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ジョッシュの日記

ジョッシュは好きな映画「big」の主人公の名前からとりました。趣味を大事にしながら長男くんと次男くんの育児に奮闘中です。

大晦日のボクシング(テレビ東京)

2013年01月04日 13時19分21秒 | ボクシング

昨年末のボクシングの感想です。続いてテレビ東京の試合です。

 

WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ

テーパリット・ゴーキャットジム(王者) vs 河野公平(同級8位)

河野はこれが3度目の世界挑戦。1度目(名城戦)と2度目(ロハス戦)では豊富なスタミナと手数を見せたが小差の判定負け、その後日本人ホープにも2連敗、気持ちが強く良い選手なのだがいまいち決定力に欠けるというイメージで、世界チャンピオンになるとは思えなかった。対するチャンピオンのテーパリットも日本で有名で亀田大毅、清水智信、名城信男などと対戦しいずれも勝利している。こちらも豊富なスタミナと手数が武器の日本人キラーだ。河野に訪れた3度目の挑戦だが、テーパリットが楽な挑戦者を選んだなという思いだった。おそらく本人以外は勝てると予想した人は少なかったのではないか。

この日のテーパリットはガードが甘く、KOを意識してか前のめりで戦っていたように思う。4R河野の左フックがテーパリットのあごをとらえると、テーパリットは前のめりにダウン。その後、ラッシュし2度のダウンを追加しKO勝利。これぞ番狂わせという一戦だった。

思えば2度目の挑戦(ロハス戦)でも素晴らしいパンチでKO寸前まで追い込んだ。河野はパンチ力があるのだと思う。もう少しパンチの精度が上がれば、豊富なスタミナを武器に面白いチャンピオンに化けるかもしれない。最後にテレビ中継の解説が苦労人だった「坂田健史」と「西岡利晃」だった。両者とも世界チャンピオンになるまで苦労したが、世界チャンピオンになってから強くなった。河野も同じ道を歩んで欲しい。

 

WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ

佐藤洋太(王者) vs 赤穂亮(同級5位)

佐藤はこれが2度目の防衛戦。「マジカルボックス」という独特なファイトスタイルで日本チャンピオンを5度防衛、世界戦でも判定ながら圧勝している。この選手の魅力はどこからパンチが出るかわかりにくいところ、そしてディフェンス技術にも自信があり、時にガードを下げて上半身の動きだけでパンチを避けることもある。対する赤穂は思い切りの良いパンチが魅力の典型的なファイター。戦前の大口なコメントはボクシングファンを期待させた。佐藤がうまくさばくか、赤穂がとらえるか、アウトボクサーvsファイターという真逆のスタイルの戦いとなった。

試合は佐藤の圧勝。佐藤のジャブが効果的に入り、赤穂の前進を止めた。また、佐藤がカウンターを狙う仕草を見せるため、これも赤穂の前進を止めたように思う。赤穂は終盤こそ思い切り攻撃したが、前半は全く手数が出なかった。そのためポイントで有利となった佐藤は気分よく試合を展開出来たのではないか。赤穂は戦前のビックマウスからすると、あまりにも慎重な試合振りには落胆した。今はまだ日本チャンピオンレベル、また再度やり直して欲しい。

12Rに発生した停電というアクシデント、難しい判断だが試合続行させたのは疑問が残る。また、これほどの白熱した試合をラウンドカットしたテレビ局には不満だった。佐藤が「勝ちに徹する」と負けにくいチャンピオンになりそうだ、まるで安定王者だった徳山昌守のように。

 

WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチ

内山高志(チャンピオン) vs ブライアン・バスケス(暫定王者)

これが6度目の防衛戦、世界戦でも相変わらずの倒しっぷりである。「ノックアウト・ダイナマイト」と呼ばれるKOパンチャーだが、過去に見てきたブンブンと振り回す選手ではない。アマチュアでの実績があり、左ジャブから丁寧に展開する実にスマートなボクシングだ。相手のバスケスは同級暫定王者で無敗の選手である。

試合は内山がプレッシャーをかけ、バスケスが足を使う展開。何度が内山のパンチがバスケスをとらえるも、バスケスは瞬間的に反らす技術があり、なかなか決定打を当てられない。しかし8Rに内山のパンチが1発当たると、それから約30秒のめった打ち。レフリーが試合を止めた。

内山は倒れない選手をKOする方法もよく知っている。最後の怒濤のラッシュは素晴らしかった。左右のパンチに力があり、顔面ボディー両方、全てのパンチに倒す力があるのは実に魅力的。ただどれだけ強くとも「阪東ヒーロー戦」「三浦隆司戦」でみせた打たれ弱さはどの試合でもつきまとう。相手が強ければ強いほど集中力は増すもの、今後も強豪を相手にスリリングな試合を見せて欲しい。

