共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

オペラ《細川ガラシア》観賞記

2016年10月15日 23時15分25秒 | 音楽
今日は久しぶりにオペラを観賞しに出かけることになりました。

開演時間が16時のためゆっくりと出られるので、先ずは《Cafeあつめ木》でランチを頂くことにしました。今日はスープのセット、何とも豪華版の『トマトスープのロールキャベツ』でした。



御覧のように、大振りのロールキャベツが丸々2個も入っていて、食べ応え充分のスープです。何しろ具が大きいので通常のスープボウルでは収まりきれず、こんな大きめのお皿でのサーブとなりましたから、最早スープではなく立派なメインディッシュですハイ…。

食後のコーヒーまで頂いて充分にまったりとしてから、会場のある調布へと向かいました。

このオペラ《細川ガラシア》は、1926年に来日したサレジオ会神父ドン・ヴィンチェンツォ・チマッティによって作曲された作品です。今年が日伊国交樹立150年に当たることと、チマッティ神父が帰天されて50年に当たることを記念して上演されることとなりました。

この作品は、恐らく『日本語のリブレットで書かれた最初のオペラ』だと言われています。それまでにも田谷力三等が活躍した浅草オペラや、永井荷風脚本、菅原明朗作曲の《葛飾情話》といったオリジナル歌劇は存在していました。しかし、いわゆる本格的な形式の『オペラ』としては、史上初のフル日本語リブレット作品ということができるでしょう。

題材としては、大河ドラマ等で関ヶ原近辺を扱う際には必ず登場する肥後国細川忠興の妻の玉(珠)、後のガラシアの波乱の後半生を描いたものです。


明智光秀の三女として生を受けた玉は、16歳で肥後の細川忠興に嫁ぎます。しかし、父光秀が本能寺で主君信長を討つと謀反人の娘の謗りを受けて忠興から離縁され、丹後国味土野に幽閉されてしまいます。その後、大坂城建築等の功績により秀吉から復縁が許された忠興は玉の元に使いを出し、玉や侍女たちは大坂の玉造の屋敷に移り住みます(第1幕)。

大坂の屋敷で忠興からキリシタン大名高山右近の信仰の話を聞いた玉は感銘を受けます。しかし、そんな平穏な日々も束の間、やがて秀吉が九州討伐に出陣すると夫忠興も同行してしまいます。

頃は弥生、桜の花が咲き誇る大坂の街中で巡礼の父娘が酔っぱらいに絡まれているところを南蛮寺の神父が助けます。初めは「南無や南無…」と題目を唱えていた父娘でしたが、神父の話に心引かれて南蛮寺に導かれて行きます。

夫の留守中、玉は侍女の清原マリアに連れられて南蛮寺に入りますが、それを通りすがりの笛売りに目撃されてしまいます。折しも秀吉によってバテレン禁止令が出されたばかり。かつて忠興と共に秀吉に仕えた高山右近も棄教を迫られて拒否したため、所領を没収されて行方知れずになっていました。

清原マリアと共に屋敷からいなくなってしまった玉の行方を探す家臣に、笛売りは「笛を買ってくれたら教えてやる」と持ちかけますが、笛どころか、あわや家臣に無礼討ちにされそうになります。最終的に事の次第を家臣達に伝えますが、笛が売れなかった腹いせに「奥方がキリシタンなどと知れたら細川家もおしまい」と捨て台詞を吐いて逃げてしまいます(第2幕)。

宣教師がいないために洗礼を受けられない玉は、前もって神父の許可を得た侍女清原マリアの手によって受洗し『ガラシア(Glatia=神の御恵)』という洗礼名を授かります。

その後、戦で親を亡くした孤児達の世話を見ていたガラシアの元に、徳川家康が上杉討伐のために挙兵し、夫忠興が徳川方に着いたことを知った石田三成がガラシアを人質として大坂城に差し出すよう迫っているという報告を受けます。しかしガラシアはこれを拒否。激怒した三成は玉造の細川屋敷を取り囲み襲撃しますが、ガラシアは虜囚の辱しめを受けることを良しとせず、受洗した身の上ながらも武将の妻として、忠興に命じられた通り一人で散ることを選びます。

