共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はパガニーニの祥月命日〜しっとりとした小品《カンタービレ》

2023年05月27日 15時15分15秒 | 音楽
昨日の遠足引率の疲れがもろに出てしまったようで、今日は午前中まではとにかく寝ていました。起伏のある動物園内を駆けずり回ったり直射日光を浴びまくったりしたことで、自分で思うよりかなり身体に疲労が蓄積されているようです…。

ところで、今日5月27日はパガニーニの祥月命日です。



ニコロ・パガニーニ(1782〜1840)はイタリアのヴァイオリニストであり、ヴィオリスト、ギタリスト、作曲家でもあった人物で、特にヴァイオリンの名手として、ヨーロッパ中で名声を獲得していました。上の写真は、パガニーニが亡くなった1840年頃に撮影された銀盤写真です。

パガニーニがヴァイオリンを弾き始めたのは5歳の頃からでしたが、13歳の頃には既に学ぶべきものがなくなったといわれていて、その頃から自作の練習曲で練習していました。それらの練習曲はヴァイオリン演奏の新技法や特殊技法を駆使したもので、今日でも演奏されています。

そのヴァイオリン演奏のあまりの上手さに、当時はパガニーニの鼻の尖った痩せぎすな風貌も相まって

「パガニーニの演奏技術は、悪魔に魂を売り渡した代償として手に入れたものだ。」

と誠しやかに噂されていました。そのためパガニーニの出演する演奏会の会場では、本気で十字を切ったり、本当にパガニーニの足が地に着いているかを確認すべく足元ばかり見ていた聴衆もいたといいます。

パガニーニは少年時代から病弱だったようですが、1820年に入ると慢性の咳など体調不良を訴え、『毒素を抜くため』という理由で下剤を飲み始めるようになりました。また1823年には梅毒と診断されて、水銀療法とアヘンの投与が開始されました。

更に1828年頃には結核と診断されて甘汞を飲み始め、さらに下剤を飲み続けていました。その結果、水銀中毒が進行して次第にヴァイオリンを弾くことができなくなり、1834年頃にはついに引退してしまいました。

そして1840年に、水銀中毒による上気管支炎、ネフローゼ症候群、慢性腎不全により、フランスのニースで死去しました(享年57)。一般に死因は喉頭結核もしくは喉頭癌といわれていますが、主治医の診断から結核ではなかったことがはっきりとしていて、歯肉炎や視野狭窄といった記録に残る症状から水銀中毒だったことは明らかとなっています。

ただ、『悪魔に魂を売った』という生前の噂や、教会に寄付や奉仕をせずに享楽的な生活を送っていたことなどが原因で、パガニーニの遺体はあちこちの墓地で埋葬を拒否されてしまいました。そのため遺体は防腐処理を施された上で各地を転々として改葬を繰り返した末に、死後86年経った1926年になって、ようやくパルマの共同墓地に埋葬されることとなりました。

そんなパガニーニの祥月命日にご紹介するのは、1822年から1824年頃にかけて作曲されたと伝わる《カンタービレ ニ長調》です。

華やかなオーケストラを伴うヴァイオリン協奏曲などが多いパガニーニ作品の中にあって、この《カンタービレ ニ長調》はパガニーニがピアノ伴奏をつけたほぼ唯一の作品と言われています。この曲はカプリスや協奏曲といった超絶技巧の楽曲とは少々雰囲気を異にしていて、どちらかと言うと優しいイメージを有しています。

一度聴いたら忘れられなくなるような伸びやかで優美なメロディは奏者からも聴衆からも人気を博していて、今日でもパガニーニの主要作品の一つに数えられています。極度の超絶技巧は含まれないために一見平易なアンコールピースのように思われてしまいがちですが、実際には幅広い音域で充実した美音を響かせることや、思いの外早いパッセージが含まれることなど、聴いていて感じる以上に演奏家に求められることは少なくありません。

そんなわけで、パガニーニの祥月命日である今日は《カンタービレ ニ長調》をお聴きいただきたいと思います。20世紀の名演奏家のひとりであるレオニード・コーガンのヴァイオリンで、超絶技巧作品とは一味違うしっとりとしたパガニーニをお楽しみください。



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