しかし暫定王者という仕組みは改めていらないと思った。統一戦とはいえ、今回のバスケスもやはり世界ランカーレベルの実力だった。あとボクシングでは過度な演出はいらないと思う。有名人が国歌斉唱を歌ったり、有名人がラウンドガールしたり、そんなところで貴重な番組時間を取るのであれば、カットした佐藤vs赤穂戦の1ラウンドでも放送して欲しい(後日、深夜放送でカットされたラウンドを放送したらしいが、その姿勢は素晴らしい)。



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以上。


大晦日のボクシング(TBS)

2013年01月03日 19時00分00秒 | ボクシング

昨年末のボクシングの感想です。まずはTBSの試合から。


WBA世界ミニマム級王座決定戦

宮崎亮(同級2位) vs ポンサワン・ポー・プラムク(同級4位)

以前から前評価が高かった「宮崎亮」が初の世界挑戦。私自身この世界戦が初めての観戦となるが、前評判どおり全体的(攻撃も防御も)にレベルの高いボクサーと感じた。相手が打ってきたところにカウンターを合わせる気持ちの強さもある。驚異的な打たれ強さとスタミナを誇るポンサワンと最後まで打ち合うほどのスタミナもある。そして打ち合いで流れが悪いと感じると、足を使ってアウトボクシングに切り替えるなど頭の良さと引き出しの多さも魅力的。とにかくこの1試合で私はファンになった。

判定2-1での勝利。ポンサワンの驚異的な粘りでピンチの場面もあったが、ポイント的には宮崎の完勝だったように思う。あえて宮崎に苦言を言うならば、2,3度ほどマウスピースを落とす場面、それは反則とも取れるのでやめたほうが良い。

 

WBA世界ライトフライ級王座決定戦

井岡一翔(同級2位) vs ホセ・ロドリゲス(同級5位)

井岡が本来の階級(ライトフライ)に戻したことで、スピードそのままで力強さが増した感じだった。1R早々に左ボディーでダウンを奪うのだが、世界奪取時のKOパンチと同じパンチ、「井岡には強力な左ボディーブローがある」と世界に発信出来たのは今後の試合に有利になりそう。そのあともKOへ焦ること無く戦ったが、相手のパンチに合わせて相打ちを狙う当たり、ハートの強さを感じるとともに、ハードパンチャーとの戦いではその過信は注意しなくてはならない。

結局3度のダウンを奪ってTKO勝利。きっちり倒して勝つ姿はやはりスターの素質があるのかな。しかし本当のスターになるにはこの階級には避けてはならない相手がいる。日本が誇る天才ボクサー新田豊に圧勝した強豪「ローマン・ゴンサレス(34勝無敗28KO)」である。対格差をうまく使い、KOにこだわらなければいい戦いが出来ると感じている。



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改めてボクシング過去名勝負(ベスト20)をおさらい

2013年01月01日 16時09分23秒 | ボクシング

昨年(2012年)の12月21日にボクシング観戦20周年ということで、私的ボクシング過去名勝負20選を紹介しました。


7回に分けて紹介しましたので、改めて一覧で紹介したいと思います。

詳細な説明は個々のブログにありますので、過去のブログを読んでいただけると嬉しいです。



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(ボクシング名勝負ベスト20)

1. 畑山隆則 vs 坂本博之(2000年)

2. シリモンコン・ナコントンパークビュー vs 辰吉丈一郎(1997年)

3. ホルヘ・カストロ vs 竹原慎二(1995年)

4. 勇利アルバチャコフ vs ムアンチャイ・キティカセム(1992年)

5. 西岡利晃 vs ジョニー・ゴンサレス(2009年)

6. 西岡利晃 vs ノニト・ドネア(2012年)

7. 長谷川穂積 vs フェルナンド・モンティエル(2010年)

8. 長谷川穂積 vs ウィラポン・ナコンルアンプロモーション2(2006年)

9. 井岡一翔 vs 八重樫東(2012年)

10. 山中慎介 vs トマス・ロハス(2012年)

11. 川島郭志 vs セシリオ・エスピノ(1996年)

12. セレス小林 vs アレクサンデル・ムニョス(2002年)

13. 長谷川穂積 vs ネストール・ロチャ(2009年)

14. 山中慎介 vs ビック・ダルチニャン(2012年)

15. 鬼塚勝也 vs アルマンド・カストロ(1992年)

16. 徳山昌守 vs ホセ・ナバーロ(2006年)

17. 西岡利晃 vs レンドール・ムンロー(2010年)

18. レオ・ガメス vs セレス小林(2001年)

19. 薬師寺保栄 vs 辰吉丈一郎(1994年)

20. ウィラポン・ナコンルアンプロモーション vs 西岡利晃(2戦目)(2001年)


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(裏話)

選考に漏れたところで

ホセ・アルファロ vs 小堀祐介

ローマン・ゴンサレス vs 新井田豊

ポンサワン・ポープラムック vs 八重樫東

らもありました。


そして、2012年12月31日の大晦日も熱い戦いが行われました。ベスト20に入りそうな熱い戦いもありましたね。

そういえば、振り返って見てみると次期エースと呼ばれる「内山高志」が入っていません(苦笑)。

しかし、先日登場した「内山高志」も「井岡一翔」も「佐藤洋太」も、そして新たにチャンピオンになった「宮崎亮」も、「未来」があります。是非ともこのベスト20に入り込むような試合を期待しています。

