パールライスのつれづれなるままに

日常のちょっと気になった事を気ままに書くブログ
最近は、美術鑑賞・ガジェット紹介が中心です。

エエじゃないか

2017年02月26日 | まち歩き
大宮駅西口にある、ソフマップの前には、こう言うステージが常設されています。
玄人衆にしか分からないアイドルグループが営業に来ます。
浴衣姿、ご苦労さんです。
動いているから、熱いか。(笑)

これぞ暁斎! at Bunkamuraザ・ミュージアム

2017年02月26日 | アート・文化
人気がありますね。混んでいました。
伊藤若冲の様に分かりやすい日本画ですからね。
ダイナミックで鮮やかな色彩の絵も多くあります。
見ていて素直に楽しい。かつ、風刺とユーモアもあります。
その当たりが外人にもウケたのでしょう。


色々なジャンルの絵を描いたのは、食べるために何でも描いたから、だそうです。
西川口にある河鍋暁斎記念美術館に行った時、館内で流れていたVTRで館長(暁斎の曾孫、河鍋楠美)が言ってました。
2年前に三菱1号館美術館で企画展がありましたが、こちらはイスラエル・ゴールドマンのコレクションなので、本邦初公開作品ばかりです。

そして、系統だって展示されているので、暁斎が何者であったのか、理解しやすかったです。
この絵は、ゴールドマンが買い戻した「像とたぬき」です。
夢に見て、ハッと目が覚めるほど、売ってしまった事を後悔したそうです。


河鍋暁斎は、江戸末期から明治中期まで活躍した画家です。
7歳で浮世絵師歌川国芳に入門。続いて駿河台狩野派に学びます。その後、土佐派や四条円山派二も学びます。
駿河台狩野派の師、前村洞和はその才能を賞賛して「画鬼」と呼びました。
カラスは良く描いたそうで、榮太樓本舗店主・細田安兵衛が購入した「百円鴉」で有名になりました。
これはサギですが。(笑)


色々な画法を用いて書いています。
勿論オリジナル画法もあります。動物を擬人化したものや、社会風刺画に表れています。
  

骸骨を書くのも珍しい。
地獄太夫をモチーフに描いたのも。
現世の不幸は前世の戒行が拙いゆえであるとして、自ら地獄と名乗り、衣服には地獄変相の図を繍り、心には仏名を唱えつつ、口には風流の唄をうたったという。(by ウィキペディア)
  

ジョサイア・コンドルが弟子でした。コンドルは、イギリスの建築家で、お雇い外国人として来日。日本の近代建築に大きな影響を与えた人です。鹿鳴館、ニコライ堂、三菱家ゆかりの建築物を設計しています。

晩年は、仏教に帰依し、一日一枚、観音様を描いては、お寺に寄贈して言いたそうです。


色々とエピソードのある人なので、紹介はこれ位にします。

パロディ、二重の声 日本の1970年代前後左右 at 東京ステーションギャラリー

2017年02月22日 | アート・文化
これを美術として鑑賞出来るか?
 

うーん、パロディを楽しむ、でしょう。やはり。
    

元々、パロディは風刺の側面が強かった。
 

パロディが一般化したのは、70年代、読者参加型のパロディ雑誌(ビックリハウス等)が普及したおかげ、と解説がありました。


マンガ、アニメをパロディにしたものが流行りだしたのも70年代から。
それが今でも続いている、との事。
 

これは、電車の広告かな?
 

最後は、著作権との問題。マッド・アマノさんの裁判です。
社会風刺として利用されるのは、大目に見るが、それ以外で利用されると・・・
未だにグレーゾーンですね。


室内には、机と椅子がありまして、かつてのパロディ雑誌が講読可能になっています。
まさか、昔のOUTが読めるとは・・・(分かる人には分かります)

ガラス絵 幻惑の200年史 at 府中市美術館

2017年02月19日 | アート・文化
ポスターカードを見ると、普通に絵画の様に見えます。
しかし、実際には、油彩画のように表面に凹凸がありません。
アニメのセル画の様にのぺっりとしています。そして、ガラスによる映り込みも。外光が画から直接映り込んでいます。
 

ガラス絵は西洋で始まり、アジアを経由して日本に来ました。
今でも、日本ガラス絵作家協会が存在しています。
 

西洋、アジアのガラス絵も展示しています。
これは、中国の作品。
 

藤田嗣治や桂ゆき等有名な画家もガラス絵を描いていたのは、驚きでした。いつもの絵とは微妙に違う感覚を受けましたです。
ちょっと変わった経験を体験できました。楽しかったです。