今から10年前の今日、宮城県沖を震源とする東日本大震災が発生しました。
あの日の横浜市青葉区あざみ野は、今日と同じ穏やかな天気の日でした。音楽教室の第2センターの教室で、講師たちがこれから来る生徒たちを迎える準備をしていたら、
…カタカタカタカタ
とビルが揺れ始めた…かと思ったのも束の間
グラグラグラ!!!ガタガタガタガタ!!!
と激しい横揺れが教室を襲いました。
私はとにかく避難路を確保するために教室唯一の出入口に走ってドアを開け、レッスン室のドアを開けて回りました。そこで目に飛び込んできたのは
ゴン!ゴン!ゴン!
という轟音と共に、レッスン室内のピアノがまるで自らの意思を持ったかのように動きだした姿でした。
実際にはそんな長時間ではなかったのでしょうが、感覚としては4〜5分くらいも揺れていたような気がしていました。その最中に明かりが落ちて教室内が暗くなり、女性講師たちの悲鳴が響く阿鼻叫喚の中で不安と焦燥感だけが募っていったことが忘れられません。
やがて揺れが収まってしばらくしてから、先ずは明かりをつけるべく教室内のブレーカーのところに行きました。ところがブレーカーは上がったまま…。
これはビル全体の電源が落ちているのでは…と、ビルの分電盤のところに行ってみました。するとその前には、既に同じビルの各テナントの人たちの姿が…。
そこで分電盤の戸を開けてみたのですが、そこでも全てのブレーカーは上がったまま。状況が把握できずに皆が首を捻っていると、誰かが
「街中が停電している!」
と叫んだので表の通りに出てみると、通りの向かい側の店舗は言うに及ばず、看板や信号機といったあらゆるものが消えていました。
そこからが大変でした。
何しろ停電でテレビはつかない、ラジオもつかない、固定電話が繋がらない、携帯も繋がらない、携帯のワンセグTVも映らない…とにかくありとあらゆる情報源が絶たれ、居合わせた人たちが途方に暮れてしまっていました。我々も講師と教室内の設備が無事なことを確認してからとにかくセンターの戸締まりだけをして、少し離れたところにある第1センターに移動して対策を練ることにしました。
それからしばらくして
「隣のたまプラーザ駅近辺は電気が点いているらしい。」
という情報を得たので、地元住まい以外の講師たちで徒歩で隣のたまプラーザまで向かうことにしました。到着すると本当にたまプラーザ駅を中心とした一角だけが煌々と明かりが点いていて、その光景を見て何人かの講師が泣き始めてしまいました。
明かりの点いているたまプラーザの本店に到着してたまプラーザ店教室勤務の講師たちと無事を確認しあい、ようやくホッとすることができました。そして、そこの教室内にあったテレビで何が世の中で起きていたのかを我々は初めて知ることができ、しばらくは現実に起きていることと認識できずに全員で呆然としていたことを、今でも鮮明に覚えています。
それから後のことも、忘れられません。
常磐線の線路が壊滅状態になって、当時末期がんで茨城県内の病院に入院していた父の元に行くことができなくなりました(結局父は医薬品供給の停滞によって予定を前倒ししたモルヒネ投与も虚しく、1週間後に他界しました)。また福島や茨城にいる親類と連絡が取れず、安否確認がなかなかできませんでした。あの時の不安な気持ちは、今も脳裏に焼き付いて離れません。
その後、連日報道されたのは凄惨な津波の様子と、津波に破壊され尽くした岩手・宮城・福島県の海沿いの街の様子ばかり…観ているこちらにも絶望感しか伝わってこない映像ばかりでした。そんな中である日報じられたのは

降りしきる雪の中、瓦礫に向かって祈りを捧げる若い僧侶の姿でした。
この写真を観た時に、私は涙が溢れて止まりませんでした。こんな厳しい状況の中、ひたすら自らの足で被災地を歩き、瓦礫の山に向かって真摯に祈りを捧げる姿がものすごく尊く神々しい姿に見え、それをできずにいる自らがものすごく不甲斐なく思えたのです。
凍てつく気仙沼で祈りを捧げているこの僧侶は小原宗鑑禅師といい、当時28歳。現在は盛岡市にある石雲禅寺の副住職をされているそうです。
あれから今日で丸10年、復興の進んだところもあれば、福島第一原発事故の影響で今も故郷に帰れずにおられる方々もおられます。犠牲者数は関連死も含めて22200余名にものぼり、依然として2525名もの行方不明者がおられ、自衛隊や警察による捜索が今も行われています。
私は幸いにして…と言っては不遜かと思いますが、親しい人に直接震災や津波で犠牲になった人はいません。ただ、あの震災や津波で大切な方を亡くされ、今も辛い思いを抱えておられる方も沢山おられます。
今日は10年前の震災や津波の犠牲となられた全ての御霊への鎮魂と、残された方への御見舞の意味を込めて、ブラームスの《ドイツ・レクイエム》をお送りします。ただ、全曲で70分以上かかる大作なので、今回は第1曲『悲しむ人々は幸いである』を転載しました。
カトリックのレクイエムがラテン語のテキストに基づく歌詞で書かれるのに対して、ブラームスの《ドイツ・レクイエム》はマルティン・ルターが新たに編纂したドイツ語によるテキストから歌詞が採られています。そして《ドイツ・レクイエム》は死者を悼むばかりでなく、残された人々の心を慰めるものにもなっています。
第1曲の歌詞は
悲しむ人々は幸いである。彼らは慰められるだろう。
(マタイによる福音書5:4)
涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共にその穂を刈りとる。
(詩篇126:5)
種の袋を背負って泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い喜びの歌を歌いながら帰って来る。
(詩篇126:5、6)
というものです。この詞が、大切な方を亡くされながら日々を生きておられる全ての方の気持ちに寄り添うものとなることを願って止みません。
ニコラウス・アーノンクール指揮、ウィーン・フィルとアーノルド・シェーンベルク・クワイアによる演奏にのせて、あれから丸10年という節目の日に、震災や津波で亡くなられた全ての御霊の鎮魂と、今を生きておられる全ての被災者の平安を祈ります。
合掌。