだ。「あわわわ、かあちゃんに怒られる~」といって再び顔が青ざめるダイちゃん。感動的な場面は一瞬にして崩れた。

その後「ボンドある?ボンドで付けようよ」とのシゲちゃんが言い、ダイちゃんが部屋中走り回った。ボンドが見つかり僕等は人形の修復を始めた。最終的にはダイちゃんの微かに震える手で人形はなんとか首を元の位置に戻し、再び箱に納まってタンスの上に上げられた。

これでドタバタな出来事は終わったのだが、家に帰る道でシゲちゃんに僕は話した。「ダイちゃんの付けた人形の首、ズレてなかった?」。「僕もダイちゃんのかあちゃん恐いから言えなかった」とシゲちゃんは言った。その後、その人形がどうなったか、ダイちゃんのかあちゃんにバレたかはわからない。あえて3人ともその話題には触れなかったから。。。

思い出のミニバット

2005年11月27日 23時16分09秒 | 思い出
野球をやっている少年達を観て、ふと懐かしいことを思い出した。

小学生の頃、学校から帰ってきてランドセルを部屋に投げ入れ、友人の家の隣にあるちょうど一軒家四つ分の広さの草っぱらで野球をするのが僕らの日課だった。一人はバッター、一人はピッチャー、最後の一人は守備、たった三人だったが僕らは立派に野球をしていた。

そんなある日僕らにとって重要な事件が起こった。

おちゃらけてアンダースローで投げた本当に「スロー」な一投を、巨人の淡口の真似して尻を振った友人がフルスイングすると、「パキッ」っと枯れた音がなった。そう、皆で共同で使っていたバットが折れてしまったのだ。僕等は青空に向かって小さくなっていくボールは忘れ、まるで空手選手が足で折ろうとして完全に折きれなかったような半分だけ折れたバットに集まった。

「どうしよう」
「バットが無いと野球出来ないね」
三人は途方に暮れた。

それから数日が経った。僕等は野球ではなく家の中でボードゲームなんかをして遊んでいた。そんな時、折れたバットを持っていた友人が「バットが手に入りそう」と話しをしだした。聞いてみるとそれは三人が野球と同様夢中になっていたプロ野球チップス(野球選手のカードがおまけに付いたポテトチップス)で「当たりカード」が出て、ミニバットが当たるというのだ。僕等が使っていたのは一回り小さいバット、しかもプレゼント説明には「木製」と書いてある。全く問題無い。僕等はまた野球ができることを思い喜んだ。

それからまた数日が経ち、友達が「一応、バット届いたよ」と話した。「一応って何だよ」と意味もなく頭を一回叩いて、「じゃあ今日から野球再開、広場集合」と声をあげた。広場に着いてキャッチボールなどしてバットの登場を待っていた。友人の家のドアが開き「待ってました」と声をあげると、友人はちょうど両手に納まるほどの箱を持っていた。

そう、それはバットだった。ミニバット。大きさ20㎝。

僕等は大きな勘違いをしていたのだ。たかが30円のお菓子に大きな期待をしていたのだ。三人は顔を見合わせ笑った。大きな声で笑った。

その後またしばらくは野球が出来なかったが、一人がバットを買ったことで再開出来た。ミニバットはと言うとその後もう一本当たり二本になっていた。その後はよくわからない。

あの空き地はもう家が建って無くなったが、横を通ると今も思い出し、あの頃のように笑いそうになる。

懐かしの録音ボタン

2005年11月13日 22時50分17秒 | 思い出
「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画がやっているが、まだ生まれていないその昭和の景色になんだか懐かしい思い出を思い出してみた。

親父の使っていたラジカセに自分のお小遣で買ったカセットテープを入れてテレビの前に正座。映っているのは「ザ・ベストテン」。今週も一位となったチェッカーズを録音するため、スピーカーにラジカセを近づけ、少し大きめな録音ボタンに手をかける。

司会の話しなんかは録らず、歌だけ。なんとかバッチリのタイミングで録音ボタンを押そうと、瞬きもせずテレビを観ている。

集中したおかげかバッチリのタイミングで押すことができた。「明日はこれを友人皆で聴くのだ」なんて考えながら、テレビから流れるお気に入りの曲を聴いている。

そんなとき、妹の笑い声が後ろから聞こえた。後ろに振り向き人差し指を口にあて「静かに」とゼスチャー。妹はそれを察し口に手をあてて笑い声をふさいだが真剣になっている私の姿がよっぽど面白かったのだろう、笑い声は徐々に大きくなり指の間から漏れた。

こうなったらもう終わり。「馬鹿、笑い声が入ったじゃないか」「だって面白いんだもん」と喧嘩が始まる。しまいには「やめなさい」と親も参加だ。

喧嘩も落ち着いた頃「カチャ」と音がした。そう、ラジカセは家族の情けない喧嘩を録音し続けていたのだ。チェッカーズはいつの間にやら本当にどうでもよい家族に主役を取られてしまった。。。

その後一度だけそのテープを聴いたことがあるのだが、それはもう汗が出るほどの情けないものでした。今はもう懐かしい思い出、皆さんもこんな思い出ありませんか?

死にそうになったこと

2005年01月20日 01時49分01秒 | 思い出
人間30年も生きていると一度や二度は死にそうになった経験はあるだろう。そんな私の経験の一つを思い出してみる。

あれは幼稚園の頃、家の近くにあった大きな公園での話。その頃は体も小さく、遊具がとても大きく見えた。

その日は公園に入ってすぐの広場にいつもは存在しないすべり台があった。小さな体にはそれがとても大きく見えたのを今でも覚えている。しかしその大きなすべり台は工事中で、登りきったところには手摺りが存在しないものだった。

なぜ登ったのかは覚えていないが、私はそれに登って一番高いところから落ちた。

そこからの記憶は途切れ途切れであまり覚えていない。

まず頭から転落した私を誰かが家まで送ってくれたこと。その人が大変に慌てていたこと。そして家でタオルを頭に当てるがすぐにタオルが真っ赤になったこと。

それ以外は覚えていない。痛みも。それなので時々夢だったのではないかとも思う。でも髪の毛で隠れた部分には縫った後が残っている。