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民間沖縄対策本部■尖閣海域に中国監視船 震災後初

2011年07月03日 14時07分35秒 | 尖閣諸島
(産経ニュース2011.7.3 11:31)

3日午前6時35分ごろ、沖縄県・尖閣諸島魚釣島の北西約31キロの接続水域境界付近で、中国の漁業監視船「漁政201」が南南東に向けて航行しているのを、海上保安庁の航空機が発見した。第11管区海上保安本部(那覇)によると、3月の東日本大震災以降、尖閣諸島付近で中国の漁業監視船を発見したのは初めて。

 午前8時50分現在も尖閣諸島の接続水域内におり、久場島の北西約29キロを境界線に沿うように北東に向け航行しているという。

 海保の巡視船、航空機が日本領海内に入らないよう無線や電光掲示板で警告、監視しているが、監視船は無線で「魚釣島周辺海域は中国の管轄であり、われわれは正当な業務を行っている」と応答しているという。

 第11管区海保によると、昨年9月の中国漁船衝突事件以降で漁業監視船を発見したのはこれで10回目となる。

 一方、沖縄県石垣市の八重山漁協所属の漁船約10隻が同日朝、尖閣諸島周辺で集団操業するため石垣港を出港した。うち1隻は政治団体が所有している。

 政治団体によると「周辺海域で一本釣りや潜水漁業を行い、映像を世界に配信する。日本の領土・領海だと証明する」としている。尖閣諸島への上陸はしないという。

 漁船は3日午前6時ごろ出港、午後1時ごろ到着の予定。政治団体によると、出港直前に団体の漁船1隻が海上保安庁による臨検を受けた。団体の漁船は4日早朝に帰港する。ほかの漁船は2~3日間操業してから戻る。
中国の漁業監視船の活動の背景と集団操業との関連性について、第11管区海保では「分からない」としている。

(転載終わり)



 

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1 コメント

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尖閣諸島に「第一桜丸」出発 (ありがとう)
2011-07-03 14:27:34
◎教科書採択は「思想戦」だ  〈『明日への選択』平成23年7月号〉より
  ◎今回の教科書採択で問われるのは、果たして安倍内閣時代に行われた教育基本法の改正により教科書は実際に変わったのかという問題だが、遺憾ながら、この改正で明記されることになった「公共の精神」や「伝統と文化の尊重」や「国を愛する心」という言葉に最後まで抵抗しようとした勢力が依然として教科書執筆の世界の中心にいるという現実には何ら変化はない。つまり、教育基本法の内容は根本的に変わったにもかかわらず、彼らのそれを認めまいとする抵抗闘争は未だ依然として「続行中」だということなのだ。

 その象徴が歴史や公民教科書の結論として示される「地球市民として」なる一節であろう。例えば東京書籍の公民には、「わたしたち一人ひとりが地球市民の立場に立って、国境をこえて連帯し協力するグローバルな市民社会が、今まさに求められているのです」とあるし、同歴史には、「グローバル化の中で、わたしたちは日本国民としての意識だけでなく、地球に生きる人間(地球市民)としての意識をもつことが求められています」とされている。つまり、教育基本法やそれに基づく学習指導要領には、「愛国心」だの「我が国の歴史に対する愛情」や「国民としての自覚」が明文をもって示されているにもかかわらず、これらの教科書では逆に「地球市民としての意識」が結論にされているということなのだ。

 それだけではない。これらの教科書を一貫するのは、何とかしてこの「国を愛する心」や「国民としての自覚」に傷をつけ、「国民としての一体感」に亀裂を入れたいとする執筆意図だといってよい。従来より指摘されてきた歴史に関わる自虐記述はあえていうに及ばず、今回の教科書では琉球問題、アイヌ問題に対する異常なほどの力の入れ方がやけに目立つ。「日本国家」などと当然のごとくいうが、所詮はそんなものは権力が作り上げた幻想に他ならないし、要は少数民族抑圧という歴史の所産に他ならないというわけだ。◎
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