ガラシアは娘の多良を清原マリアに託し、多良に「これからはマリアを母と思って成人なさい」と言い聞かせます。多良や侍女達が南蛮寺の神父の手引きによって屋敷を脱したのを見届けたガラシアは屋敷に火を放って家臣に能《教経》の一節を唄わせ、自身も

『散りぬべき時知りてこそ世の中の花は花なれ人も人なれ』

の辞世を遺し、キリシタンとして自害は許されないため家老の小笠原少斉に命じて自らの胸を刃で貫かせ、37年の波乱に満ちた生涯を終えます(第3幕)。


このオペラはオーケストレーションされたバージョンもあるようですが、オリジナルは一部にフルートが入る以外はピアノ伴奏のみで書かれているということで、今回はそのオリジナル版での公演となりました。

オペラと言っても、いわゆるヴェルディやプッチーニといったイタリアオペラの巨匠の作品のような華やかさや激情のうねりといったものはありませんが、場面場面での登場人物それぞれの内面を巧みに表す音楽表現は機知に富んでいて、作曲者の高い音楽性が窺えます。特に玉からガラシアへと変わっていく中で、場面の端々にアヴェマリアやアレルヤといった聖歌が効果的に織り込まれていて、さすが聖職者が作っただけのことはあるなと感心しました。

また、第2幕で巡礼の父娘が神父の導きによって改宗する場面の音楽は感動的でしたし、第3幕でのガラシアと娘多良との別れの場面で、ガラシアが「母の顔を覚えておいで。母の最後の微笑みぞ。」と言って多良をしっかと抱き締める悲しい場面では、会場内の女性客からすすり泣きが漏れていました。そして、侍女達が去った後に歌われるガラシアの辞世『散りぬべき…』に付けられたメロディが余りに美しくて、私は思わず震えました。


今回の演出は、昨年の稲城市民オペラの演出を手掛けられた私の音楽大学の一期上の先輩によるものでした。

舞台上には漢詩の書かれた屏風が一双立て回されています。その奥に南蛮寺を思わせる角柱が4本、そして舞台中央上部にはジョットの聖母子のようなイコンが掲げられています。今回は全ての場面がこのセットの前で演じられ、必要に応じて屏風やイコンに光が当てられたり、背景のライティングを変えたりしていくという、最小限のセットで最大限の効果を見せる演出手法でした。

出演者は女性が垂髪に小袖、ガラシアは武家の奥方らしく打掛を羽織っての登場でした。男性陣は、家老や家臣は地髪に袴姿で太刀を帯き、神父は同じく地髪に修道服といった簡略な姿でした。男性陣が洋装と同じような走り方をしていたのは和装に慣れていないので仕方ないのかも知れませんが、それでも女性陣の裾捌きや袖で泣く姿はなかなか美しいものでした。

またガラシア自害の場面は、屏風の裏にガラシアと少斉が廻ることで間接的に示されていて、さすがと膝を打ちました。この時代の女性の自害は屏風や几帳、襖といった建具の陰で人目につかないようにするものであって、男性の自害のように白屏風の前で大々的に行うものではありませんでした。それなのに、ともすると《蝶々婦人》のようなポピュラーな作品でも最後に蝶々さんが切腹する演出があったりしてガッカリすることがあるのですが、そこはさすがに正統な演出が為されていて安心しました(何の心配しとるんだ…)。



チマッティ神父は生涯に900曲にものぼる作品を世に遺しました。その作品は《細川ガラシア》だけでなく声楽作品やピアノソナタ等、多岐に渡っています。近年、それらの作品の存在が見直され、楽譜や音源が発売されるようになりました。今回の公演には、チマッティ神父の直弟子という神父が来場しておられましたが、そうした生き証人がおられる間に研究が進んで、もっと多くの作品が世に出ることを楽しみにしようと思います。
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