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共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

気になる…

2012年04月29日 08時13分11秒 | 日記
今日は仕事があるので、朝早く出かけました…(´Q`)。oO

駅へ向かうバスを待っていた時、2車線の右折車線に来た車が何らかのことでちょっとよろけたのです。瞬間、昨今の登校途上の小学生が巻き込まれた京都・亀岡や千葉の事故の映像がフラッシュバックしました。

亀岡や千葉の事故の原因は、どちらも判で押したように「ボ~っとしていた」というものでした。私は免許を取得していないので車の運転をしないのですが、そのことを差し引いても考えられないのです。人間自身では有り得ないくらいのスピードで走る『金属の塊』を操作している時に「ボ~っとしていた」だなんて…。

でも、自転車でもありますが、何でも『慣れてきた頃』が一番危ないということもあるかも知れません。自転車だと、最初はある程度真面目に運転していても、そのうち慣れてくると片手をポケットに突っ込んでみたり、最近だと携帯をいじりながら運転してみたり…で、そういう『いらんこと』をしている時に限って、歩行者や電柱にぶつかったり車と接触したりといった事故を起こしやすいものです。

今回の不幸な事故を引き起こしたのも、亀岡の無免許は論外ですが、それでもこの少年はバイクから無免許運転をしていたようですから運転歴自体は決して短くはないでしょうし、千葉の事故を起こしたのは20歳の青年…仮に彼が18歳で免許を取得したとして、ある程度運転に慣れてきた頃だったでしょう。でも、いくら『慣れてきた頃』とは言え、現場は歩道と車道の境目のない細い道で、しかも通学路だったり通学のためのバス停だったりするところであれば、尚更緊張感を持たなければならなかったことに違いはありません。

《徒然草》の中で、兼好法師が庭師の親方から「一番危ないのは高い木の上にいる時ではなく、ある程度下りてきて『もう少し』と思っている辺りだ」という話を聞いて、いたく感心するというくだりがあります。兼好法師からしてみたらず~っと身分の低い庭師の話も『プロフェッショナルの金言』と受け止めて、そこから学ぼうとしている探究心を窺わせるような話ですが、これは一連の事故にも十分に当て嵌まることではないかと思います。

かつて所属していた楽団の大先達が仰ったことの中に「『慣れ』は『馴れ』に通ず」という言葉がありました。これは、若輩がある程度現場に慣れてきた頃に探究心を失ったり研究を怠ったりしかちなことを戒めるために仰った言葉ですが、この言葉はあらゆる場面に適合する名言だと思って大切にしています。各人それぞれにそれぞれの分野で初心を忘れることなく、敬謙な気持ちと適度な緊張感をもって行動すれば、より良い世界を拡げていけるのかも知れません。自戒の念も込めつつ…。
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