共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日はモーツァルト《2台のピアノのための協奏曲 変ホ長調 K.365》の公式初演日〜コチシュ&デジェーによるデュオ

2024年05月26日 15時55分51秒 | 音楽
今日は朝からなんだか調子がよくなかったので、ほぼ一日寝ていました。それでダラダラ過ごしていたら、いつの間にか夕方近くになってしまっていました…。

ところで、今日5月26日はモーツァルトの《ピアノ協奏曲 第10番 変ホ長調》が
公式に初演された日です。《ピアノ協奏曲第10番 変ホ長調 K.365》は



モーツァルトが作曲した2台のピアノを独奏楽器とした協奏曲で、通し番号を付けて《ピアノ協奏曲 第10番》とも呼ばれています。

このピアノ協奏曲は、1775年から1777年にかけてザルツブルクで作曲されたものです。従来は1779年に作曲されたと考えられてきましたが、近年の研究によって、第1楽章と第2楽章はモーツァルトがおよそ1775年5月から1777年1月の間に用いていた五線紙に書かれていることもあって、協奏曲自体もこの時期に属すると見られています。

モーツァルトは1781年に、ウィーンにいる自分に宛てて父レオポルト・モーツァルト(1719〜1787)からこの協奏曲のコピーを送ってもらっていて、同じ年の11月23日にパトロンであるアウエルンハンマー家での私的な演奏会で、ピアノの弟子でありパトロンでもあったヨーゼファ・バルバラ・アウエルンハンマー(1758〜1820)と共演しています(この時、同時に初演されたのが『のだめカンタービレ』で一躍有名になった《2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448》です)。そして翌年の5月26日にはアウガルテンでの公開演奏でも演奏していて、これが公の場での初演と見なされています。

旧モーツァルト全集では第10番と位置づけられているこの作品ですが、事実上は《3台のピアノのための協奏曲(ピアノ協奏曲第7番)K.242》と姉妹編を成していると考えられています。ピアノ3台という特殊な編成の第7番と同じく、何らかの委嘱によって書かれたと考えられていますが、一方で変ホ長調の輝かしく華やかなこの協奏曲は、


(ヨハン・ネポムク・デッラ・クローチェ『モーツァルト一家の肖像』)

モーツァルトと実姉ナンネル(マリア・アンナ・モーツァルト、1751〜1829)が一緒に演奏するために自発的に作曲されたという説もあります。

2台のピアノはユニゾンで、あるいは旋律を分け合いながら互いに一歩も引かない活躍を見せますが、特に目立つのは3度の音程を保ちながら同じ動きしている点でしょう。そのため、当然のことながら同等の技量を持った2人のピアニストの息の合った演奏が要求される、隠れた難曲でもあります。

第1楽章はアレグロ、変ホ長調、4/4拍子の協奏的ソナタ形式で、ピアノの16分音符の細かい音が終始動き回り、華やかに盛り上げられています。2台のピアノは計4オクターヴのユニゾンによるトリルで、その登場をアピールしています(因みにこの楽章のカデンツァはモーツァルト自身の筆になる楽譜が遺されています)。

第2楽章はアンダンテ、変ロ長調、3/4拍子。ピアノを縁取るようなオーケストラに乗って、2台のピアノが中心となってかけ合いを展開する緩徐楽章です。

第3楽章はアレグロ、変ホ長調、2/4拍子のロンド形式で、愉快で親しみやすいロンド主題をもつ楽章です。この楽章で2台のピアノは同時に異なった音型を奏する場面が多くなり、フィナーレにふさわしい華やかさと幅広さを出しています(この楽章のカデンツァもモーツァルトが遺しています)。

そんなわけで、今日はモーツァルトの《2台のピアノのための協奏曲 変ホ長調 K.365》の演奏動画を御覧いただきたいと思います。ハンガリー出身の2人のピアニスト、コチシュ・ゾルターンとラーンキ・デジェーのピアノによる演奏で、モーツァルトと愛弟子、もしくは愛すべき実姉とが演奏したかも知れない、華やかな音楽をお楽しみください。



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