今日も小田原の放課後子ども教室の日でした。
先日も書きましたが、最近この教室の帰り際に子供たちに歌を歌わせるようにしています。ただ、当初は『今月の歌』みたいに月替わりにしようと思っていたのですが、最近の子は凄まじく飽きっぽいので、いろいろな歌を週替わりくらいに歌わせる路線に変更しました。
終わるのが夕方なこともあって、先週は『ゆうやけこやけ』を歌わせました。そして今週は、小田原市で夕方に流している時報チャイムに使われている『ゆりかごのうた』にしました。
前年度まで、小田原市の夕方チャイムは『赤とんぼ』でしたが、今年度から『ゆりかごのうた』に変わりました。これは、大正時代に小田原に8年余もの長きにわたり居を構えた北原白秋の作詞による曲であることが理由となっています。
白秋は小田原の地をいたく気に入り、当初は終の棲家にと考えていたようでした。しかし関東大震災によって住まいが半壊してしまい、東京への転居を余儀なくされてしまったのでした。
白秋が童謡の歌詞に着手するようになったのは大正7年、鈴木三重吉の児童雑誌『赤い鳥』に童謡の担当者として参加した時でした。やがて大正11年に長男の隆太郎が誕生すると、白秋の童謡に対する想いは一層深まったようで、愛する我が子に歌って聞かせるための作品づくりが、ひいては白秋の童謡創作のモチベーションでもあったようです。
白秋が小田原時代に作った主な童謡作品には
赤い鳥小鳥/ちんちん千鳥/あわて床屋/鐘が鳴ります/待ちぼうけ/ペチカ/からたちの花/この道/あめふり…
と、童謡としてだけでなく日本歌曲としても歌い継がれているそうそうたる名作がズラリと並びます。
これだけの名作が自分の住まう小田原と深く関係しているのに、それを子供たちが知らないということが実に勿体ないことだと思うのです。なので、とにかく子供たちに多くの白秋作品を歌わせてみることにして、その筆頭に時報に採用された『ゆりかごのうた』をもってきたわけです。
黒板に歌詞を書いて子供たちに聞いてみたところ、やっぱり殆ど全員が歌詞を知りませんでした。恐らく彼らのお母さんたちも、彼らが乳飲み子だった頃に歌って聞かせたりもしていないのでしょう。
これは由々しき事態です。
ということで、今日は白秋の慈愛に満ちた日本語による名作『ゆりかごのうた』を載せました。NPO法人日本子守歌協会なる団体の音声と画像でどうぞ。
ゆりかごのうた 「 子守唄さん ありがとう 」 NPO法人日本子守唄協会 編著 より