時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

プラタナスの鐘

2014-11-14 | essay



風が葉を揺らすと、一斉に鳴るオト。



シャラシャラシャラ と カラカラカラ の 間の 乾いたたくさんのオト。

なんて心地よい音なんだろう。
たくさんの小さな鐘が一斉になっているみたいだ。

なんも おめでたいことがあるわけじゃないんだけれど

他にはだあれもいない木々の下
見上げるわたしの頭上に
祝福の鐘の音を鳴らしてくれているみたいでございました~。

ありがたや~。  我ながらオメデタイ自分であります。

  


ねむり王子

2014-11-13 | essay



長男18歳。彼は時々大きな寝言を言う。ちいさい頃からそうだ。

先日、明け方に隣の部屋から息子の声が。

こんな時間に誰かと電話?? というような喋り方。

  「どんな活動をしているんですか?僕みたいな素人でも大丈夫ですか?」

ん????  

どうやら、続きはないからこれは寝言だ。

こんなにハッキリとした長文は久しぶりに聞いたよ。

翌朝、息子に何の夢みてた?と訊いてみたが全く覚えていなかった。

いったい何の活動の会だったんだろね?
なんかちょっと楽しげな喋り方だったし
夢とはいえ、なんの会に入ろうとしていたんだろ?興味あるなあ。

わたし自身、自分の寝言で目が覚めることもある。
これも遺伝かしら~。


 


なーるほど!

2014-11-12 | 本 のこと



赤瀬川原平氏著の 「仙人の桜、俗人の桜」 を読み始めたら

「は~~!な~るほど!」 と おっさんみたいに膝を打ちそうになった。

仙人 と 俗人 の違い。

山 と 谷 の違い!

山に住むのが 仙人
谷に住むのは 俗人 なるほどなあ。


赤瀬川さんの文章はつくづくツボ。
わたしが赤瀬川さんにハマったのはほんの近年のこと。
もっと前にハマっていたなら講演を聴きに行けたものを。

つくづく 惜しいひとを亡くしたものだ・・・


先日、ふとんの中で、赤瀬川さんのまた別の本を読みながら
とあるページの写真と文に思わず爆笑!

隣のふとんでマンガを読んでいた娘が
「本で大笑いするひとなんているかー!?」と驚く。

だって おもしろいんだもーん。

赤瀬川さんの文章や写真には
時々 すこーん と瞬時にどっかへわたしをすっ飛ばしてくれるような
そんな面白くて奥深い、でも重くないパワーがある。

すっ飛ばされてまたヒュ~ンと現実に戻ってくるうちに
いろんな余計なモヤモヤはすっかり払い落されてるんだな。

本の持つさまざまな効用。

偶然か必然かはわからなくても、ばったり出逢う一冊の本は
そのときの自分にぴったりな処方薬なのかもしれませんね。

 

 


ひっつき虫

2014-11-11 | essay



ひっつき虫のモト。出来たての姿を見たのははじめてかも。



こんなにかわいい小さな黄色い花から こんなトゲトゲの種ができるんだ~。
自然はおもしろいなあ。

そういえば、同じひっつき虫のきみどり色のコロンとしたオナモミの実にはもうしばらく出逢っていないなあ。

それだけ原っぱ生活から遠ざかっているってことなんだな。

秋晴れの公園。
父から、「重くてもう使いそうにないから」と 送られてきたデジタルカメラをお共に束の間のカメラ散歩。
カメラを持って歩くと、時間の流れがちょっとゆっくりになるから不思議だなあ。

 


ほんのちょっとの自信

2014-11-10 | essay




オトナになっても
そのままじゃアカンのかもしれないけれど

成長期のうちは
井の中の蛙でもいいんや と思う。

自分のいるちいさな世界の中で
「ちょっとの達成感」とか
「ちょっとの自信」を得ることで
思いがけなく大きくジャンプできる ってこともある。

褒めることが大事 って
そういうこと なんだなあ。

既にオトナだけど
成長したいひとにも
それはアリかもね。

ダメだダメだと思ってばかりいると
筋金入りのほんまもんのダメダメニンゲンになってしまう。

そこまでいっちゃうと、もう誰にも注意もしてもらえないし
もちろん褒めても煽ててももらえない。

気をつけないとなあ。

 