 

以上。


ボクシング過去名勝負(ベスト20)1位

2012年12月31日 09時29分07秒 | ボクシング

さてやっと1位の紹介です。1位はもちろんこちらです。

 

畑山隆則 vs 坂本博之(2000年)

「夢の日本人対決」、私が思い続けたのは「辰吉vs鬼塚」や「鬼塚vs川島」最近では「西岡vs長谷川」。でもなかなか(色んな事情があり)実現しないもの。しかし畑山隆則が2階級目のライト級を制したその日のリング上、自信満々の畑山はインタビューで「次は坂本選手とやります」と高らかに宣言をする。そこから「夢の日本人対決」の実現に向けて急ピッチに事が進んだ。畑山隆則はジュニアライト級とライト級の2階級を制覇、途中人気者だった「コウジ有沢」との激戦も制し、スター街道を直走っていた。対する坂本博之は3度の世界挑戦を失敗(ジョンストン、バサン、セラノ)、幼少時期を暮らした養護施設での壮絶な体験(ザリガニを捕っては食べて飢えをしのいだなど)を経験し、自分の為、そして今も養護施設で頑張っている子供達の為、世界に挑み続ける姿勢は誰もの心を熱くした。とにかく2人は人気があった。しかしその2人の印象は失礼ながら「陽と陰」といった感じがする。嫌みのないビックマウスとKOを増産する切れ味鋭いパンチ、ライトアップされたリングで魅せるパフォーマンスは常に観客を魅了し続けてきた、いとも簡単に2階級目のベルトを獲得した姿は、(減量を含む)苦しい生活から解き放たれた「陽」の畑山隆則。平成のKOキングと言われ、新人王、日本タイトル、東洋太平洋タイトルと豪快な倒しっぷりのスタイルも世界戦では不運に見舞われいつも後一歩届かず。それでも「いつか子供達にベルトを見せたい」と戦い続ける姿は、日の目を見ようと土の中でもがき続ける「陰」の坂本博之。とにかく2人に勝たせたい、そして2人に負けて欲しくない。そんな気持ちで会場(横浜アリーナ)で観戦した。

大勢の観客の中、ゴングがなった。坂本はいつも通り前に出て大きなパンチを振るうスタイルを見せる。対する畑山は足を使かうかと思いきや、坂本の攻撃を真っ正面から受け止め、打ち合いを演じる。ハイペースで始った試合も、中盤まで全くペースは落ちず、まるでボクシング、いや「打ち合いを楽しむ」かのように2人は打ち合った。しかし2人の大きな差「ディフェンス技術」が試合の流れを変えていく。坂本は畑山のボディー攻撃を数多く被弾し、終盤になると動きにキレがなくなってきた。明らかに動かなくなってきた身体だが、聞こえてくる子供達の為に弱気な表情は微塵も見せなかった。9Rはダウン寸前までダメージを負った坂本に、ゴング終了後、畑山がグローブで坂本の身体にタッチしている。明らかに一線を越えて立ち続ける姿に、畑山も思わずメッセージを送ったのだろう。そして10Rそれでも前に出続ける坂本に、畑山のワンツーがヒット。それをまともに受けた坂本はまるでスローモーションのように崩れ落ちた。背中を押し続けてくれる子供達、そして応援し続けてくれるファン達への「最後まで倒れない」という気持ちがスローモーションと感じさせたのだろう。

ボクシングの試合でこれほどまでに感動した試合は無い。2人を「陽と陰」という表現を使ったが、両者とも苦労した過去があり、そして努力し続ける姿があるを知っている。9R終了時の無言のメッセージ、お互い根底にある情熱は一緒だから、何らかの共感があったのだと思う。しかし本当に畑山には防衛して欲しかったし、本当に坂本にはベルトを巻いて欲しかった。結果、畑山は防衛し、坂本はベルトを巻く事が出来なかった。畑山が勝利者インタビューを受ける中、リングを降りた坂本が観客に手を合わせた、それはまるで「ごめん、チャンピオンになれなくて」と言っているように。その瞬間に大粒の涙が出た。時には白黒つけて欲しくないことも、白黒がついてしまう、ボクシングは時に非情だ。


そして「ボクシングは最高に面白いのだ」


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以上。


ボクシング過去名勝負(ベスト20)2位

2012年12月30日 12時49分16秒 | ボクシング

それではベスト2位です。

 

シリモンコン・ナコントンパークビュー vs 辰吉丈一郎(1997年)

