今日は昼前から段々と雲の広がる、ちょっと生憎な天候となりました。気温も昼にかけて下がっていき、さしもの暑がりの私も
「…寒っ!」
と思ったほどでした。
ところで、今日11月21日はフランシスコ・タルレガの誕生日です。

フランシスコ・タルレガ(1852〜1909)はスペインの作曲家・ギター奏者です。
スペインのヴァレンシア地方、ヴァリャレアルに生まれたフランシスコ・タルレガは、大変貧しい家庭に育ったと伝えられています。 両親が共働きだった為、幼いフランシスコはベビーシッターに育てられていました。
ある日、むづがって泣く幼いフランシスコをあやすことを諦めたべビーシッターは、腹いせに街の汚水処理用の水路に彼を放り込んでしまいました。この時に受けた身体的衝撃と寒さによって幼いフランシスコは生死をさまようほど衰弱し、彼の両目の視力は遺伝的な要因も重なって、遂に全快できないほどの損傷を受けてしまいました。
その後、8歳の頃からギターを始めた幼いタルレガは、学校を休んでまで家計の手助けをしなければなりませんでした。 しかし貧しいながらも芸術好きな父親の理解もあり、ソルフェージュの手ほどきを受けるようになります。
自分の息子に音楽的な才能が眠っていることを予感した父親は、遺伝的にフランシスコの眼が完全に見えなくなった場合でも音楽の道で生きていけるようにと熟慮して、ギターをバレンシア有数の盲目のギタリストであるマヌエル・ゴンザレスに学ばせる他にソルフェージュやピアノも学ばせました。1862年、当時有名なコンサートギタリストだったフリアン・アルカスがタルレガ親子の住む街に立ち寄った時に幼いフランシスコの演奏を聴いて神童と褒め称え、将来は音楽勉強の為にバルセロナへ行くことを強く薦めました。
1874年、22歳でマドリッド国立音楽院に入学したフランシスコはギター、ピアノ、ヴァイオリン、作曲において優秀な成績を修め、 翌年の1875年に開催されたコンクールで第1位を獲得しました。卒業後はバルセロナやマドリードなどの主要都市で多くの演奏会が開いて従来のギター演奏には見られなかった新鮮で独特の奏法で聴衆に熱狂的に迎えられ、ヴァイオリンの名手で《ツィゴイネルワイゼン》の作曲者でもあるパブロ・デ・サラサーテ(1844〜1908)になぞらえて『ギターのサラサーテ』と評されるまでになりました。

さて、フランシスコ・タルレガの作品と言えば何と言っても名曲《アルハンブラの思い出》が有名ですが、ひねくれブログとしてはそんなメジャーな曲は紹介しません(オイ…)。今回、拙ブログで紹介するのは《ラグリマ》という小品です。
《ラグリマ》とはスペイン語で『涙』を意味します。
1891年12月、タルレガは演奏旅行を終えて帰宅した際、妻から娘のコンチータが3日前に亡くなった事を知らされます。一説によると《ラグリマ》は、このコンチータの死に触発されて生み出された作品だと言われています。
甘美で優しいホ長調の主題にもの悲しく感傷的な中間部が同主短調(ホ短調)で交代して現れるところにタルレガの娘に対する愛情と、その死に対する悲しみが表現されているのかも知れません。開放弦が多いことでギターの発表会等でも演奏されることが多い曲ですが、その作曲の陰にはこんな悲しい物語があったのですね。
そんなわけで、今日はタルレガの誕生日を祝して《ラグリマ》の演奏動画を転載してみました。《アルハンブラの思い出》とはまた違った、優しくも哀しいギターの名曲を御堪能ください。