 


それぞれのさまざまないろいろ

2014-11-07 | essay



ひとりひとりに
さまざまな出来事があって

浮いたり沈んだりプカプカとココロの波間を漂う。

それは今現在、現世にいるひとだけじゃなく
いにしえの時代から、ひとはみなそうやって
ひとりひとりが自分のココロの大波小波を乗り越えて
生きていたわけで。

どんなに順風満帆に見えるひとだって
キズひとつないココロを持つひとなんてどこにもいない。

ひとりひとり、顔が違うみたいに
こころの仕様も模様もそれぞれみんな違う。

だから、そのひとなりの自分に合った方法で
「それぞれのさまざまないろいろ」 を

踏み超えたり
粉々に壊したり
呑みこんだり
遠巻きにして避けたり
自分の一部のしちゃったり
無かったことにしたりしながら

ココロと折り合いをつけていく。

自分の意識と ココロと カラダ 
ひとつのようでいて、実は3つから成り立っているのではないかな・・・
と、近頃感じている。

上手に調和がとれている時と
そうでない時。

いろいろあって当たり前。
ちょっとチグハグなくらいがニンゲンらしくていい、って思う。

あまりにも大きく、自分で修正が効かないほど3つのバランスが崩れると・・・
お医者さんの出番になるわけで。


なにごとに於いても、バランスって大事なのですねえ。

 




天秤にかける

2014-11-07 | essay




原発再稼働。。。

「安全」と「経済」はそもそも天秤にかけるものではないのにね。

経済を優先させることで
安全に暮らす権利を捨てざるをえない。

かなしすぎる非情な選択。


どこで間違えたのだろう。


原発事故の未だ悲惨な現状を見ないふり・・・ってわけにはいかないのにね。




ゆうやけおつきさん。

2014-11-05 | essay



家を離れて、日常ではない場所に身を置くと
いろんなことが見えてくる。

次男坊、急性肝炎のための約2ヶ月の入院生活を終えます。

未だ反抗期の彼にも
いろんなことが 見えてきたことを 願います。


何事も、いい経験! と思うことにいたしましょう。。。

入院中に16歳になった彼。いつの間にかもう大人なんだよね。

この期間は、わたしにも子離れのいいステップとなったことでしょう。

おかえり~。

病室から見る最後の夕焼けとおつきさんは
幸先の良いあたらしいスタートを明るく彩ってくれているように見えました。




ハーモニカおじさんの「What A Wonderful World」 

2014-11-03 | MUSICのこと



トゥーツ・シールマンスのLive DVDを観た。アルバム「90years」のボーナスDVD。

Toots Thielmans の奏でるハーモニカは、
言葉に表せないほど清らかで心地いい。

20代の頃、ジャズ・ピアノを勉強中だったともだちが
聴かせてくれたアルバム「For My Lady」が最初の出逢い。
あれから20数年・・・。

2011年の東京公演。もうすぐ90歳というご高齢での来日。
すごく行きたかったのだけれど家の事情で行けなくて涙を呑んだあのLive。

先日、引退宣言したと何かで読んだ。

本当に最後の東京公演になってしまったんだね。

おちゃめなハーモニカおじさん。Toots Thielmans
お元気でいてほしいな。


DVDの中で、
「私の最初のジャズ・ミュージシャンのヒーローはルイ・アームストロング」とにっこり。

「What A Wonderful World」 と曲名を
アームストロングの声真似で紹介してむせちゃってる~。 
唯一無二の名ハーモニカ奏者の超偉大なお方なんだけれど
お人柄の可愛らしさが滲み出てるよ~。

アームストロングの唄う「What A Wonderful World」は
世界遺産にしてもらいたいくらいの名曲ですよねえ。

トゥーツ・シールマンスのハーモニカで聴く
 「What A Wonderful World」も
ずっとずっと聴いていたいくらい心地いい。。。

世の中にはいろんな出来事が渦巻いて
やるせないことも多いけれど

それでも 世界は、ちゃんとうつくしい。。。ってことを忘れずにいなくちゃね。

改めて考えさせられました。

Toots Thielmans  引退しても、永遠です!

 


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