1997年10月、日本が誇る期待のホープ「畑山隆則」が世界戦に挑んだ。当時は日本人の世界挑戦は連続して失敗していたが、世界挑戦前からスターの輝きを放っていた畑山への期待は大きく、当然の事ながら世界チャンピオンとなり、新たな時代を切り開くと誰もが思っていた。しかし世界奪取は失敗となる。そしてそのたった1ヶ月後の1997年11月、かつてスターの輝きを放っていた辰吉が世界再挑戦をすることになる。バンタム級で薬師寺保栄に敗れ、1階級上げたジュニアフェザー級ではサラゴサに2度の完敗。誰もがこの挑戦が最後の試合と思っていた。相手はシリモンコン、日本でおなじみの「ホセ・ルイス・ブエノ」や「ビクトル・ラバナレス」らに圧勝、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのチャンピオンだ。当時のシリモンコンも、辰吉には眼中になく、1番の相手は大きくなった身体による「減量」だったようだ。現に減量をパスしたシリモンコン陣営はまるで勝ったかのように喜んだという。この試合も戦前に両者を比較したが、勝てる可能性は0%、どのようなパターンを考えても勝てる要素は見つからなかった。

試合は体格に勝るシリモンコンが迫力ある攻撃を見せるも、この日の辰吉はフットワークが軽く、左ジャブが効果的に当たる。また減量の影響かシリモンコンに本来のスピードが無く、大きなパンチも辰吉はよく見えて避けていた。そして5R辰吉のボディーが入るとシリモンコンの身体がくの字に曲がる。そしてすぐさまたたみ掛けワンツーでダウンを奪う。なんとか立ち上がるシリモンコンだがダメージが深い。しかし序盤からハイペースで打ち続けた辰吉も疲労を見せ、今度はチャンピオンが大きなパンチで辰吉の身体を大きく揺さぶるシーンも多くなる。どちらがペースを握るかわからない展開だったが、7Rに再びボディーで辰吉がダウンを奪う。興奮の坩堝と化していた会場の声援を後押しに、辰吉が再度たたみ掛けると、シリモンコンは力なくロープまで後退、それを見たレフリーが試合を止めた。

やはりスターというのは此処ぞと言う時に「輝き」を見せるもの。3位の竹原慎二の試合同様、ボクシングに「絶対」は無いことを教えてくれた一戦。しかし忘れてはいけないのは会場の声援の後押しが辰吉の力を増長し、そしてシリモンコンの力を萎縮させたこと。辰吉の強さはもちろん認めるが、熱狂的なファンがあってこの勝利があったように思う。

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ボクシング過去名勝負(ベスト20)3位

2012年12月30日 11時36分12秒 | ボクシング

それではベスト3位です。

 

ホルヘ・カストロ vs 竹原慎二(1995年)

日本王座3度防衛。東洋太平洋王座6度防衛。23勝無敗。世界挑戦するには十分すぎる実績である。しかし私を含めて世間一般の評価は「世界挑戦は無謀な戦い」と思っていた。何故か?それは世界で最も層が厚く、そして日本人が誰も踏み込む事(挑戦)すら出来なかった階級、彼が「ミドル級」という「大き過ぎる山」に挑もうとしているからである。相手のカストロについてはWOWOWで何度か試合を観た事があるが、とにかく馬力が凄く、頑丈、そして劣勢に見せてからの大逆転を演じる試合巧者ぶり、まさに強豪、難攻不落な王者である。竹原慎二の十分すぎる実績があっても、この王者に勝つ事は無理だと思われた。私自身、数多くの展開(パターン)を想定するも勝利するイメージが全く出来なかった。当時の「期待の無さ」を物語るエピソードがある。それはテレビ放送についてで、竹原慎二の試合はいつもTBSが深夜に放送していた。しかしTBSはこの世界戦の中継を(期待出来ないという理由で)自ら辞退。そこでテレビ東京が放送権を得るのだが、テレビ東京でさえもゴールデンタイムではなく深夜枠での放送となった。いくらボクシング人気が下火になりつつあった当時でも、ほとんどの世界戦はゴールデンタイムで放送されたいた。深夜だった世界戦放送が「期待の無さ」を物語っている。

そして試合が始まった。ゆったりとしたカストロに対し、竹原慎二はスピードあふれるフットワークとジャブでペースを握る。竹原慎二がどんなにスピードが勝っても、カストロは「いつかしとめてやる」という余裕が感じられるのが怖い。しかし3R竹原慎二の左ボディーブローがカストロの腹をえぐると、カストロは顔を歪めてよろよろと後ずさりしそのまま膝をついた。正真正銘のダウンである。まさかの光景に後楽園ホールは大歓声。カストロは自らマウスピースを落とし時間稼ぎをする。効いている証拠だ。ダウンから立ち上がったカストロはゴングに救われるが、4Rからはさすが名王者、カストロも攻勢をかけ、一進一退の攻防へ突入。竹原慎二のボディーブローで何度もカストロがロープを背にするが、「劣勢と見せかけて大逆転」を何度も演じているカストロは最後まで油断出来ない。終盤は竹原慎二も打ち疲れを見せ、両者はフラフラになりながらも打ち合った。そして判定の結果は竹原慎二が3-0で文句無しの勝利。判定の瞬間の後楽園ホールの熱狂は凄まじいものがあった。

