共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

ハイドン《交響曲第45番嬰ヘ短調『告別』》

2024年09月14日 18時28分39秒 | 音楽
昨日の涙のお別れから一夜明けましたが、まだ何となく気分を引きずってしまっているようです。折角の連休の始めにこれではイカん!ということで、今日は音楽を聴いて気晴らしをすることにしました。

いろいろと聴いていたのですが、その中で今日は



やはりハイドン先生にご登場ねがう率が高くなりました。そんな中から、今回は《交響曲第45番 嬰ヘ短調》を取り上げてみようと思います。

《交響曲第45番 嬰ヘ短調》は、ハイドンが1772年に作曲した交響曲です。『告別』の愛称で知られるこの交響曲はいわゆるハイドンの「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)期」の作品の一つで、ハイドンの交響曲全体の中でも人気のある作品のひとつです。

この曲は嬰ヘ短調という、18世紀の交響曲にはほかに見ない調性で書かれていて、第3楽章と終楽章ではさらに嬰ヘ長調(嬰音(シャープ)記号が6つ)になります。有名な終楽章を除いても、第1楽章の激しいリズムや展開部に突然出現する新しい主題、第2楽章の半音階的な進行など、ハイドンの創意が随所にあふれています。

この曲で一番問題になるのが、唯一の移調楽器であるホルンです。

第1楽章と第4楽章のホルンは、1本がA管(ラ)、もう1本がE管(ミ)を、長調の第2楽章では2本のA管を使用していますが、第3楽章では何と2本の『Fis管(ファ#)』ホルンを使用しています。実はハイドンはこの曲と同じく特殊な調性で書かれた第46番とこの曲の2曲のためにホルン用の替え管を特注していて、ハイドン自身による1772年10月22日付けのホルン製造会社宛ての支払書が残されています。

『告別』の愛称はハイドンの自筆譜には見えず、他の18世紀の資料にも見えませんが、19世紀初めから広く使われるようになりました。19世紀初めに書かれたハイドンの伝記の逸話によると、


「エステルハージ家の夏の離宮エステルハーザでの滞在期間が予想以上に長引いたため、大抵の楽団員がアイゼンシュタットの家族の元に帰りたがっていた。このため、ハイドンは終楽章で巧みにエステルハージ侯ミクローシュに楽団員の帰宅を認めるように訴えた。」

「終楽章後半のアダージョで、演奏者は1人ずつ演奏をやめ、蝋燭の火を吹き消して交互に立ち去って行き、最後に左手に、弱音器をつけた2人のヴァイオリン奏者(ハイドン自身とコンサートマスター)のみが取り残される。エステルハージ侯は明らかにメッセージを汲み取り、初演の翌日に宮廷はアイゼンシュタットに戻された。」


とありますが、この逸話を裏付けるような証拠は何も残されていません。

それでも、終楽章で一人、また一人と舞台から消えていく奏者たちを見ていると、こうした逸話が生まれてもちっともおかしくありません。そしてもし逸話が本当なら、『帰りたい』という楽団員たちの思いを嘆願や書面ではなく、音楽で表したハイドンのセンスには脱帽です。

そんなわけで、今日はハイドンの《交響曲第45番嬰ヘ短調『告別』》をお聴きいただきたいと思います。コンラード・ファン・アルフェン指揮によるシンフォニア・ロッテルダムの演奏で、シャレの効いたハイドンのメッセージを聴き取ってみてください。


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