
年始来、ほとんどの平日は無線していない。
写真は水曜日に展示会見に行った東京ビッグサイト。
したがって土日だけの週末DXなのだが、休みは休みでくたびれていたり
家族と何かやったり、外にやることがあったり、等々なかなか無線だけしてれば良い状態にならない。
それでも週末に2日休むことができているのだからこれ以上求めては贅沢というものだ。
で、折角の無線を愉しむ機会の土日であるがコンディションは冴えない。
朝早起きすればそれなりに聴こえているのだろうが、今程度の聴こえ方だと面倒さが優っている。
土曜日の夕方は、20mShort Pathで結構欧州のCQが聞こえたので、東欧及び大陸Z14辺りを数エンティティ交信した。
日曜の夕方はHA Contestやってたので20mSPはHAだらけ。そこでCQ出す欧州局が良く聞こえた。
また、30mCWでPanamaから出ている記念局H33Jと交信した。
それより正月以来、世界史に関する書籍の読書に時間を費やしている。
もともと子供のころから歴史、政経、倫社は嫌いではないが、この歳になって新たな書籍を知ると
我々の時代の学問としての歴史が如何に表面的なもので、だから余計に学習する目的を見失いがちなのだと再認識する。
きっかけは明らかに、切手の整理だ。面倒なことを始めてしまった。
歴史を学ぶという行為は、先人の失敗や経験を知るために重要、と私たちは習ってきた。
しかし、それは半分は合っているが、より重要の方の半分が間違っている。
歴史と言うのは、声のデカい者(権力者、偽善者、御用学者etc)が自分のために残した捏造が大半なのだ。
また学者はじめ歴史に関わる人が、論理的に説明するために簡単に事実が捻じ曲げられたのだ。
この事実を知ることこそが、歴史を学ぶ、と言うことだ。
しばらく熱中しそうだ。