深夜放送だったので「これ夢じゃないか?」と頬をつねったのを思い出す。竹原慎二が教えてくれたのは、ボクシングに「絶対」は無いということ。そしてあれから17年がたったが未だミドル級の日本人世界チャンピオンは彼ただ1人である。どれだけの偉業だったか、この年月が物語っている。


ボクシング過去名勝負(ベスト20)5位~4位

2012年12月28日 13時11分25秒 | ボクシング

それでは今回は4位から5位を紹介します。

 

5位 西岡利晃 vs ジョニー・ゴンサレス(2009年)

初防衛戦をクリアした西岡、2度目の防衛戦は指名試合となる。相手は同級2位のゴンサレス。元WBO世界バンタム級王者で、屈指のハードパンチャーだ。しかも相手国であるメキシコでの試合となった。当時は日本人チャンピオンが相手国に行っての防衛戦を行うというのはあまりなかった。そのため、相手国での防衛成功例となると、1985年の渡辺二郎以来24年振り(Wikipediaより)となる。相手は強豪、場所は敵地、しかも当時のメキシコでは豚インフルエンザが流行しており調整も難しい。まさに3重苦の中、そして満員の観客からの大きな西岡へのブーイングの中、試合のゴングがなった。試合は早くもゴンサレスの右で西岡がダウンを奪われる。しかしここから「世界挑戦に4度失敗」、「アキレス腱断裂」、「決まらない世界挑戦」を経験してきた西岡のハートの強さを見せる事となる。ダウンで目覚めた西岡は持ち前のスピードあるジャブでリズムを作り、左ストレートをボディーに見せつつ決定打を当てるチャンスを伺う。そして3R、西岡の左ストレートがゴンサレスの顔面をジャストミート。まさにワンパンチKO勝利、美しいKOシーンだった。西岡はゴンサレスが倒れるのを見届けると、ゆっくりと背を向けコーナーに歩いていく、なんとも絵になる男だ。このパフォーマンスにより、世界中に「西岡のモンスターレフト」を印象づけた。

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4位 勇利アルバチャコフ vs ムアンチャイ・キティカセム(1992年)

ボクシングなんて「マイク・タイソン」しか観た事なかった。映画ばかりの毎日だった私にあるニュースが届く。「ミッキー・ロークが日本に(ボクシングで)くる」。そしてテレビをつけた私に飛び込んできたのが、このロシア人ボクサー「ユーリ」の試合だった。何の情報もなかったが、実況解説によりロシア人「ユーリ」は挑戦者で、タイ人「ムアンチャイ」がチャンピオン、そしてユーリが勝てばロシア人初の世界チャンピオンになるとのことがわかった。そして試合が始る。初めて見る軽量級ボクサーの動きは私の目を釘付けにした。華麗なフットワーク、スピードあるパンチ、相手のパンチを寸前で避ける防御、さっそく放たれた右ストレートはまるで日本刀のような切れ味で、ムアンチャイをマットに沈める。しかし世界チャンピオンもただ者では無い。3Rには逆にユーリからダウンを奪うのである。まるで公園にあるシーソーのように流れが右に行ったり左に行ったり、いつの間にか初めて観るボクサーに感情移入して大きな声で応援していた。そして試合の展開がどうなるのか判らなくなってきたちょうど8R、ユーリの強烈な右ストレートがムアンチャイの顔面を打ち抜いた。ムアンチャイは前のめりに倒れ、しばらく立ち上がれなかった。そして私も戦慄的な結末に声も出ず、しばらく立ち上がれなかった。「すごいものをみてしまった」そんな衝撃が全身をめぐった。私がボクシングを好きになったきっかけ、ロシア人ボクサーがボクシングの素晴らしさを教えてくれた。


ボクシング過去名勝負(ベスト20)10位~6位

2012年12月27日 13時20分55秒 | ボクシング

少し時間が経ちましたが、3回目は10位から6位を紹介します。

 

10位 山中慎介 vs トマス・ロハス(2012年)

初防衛戦でビックネーム(ダルチニャン)に勝利した山中慎介、「2度目の防衛戦の相手は誰なのか?」、ファンの間で期待が膨らむ中、選ばれたのは元WBCスーパーフライ級王者で、日本でも河野公平や名城信男に勝つなど日本人キラーぶりを発揮しているトマス・ロハスだった。この相手は敗戦こそ多いが、「ジェリー・ペニャロサ」「アンセルモ・モレノ」「ホルヘ・アルセ」などビックネームとの対戦が多い強豪。打たれ弱さもあるロハスなので、山中のKO勝利も予想出来たが、試合は予想を遥かに上回るKO劇を演じた。山中のコンビネーションで前のめりに倒れたロハス、しばらく立ち上がれないほどのダメージ、まさに戦慄のKOシーンだった。

 

9位 井岡一翔 vs 八重樫東(2012年)

