2回目は15位から11位を紹介します。
15位 鬼塚勝也 vs アルマンド・カストロ(1992年)
WBAジュニアバンタム級を獲得した試合は「疑惑の判定勝利」と言われ、初防衛戦はTKO勝利するも相手は峠を越えた格下の日本人ボクサーだった。世界を大いに期待された鬼塚勝也の実力は世界王者になってから「疑問」をもたれることになった。そこで迎える2度目の防衛戦、相手は同級1位の指名挑戦者「アルマンド・カストロ」。あの絶対王者であった「カオサイ・ギャラクシー」からダウンを奪った強打の挑戦者である。戦前の予想も「鬼塚危うし」という不利の予想も多かった。カストロの自信は「右手で鬼塚を倒して、左手でお金を持ち帰る」という言葉にも見られる。試合は戦前の予想どおり苦しい展開から始る。1Rからカストロのフックを浴び鬼塚が腰を落とし、1Rのほとんどを鬼塚はロープを背にしてパンチを浴びまくった。なんとかピンチをしのいだ鬼塚は2Rから意を決したように打ち合いに応じる。徐々に鬼塚のスピードが試合を支配していき、ポイントを逆転して最終ラウンドへ。最終ラウンドも逃げずに打ち合った鬼塚の気迫は凄まじいものだった。この試合を判定勝利し、鬼塚は実力を証明した。
14位 山中慎介 vs ビック・ダルチニャン(2012年)
WBCバンタム級王者になって初防衛戦が、世界的に有名な「ビック・ダルチニャン」。フライ級とスーパーフライ級の2階級を制覇、スーパーフライ級時代には日本でも有名な「クリスチャン・ミハレス」を倒して3本のベルト(WBA,WBC,IBF)を保持していた強豪だ。ただでさえ難しい初防衛、この挑戦者を選んだ時点であっぱれである。試合は猛牛のように突進してくるダルチニャンを山中慎介は驚くほど落ち着いてさばくのである。文句無しの判定勝利、まさかダルチニャンに勝利する日本人選手が出てくるとは思わなかった。長谷川穂積と西岡利晃が切り開いた世界的強豪とのビックマッチ路線、山中慎介がその道を歩み始めた1戦だった。
13位 長谷川穂積 vs ネストール・ロチャ(2009年)
これほど美しいKOは長谷川ならではである。試合開始早々に長谷川は左ストレートを放った時にロチャの左ガードが下がるのを見逃さなかった。そしてもう1度左ストレートを見せておいて(えさをまいて)、案の定下がった相手の左ガードの上に右フックを放ちKOした(とらえた)。長谷川穂積の頭脳的で力強く、そして「美しい」KOシーンだった。
12位 セレス小林 vs アレクサンデル・ムニョス(2002年)
セレス小林の2度目の防衛戦は21戦全勝21KO勝利というパーフェクトレコードの強豪ムニョス。ムニョスのパンチ力は評判通りで、迫力満点のパンチを振り回す。セレス小林も1Rは上手く避けていたが、2Rに早くもダウンしてしまう。ものすごいムニョスのパンチに「早くももう駄目か」と思われたが、ここからセレス小林が魅せる。大振りのビックパンチをくりだすムニョスに打ち合いを挑むのだ。何度も何度も大きなパンチをもらっても倒れないセレス小林。大振りの隙へセレス小林のカウンターも入る。「1発いいのが当たれば」とセレス小林への期待が高まったが、6Rと7Rにダウン、8Rに2回のダウンを奪われ敗戦となった。この頃のムニョスは最高に強かった。倒されても倒されても立ち上がり、勝ちにいこうと前に出続けた姿は感動的だった。
11位 川島郭志 vs セシリオ・エスピノ(1996年)
「アンタッチャブル」これが川島郭志のニックネームだ。華麗なステップに鋭いカウンター、そしてなんといっても「スリッピングアウェー」と言って相手のパンチが顔に当たる直前に顔を背けて避ける技術。まさに「打たせずに打つ」、日本人最高のテクニシャンだ。そのテクニックを存分に味わえるのがこの試合。同級1位で最強のチャレンジャー相手に、1発も有効なパンチをもらわずに、とにかくパンチを当てまくった。思わず相手のエスピノに同情するほどの圧勝、判定もほぼフルマークだった。試合終了のゴングで自身のコーナーに戻ったエスピノに、陣営の人たちが首をかしげていたのが印象的だった。