ジョッシュの日記

ジョッシュは好きな映画「big」の主人公の名前からとりました。趣味を大事にしながら長男くんと次男くんの育児に奮闘中です。

ボクシング過去名勝負(ベスト20)20位~16位

2012年12月21日 09時18分49秒 | ボクシング

それでは20位~16位を紹介します。

 

20位 ウィラポン・ナコンルアンプロモーション vs 西岡利晃(2戦目)(2001年)

辰吉丈一郎を完膚なきまでに倒したウィラポン。そして日本人のホープとして期待されていた西岡利晃はウィラポンとの1戦目で完封負けを喫していた。その西岡利晃は帝拳ジムへ移籍。バランスの悪かったボクシングスタイルを向上させてこの2戦目をむかえた。しかし当時のウィラポンは難攻不落の王者、新聞紙面では2回目となる再戦も不利を予想されていた。試合は何度か西岡利晃の左ストレートがヒットしてウィラポンがぐらつくシーンも何度かあり、「ついにウィラポンをとらえるか?」と期待させる展開だったが、後半ウィラポンが巻き返し判定へ。「僅差だけど、日本で開催しているから」とあわい期待するも、結果は3者3様に引き分けで奪取出来ず。1戦目ではハートの弱さを見せた西岡だったが、2戦目は勇敢に打ち合った。踏み込みも鋭く、左ストレートで何度かウィラポンをぐらつかせた。バッティングにより流血しながらも最終回まで打ち合った姿には感動があった。引き分けという非情な判定だったが、西岡利晃の実力が評価された1戦。


19位 薬師寺保栄 vs 辰吉丈一郎(1994年)

みなさんご存知の近年のボクシングでは1番有名な試合。WBC王者の薬師寺保栄と同じくWBC暫定王者の辰吉丈一郎による王座統一戦。視聴率は40%近くを記録した。戦前の予想は辰吉有利。しかし薬師寺は的確なジャブを多くだし、打ち合いたい辰吉を中に入れず、自分の距離で戦った。対する辰吉は弱点である目を腫らし、苦しい試合展開も前に出て手を出し続けた。最後は薬師寺も打ち合いに応じ、大声援のなか試合終了のゴングがなった。結果は頭脳的な戦いでポイントをかさねた薬師寺が判定勝利をおさめる。正直試合自体はレベルが高いとは言えないが、戦前の舌戦から異常な盛り上がりをみせ、選手入場時のあの歓声、辰吉のフェイントで沸く観客、薬師寺の右ストレートで沸く観客、全てが「異常」なほどで試合内容は度外視の盛り上がりだった。試合終了後にみせたお互いを認め合った包容、そして薬師寺の強さを認め薬師寺の手を上げる辰吉、戦前の激しい(でも観ている側が気分を外さない)舌戦があったからこそ、最後のシーンはいつ観ても感動的である。


18位 レオ・ガメス vs セレス小林(2001年)

一見不器用なファイトスタイル、しかしセレス小林の根性は半端ない。日本チャンピオン時代は「世界」を全く感じさせない地味なボクサーだった。当時ルーキーだった石原英康がわずか3戦目で日本チャンピオンのセレス小林に挑んできたのも「比較的安全パイ」と思われていたからであろう。しかし踏み台にはならず、大きな壁となって撃破。世界初挑戦も勢いのあるフィリピンの王者マルコム・ツニャカオに分のいい引き分けを演じた。そして2回目の世界挑戦、相手はこれまた強豪のレオ・ガメスである。この試合も頭脳的に戦った。ボディー攻撃を中心に徐々に弱らせ、終盤にボディーに意識がいっているガメスにボディーから顔面への左ストレートで日本人の大きな壁となっていたガメスをぶっ倒した。セレス小林はそれぞれのファクターを考えると平均的で地味なボクサーという感じだが、それぞれがバランスよく隙がない。そして唯一飛び抜けているのが「ハートの強さ(根性)」だろう。また、じわじわと小林のペースにもっていく戦い方「頭脳」も武器だ。そのような小林の地道なスタイル戦い方に視聴者は感動するのだろう。


17位 西岡利晃 vs レンドール・ムンロー(2010年)

西岡利晃の5度目の防衛戦は同級1位のムンロー。試合は最強の挑戦者を全く寄せ付けず判定勝利。決してムンローが弱かったのでは無く、この日の西岡利晃は動きが良かった。終始動き続けたフットワーク、鋭い左ストレート、強烈なボディーブロー、ここぞというときの連打、これぞ西岡利晃の全てという試合だ。よくKOで勝つよりフルマークの判定で勝つ方が難しいと言うが、この試合は西岡利晃の1番のベストパフォーマンスだった。この後、1戦はさんで海外でのビックマッチ路線へ向うのだが、このムンロー戦がそのきっかけの1つだったように思う。


16位 徳山昌守 vs ホセ・ナバーロ(2006年)

ボクシングスタイルが美しい。徳山昌守は自分の距離を取るのが上手く「打たせずに打つ」ことが出来る数少ないボクサーだ。KO率が低いので人気は多いほうではなかったが、私はこういうボクサーが大好きである。やや気分(モチベーション)にむらがあるのがたまに傷なのだが、気分が乗った試合、とくに最強の挑戦者(同級1位)の「ナバーロ」そして「キリロフ(2004年)」に対してほとんどポイントを取られなく完封した試合は圧巻だった。2001年には海外(韓国)でド派手なKO防衛もしている。決してパンチ力が無い訳ではないが、徳山昌守が勝ちに徹した時は本当に負けない。そんな勝ち方を知っているボクサーだった。チャンピオンの後期はそのモチベーション維持に苦労していたみたいで、「長谷川穂積と対戦したい」と言っていたが、実現しなかった。玄人好みのこの1戦は意外と夢の黄金カードだったように思う。



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