日本ボクシングで初めて世界チャンピオンになったのは白井義男さんだ。それは60年前の1952年のこと。その後、日本が公認しているWBAとWBCという団体の世界チャンピオンが数多く生まれた。しかし、この60年もの間、実は日本人の統一王者(WBAとWBCを同時に保持する王者)というのは出ていない。かつて鬼塚勝也(WBA)と川島郭志(WBC)の対戦を期待したが叶わなかった。夢のカードというのはなかなか実現しないのが現実。しかし2人の勢いあるチャンピオン、そしてファンを大切にする2つのジムが協力し、日本初の統一戦が行われることになった。井岡と八重樫、戦前の予想は無敗の井岡が断然有利だった。そしてそのとおり試合を支配する井岡だったが、何度良いパンチを当てても八重樫は怯まない。それどころか前に前にプレッシャーを掛け続ける。終盤は井岡も押される場面が多くなり戦前の予想を覆す「激戦」となった。判定で井岡が勝利するも、敗れた八重樫の評価は落ちるどころか上がった。八重樫へ向けた大きな拍手がそれを物語っている。

 

8位 長谷川穂積 vs ウィラポン・ナコンルアンプロモーション2(2006年)

日本人にとって1番有名な外国人ボクサーは誰か。私はウィラポンだと思っている。皆さんもご存知、辰吉丈一郎を2度も完膚なきまで倒し、先日ドネアと戦った西岡利晃とは4度戦い4回ともベルトを渡さなかった。まさに本物の日本人キラーだったが、2005年に長谷川穂積に判定で負けてしまう。長谷川穂積が強かったのか、ウィラポンの実力が落ちていたのか、再戦は早くも1年後に行われることになる。試合は前戦以上に長谷川のスピードが上回りポイントを重ねる。そして劣勢のウィラポンが意を決して強引に前に出たところ、長谷川の強烈な右フックがカウンターでウィラポンをとらえた。ウィラポンのダメージは重く立ち上がることが出来なかった。長谷川穂積は強かった。ウィラポンは全盛期に比べると力は下降線をたどっていた。時期が違えば真逆な結果もあっただろう。新たなニューヒーロー登場の喜びと、日本人に愛された強豪王者の終焉に寂しさも感じる一戦だった。

 

7位 長谷川穂積 vs フェルナンド・モンティエル(2010年)

ウィラポンを敗った長谷川は試合毎に強くなっていった。重ねた防衛は10度、6度目から10度目までは5試合連続KO防衛をしている。しかし同時にモチベーションの低下、大きくなった身体による減量苦が長谷川を苦しめた。そして11度目の防衛戦は長谷川のモチベーションを高める相手が用意された。モンティエル、WBOの現王者である。試合は初回から両者がハイレベルの攻防を展開。当時日本武道館で観ていたが、あの張りつめた空気は今でも忘れられない。みんなが試合に釘付けで、ラウンド終了のゴングを聞いて、まるでそれまで息するのを忘れたかのようにざわめきだすのだ。そんなハイレベルの攻防の中でも長谷川がポイントを重ねていた。しかし4R終了間際、モンティエルの1発のパンチで形勢逆転。今まで倒すことに重視していた長谷川は、ピンチでの対応を備えていなかった。いっそ倒れてしまえば良かったのだが、ロープを背にして打たれ続けレフリーストップとなった。残念な結果だったが、真の世界レベルのボクシングを観たという感動があった。

 

6位 西岡利晃 vs ノニト・ドネア(2012年)

西岡利晃の最終章は対戦を望み続けていたノニト・ドネアだ。なぜドネアなのか、答えは簡単である。彼が「最強」だからである。近年のボクシングは団体が増え(WBA,WBC,IBF,WBO)、その団体の中でも王者が乱立(スーパー、暫定など)している。だからボクシングは王者になることや防衛をすることだけでは評価されなくなった。複数階級制覇でも弱い相手ばかりだと世界的には評価されない。評価されるには簡単である「強い相手に勝つ」こと。フィリピンのボクサー「マニー・パッキャオ」が評価されているのは、常に強い相手と戦い続け、勝ち続けたからだ。そしてドネアも強い相手と戦い続け、パッキャオの後を追って栄光へと走っていた。ドネアにとって3階級目であるスーパーバンタム級ではすでにIBFとWBOのベルトを手にしていたが、WBCの西岡利晃が最強という声もあり、両者の思いが合致し「最強を決める対戦」が決まった。試合は西岡の9RTKO負け、完敗だった。しかし多くのボクシングファンの夢を叶えてくれた西岡、西岡のボクシング人生は「強い相手に勝つ」というボクシングの素晴らしさを改めて教えてくれた。


すべては夢の過程だから。
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水野 光博
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ボクシング過去名勝負(ベスト20)15位~11位

2012年12月22日 15時23分43秒 | ボクシング

2回目は15位から11位を紹介します。

 

15位 鬼塚勝也 vs アルマンド・カストロ(1992年)

WBAジュニアバンタム級を獲得した試合は「疑惑の判定勝利」と言われ、初防衛戦はTKO勝利するも相手は峠を越えた格下の日本人ボクサーだった。世界を大いに期待された鬼塚勝也の実力は世界王者になってから「疑問」をもたれることになった。そこで迎える2度目の防衛戦、相手は同級1位の指名挑戦者「アルマンド・カストロ」。あの絶対王者であった「カオサイ・ギャラクシー」からダウンを奪った強打の挑戦者である。戦前の予想も「鬼塚危うし」という不利の予想も多かった。カストロの自信は「右手で鬼塚を倒して、左手でお金を持ち帰る」という言葉にも見られる。試合は戦前の予想どおり苦しい展開から始る。1Rからカストロのフックを浴び鬼塚が腰を落とし、1Rのほとんどを鬼塚はロープを背にしてパンチを浴びまくった。なんとかピンチをしのいだ鬼塚は2Rから意を決したように打ち合いに応じる。徐々に鬼塚のスピードが試合を支配していき、ポイントを逆転して最終ラウンドへ。最終ラウンドも逃げずに打ち合った鬼塚の気迫は凄まじいものだった。この試合を判定勝利し、鬼塚は実力を証明した。

 

14位 山中慎介 vs ビック・ダルチニャン(2012年)

WBCバンタム級王者になって初防衛戦が、世界的に有名な「ビック・ダルチニャン」。フライ級とスーパーフライ級の2階級を制覇、スーパーフライ級時代には日本でも有名な「クリスチャン・ミハレス」を倒して3本のベルト(WBA,WBC,IBF)を保持していた強豪だ。ただでさえ難しい初防衛、この挑戦者を選んだ時点であっぱれである。試合は猛牛のように突進してくるダルチニャンを山中慎介は驚くほど落ち着いてさばくのである。文句無しの判定勝利、まさかダルチニャンに勝利する日本人選手が出てくるとは思わなかった。長谷川穂積と西岡利晃が切り開いた世界的強豪とのビックマッチ路線、山中慎介がその道を歩み始めた1戦だった。

 

13位 長谷川穂積 vs ネストール・ロチャ(2009年)

これほど美しいKOは長谷川ならではである。試合開始早々に長谷川は左ストレートを放った時にロチャの左ガードが下がるのを見逃さなかった。そしてもう1度左ストレートを見せておいて(えさをまいて)、案の定下がった相手の左ガードの上に右フックを放ちKOした(とらえた)。長谷川穂積の頭脳的で力強く、そして「美しい」KOシーンだった。

 

12位 セレス小林 vs アレクサンデル・ムニョス(2002年)

セレス小林の2度目の防衛戦は21戦全勝21KO勝利というパーフェクトレコードの強豪ムニョス。ムニョスのパンチ力は評判通りで、迫力満点のパンチを振り回す。セレス小林も1Rは上手く避けていたが、2Rに早くもダウンしてしまう。ものすごいムニョスのパンチに「早くももう駄目か」と思われたが、ここからセレス小林が魅せる。大振りのビックパンチをくりだすムニョスに打ち合いを挑むのだ。何度も何度も大きなパンチをもらっても倒れないセレス小林。大振りの隙へセレス小林のカウンターも入る。「1発いいのが当たれば」とセレス小林への期待が高まったが、6Rと7Rにダウン、8Rに2回のダウンを奪われ敗戦となった。この頃のムニョスは最高に強かった。倒されても倒されても立ち上がり、勝ちにいこうと前に出続けた姿は感動的だった。

 

11位 川島郭志 vs セシリオ・エスピノ(1996年)

「アンタッチャブル」これが川島郭志のニックネームだ。華麗なステップに鋭いカウンター、そしてなんといっても「スリッピングアウェー」と言って相手のパンチが顔に当たる直前に顔を背けて避ける技術。まさに「打たせずに打つ」、日本人最高のテクニシャンだ。そのテクニックを存分に味わえるのがこの試合。同級1位で最強のチャレンジャー相手に、1発も有効なパンチをもらわずに、とにかくパンチを当てまくった。思わず相手のエスピノに同情するほどの圧勝、判定もほぼフルマークだった。試合終了のゴングで自身のコーナーに戻ったエスピノに、陣営の人たちが首をかしげていたのが印象的だった。


ボクシング過去名勝負(ベスト20)20位~16位

2012年12月21日 09時18分49秒 | ボクシング

それでは20位~16位を紹介します。

 

20位 ウィラポン・ナコンルアンプロモーション vs 西岡利晃(2戦目)(2001年)

辰吉丈一郎を完膚なきまでに倒したウィラポン。そして日本人のホープとして期待されていた西岡利晃はウィラポンとの1戦目で完封負けを喫していた。その西岡利晃は帝拳ジムへ移籍。バランスの悪かったボクシングスタイルを向上させてこの2戦目をむかえた。しかし当時のウィラポンは難攻不落の王者、新聞紙面では2回目となる再戦も不利を予想されていた。試合は何度か西岡利晃の左ストレートがヒットしてウィラポンがぐらつくシーンも何度かあり、「ついにウィラポンをとらえるか?」と期待させる展開だったが、後半ウィラポンが巻き返し判定へ。「僅差だけど、日本で開催しているから」とあわい期待するも、結果は3者3様に引き分けで奪取出来ず。1戦目ではハートの弱さを見せた西岡だったが、2戦目は勇敢に打ち合った。踏み込みも鋭く、左ストレートで何度かウィラポンをぐらつかせた。バッティングにより流血しながらも最終回まで打ち合った姿には感動があった。引き分けという非情な判定だったが、西岡利晃の実力が評価された1戦。


19位 薬師寺保栄 vs 辰吉丈一郎(1994年)

みなさんご存知の近年のボクシングでは1番有名な試合。WBC王者の薬師寺保栄と同じくWBC暫定王者の辰吉丈一郎による王座統一戦。視聴率は40%近くを記録した。戦前の予想は辰吉有利。しかし薬師寺は的確なジャブを多くだし、打ち合いたい辰吉を中に入れず、自分の距離で戦った。対する辰吉は弱点である目を腫らし、苦しい試合展開も前に出て手を出し続けた。最後は薬師寺も打ち合いに応じ、大声援のなか試合終了のゴングがなった。結果は頭脳的な戦いでポイントをかさねた薬師寺が判定勝利をおさめる。正直試合自体はレベルが高いとは言えないが、戦前の舌戦から異常な盛り上がりをみせ、選手入場時のあの歓声、辰吉のフェイントで沸く観客、薬師寺の右ストレートで沸く観客、全てが「異常」なほどで試合内容は度外視の盛り上がりだった。試合終了後にみせたお互いを認め合った包容、そして薬師寺の強さを認め薬師寺の手を上げる辰吉、戦前の激しい(でも観ている側が気分を外さない)舌戦があったからこそ、最後のシーンはいつ観ても感動的である。


18位 レオ・ガメス vs セレス小林(2001年)

一見不器用なファイトスタイル、しかしセレス小林の根性は半端ない。日本チャンピオン時代は「世界」を全く感じさせない地味なボクサーだった。当時ルーキーだった石原英康がわずか3戦目で日本チャンピオンのセレス小林に挑んできたのも「比較的安全パイ」と思われていたからであろう。しかし踏み台にはならず、大きな壁となって撃破。世界初挑戦も勢いのあるフィリピンの王者マルコム・ツニャカオに分のいい引き分けを演じた。そして2回目の世界挑戦、相手はこれまた強豪のレオ・ガメスである。この試合も頭脳的に戦った。ボディー攻撃を中心に徐々に弱らせ、終盤にボディーに意識がいっているガメスにボディーから顔面への左ストレートで日本人の大きな壁となっていたガメスをぶっ倒した。セレス小林はそれぞれのファクターを考えると平均的で地味なボクサーという感じだが、それぞれがバランスよく隙がない。そして唯一飛び抜けているのが「ハートの強さ(根性)」だろう。また、じわじわと小林のペースにもっていく戦い方「頭脳」も武器だ。そのような小林の地道なスタイル戦い方に視聴者は感動するのだろう。


17位 西岡利晃 vs レンドール・ムンロー(2010年)

西岡利晃の5度目の防衛戦は同級1位のムンロー。試合は最強の挑戦者を全く寄せ付けず判定勝利。決してムンローが弱かったのでは無く、この日の西岡利晃は動きが良かった。終始動き続けたフットワーク、鋭い左ストレート、強烈なボディーブロー、ここぞというときの連打、これぞ西岡利晃の全てという試合だ。よくKOで勝つよりフルマークの判定で勝つ方が難しいと言うが、この試合は西岡利晃の1番のベストパフォーマンスだった。この後、1戦はさんで海外でのビックマッチ路線へ向うのだが、このムンロー戦がそのきっかけの1つだったように思う。


16位 徳山昌守 vs ホセ・ナバーロ(2006年)

ボクシングスタイルが美しい。徳山昌守は自分の距離を取るのが上手く「打たせずに打つ」ことが出来る数少ないボクサーだ。KO率が低いので人気は多いほうではなかったが、私はこういうボクサーが大好きである。やや気分(モチベーション)にむらがあるのがたまに傷なのだが、気分が乗った試合、とくに最強の挑戦者(同級1位)の「ナバーロ」そして「キリロフ(2004年)」に対してほとんどポイントを取られなく完封した試合は圧巻だった。2001年には海外(韓国)でド派手なKO防衛もしている。決してパンチ力が無い訳ではないが、徳山昌守が勝ちに徹した時は本当に負けない。そんな勝ち方を知っているボクサーだった。チャンピオンの後期はそのモチベーション維持に苦労していたみたいで、「長谷川穂積と対戦したい」と言っていたが、実現しなかった。玄人好みのこの1戦は意外と夢の黄金カードだったように思う。