時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

廻る時間、過ぎた時間。

2014-05-07 | essay



この春、卒業した次男と入れ替わりに娘が入学した中学校。
重いスクールバッグをちいさな肩にかけ、
楽しげに友だちと通う道。

保護者会、公開授業。。。
長男から数えると、親にとっては七年目の中学校なのに
フレッシュな気持ちで校内を歩くわたし。。。

一年前の今頃は
中学校の傍を通ると
校庭から聞えてくる体育の元気な掛け声や
校舎から聞えてくる合唱の練習の唄声に
こころをキュウっと締め付けられてちょっと涙が出そうだった。

ひとりひとり違うからいいんだもん。
ってわかってはいても
学校に行かないという道をわざわざ行く我が家の次男坊を思うと
こうしてみんなで一緒に汗を流したり
こころを合わせて合唱をがんばったりするかけがえのない時間を
彼は逃してしまったんだなあ・・・・と
とてもエンプティーな気持ちになってしまうのだった。

次男の不登校・・・
全く予期せぬ出来事だったわけではない。

「いつもニコニコ笑っていて穏やかね」 と、周りの皆に言われる子どもだったけれど
外でのニコニコのぶん、家では癇癪を起こす。
ひとに注目されることを酷く気にして外では自分を解放できない。

自意識過剰で、人一倍ものを想うコドモだけれど、
家では、ありのままの「素」の自分を出せているから大丈夫って
タカをくくっていたのは親の驕りだったんだよね・・・。

小さいなりに、こころの中で吹き荒れる嵐を笑顔で繕っていたんだよね。
家と外とで、バランスを保つことにこころを砕いていた彼に
親として何かできることがあったはず・・・と反省する。

外と家とのギャップがより顕著になってきたのは高学年になったころ。
それでも、彼なりに自分と折り合いをつけようと頑張っていたんだと思う。

六年生の頃、信頼の置ける担任の先生に話すと、
「学校でも安心して自分を出せるよう、私も引き出してみます。」
と言ってくださったものだが・・・。

そしてとうとう、中二の初夏、「もう学校へは行かない」と登校を拒否。
思春期、反抗期も重なって、自分自身にも翻弄されながら
ぎりぎりいっぱいまで頑張った末の「不登校」だったのだろうと思う。

周りのひとは、原因探しに躍起になっていたけれど
わたしには、彼が、そうするしか自分のこころを守れないところまで
きてしまったのだということがよくわかった。

ここまできてしまうと親が出来ることは
子どもを全力で守ってあげることだけ。
そうかといって、反抗期の男子。。。
自分探し遭難中の息子に母親に出来ることは、
せいぜい彼が位置確認のために振り返った時のために、
そっと後ろにいて、安心させてあげることくらい。。。


高名な心理学者の先生の講演を聴きに行ったときに
機会があって次男の話をしたら、

「彼は、今、自分を再構築しているんだと思います。
ひとが自分を再構築するというのは、今まで通りの生活のままでは
できないことなんですよ。
全部壊して、一から作り上げる必要があるんです。
それがこの不登校という状態を選ばせたのだと思いますよ。
でも、彼は今そう出来てよかった。この時期にちゃんと気づいてよかった。
大人になってからやっと気づいて、全部壊すことになるひとだってたくさんいるんですよ。
それはとても大変なことなんです。」

「今でよかった」 この先生の言葉は、わたしのこころに
ものすごく説得力を伴って沁み入ってきたので、一字一句覚えている。
そして、乾ききった土に雨の恵みが降るように
わたしに不思議な安堵感を運んできてくださった。

彼はこの春、中学校へ戻らないまま義務教育を終えた。
それでも自分再構築が完了したわけではない。
「不登校」を卒業して通信制の高校生となったけれど、
まだまだ彼の葛藤は続いている。
「不登校」による副作用も大きい。

それでもひと頃に比べたら、基礎工事はそろそろ終わる頃かな。

これから自分らしい時間を積み重ねて
だんだんに、生きやすい歩き方を見つけていってほしいな。と母は願います。

自分が主役の、自分の人生を生きること。
それはもう誰かに教えてもらえるものではないから。。。


入れ替わりに入学した娘の担任は、偶然にも次男の担任だった先生。
子どものこころをとてもよく理解して無理に押したり引っ張ったりすることなく
上手に呼吸を合わせてくださるので、
自然に子どもたちの信頼を得ることができるとてもいい先生だ。

公開授業の日、廊下でお会いした時に、
「おかげさまで、なんとかキャンパスに通っています!」
と報告すると、パーッと顔を輝かせて一緒に喜んでくださった。
ありがたいことです。。。

過ぎた時間はもう戻らない。
それでも全部、確かに通ってきた時間。

そしてこれからやって来る時間も
たいせつにたいせつにちゃんと味わって見送りたい。

先日訪れた山本有三記念館で啓示的な一文に出逢った。

床の間の掛け軸にかかっていた、「 自然は急がない 」というコトバ。
有三氏が座右の銘にしていた言葉なのだそうだ。

「自然は命令しない。自然は急がない。だが、一秒たりともなまけてはいない。」

ニンゲンも自然の一部。
太古の昔から先人達もまたそうであったように、
ありのままにそれぞれがそれぞれのペースで
自分らしく生きて行けたらいいな・・・と、思います。







古いおうちにひっそりと。

2014-05-06 | 古い建物 のこと



なんだか かわいい。

古いお邸の中の「かお」に見える洗面台。

   もう だあれも 使ってくれないの・・・ 

と つぶやきが聞こえてきそう。

蛇口をひねったら 涙がじゃーじゃー出そうな・・・
ちょっと寂しげな洗面台でした。


昔の蛇口は味わい深い。。。
すきなもののひとつです。 


       

 




 


女子のアンテナ

2014-05-04 | essay

 

連休中、中一の娘は部活と合気道で忙しく、
お休みがあるのはたった一日だけ!

どこか行きたい? と訊ねると
原宿にある洋服店の名前を挙げる娘。
あらそう?
先日からわたし、銀座でやってる「ムーミン展」に行きたいアピールしてたんだけれどなあ~。

中学生が読むファッション雑誌を図書カードで買ってきたり、
だれだれちゃんがイメージモデルをしている服がカワイイとか
女子らしいことを言い出し始めた我が家の末っ子長女。

出掛けたこの日はたまたまモデルさんがお店にくるイベントの日だったようで
なんだかすごいひとひとひと。
わたしのケータイを手に、写メを撮りにぐいぐいと人混みへ潜りゆくムスメ。。。

あれ~?いつの間にそんな逞しい子に?
そんなところでムスメの成長を感じ入る母なのでした。

明治神宮前駅まで直通で行けるようになったし
今度はそろそろともだちと一緒でもいいかな~。

 
あちこちでいろんなイベントに長蛇の列が。
流行りものに疎く、しかも並ぶ文化に同調できないわたしには、
原宿はなんだか昔からアウェイな街なのでした~。



 


五月の風を。

2014-05-02 | essay



川沿いの道を選んで自転車を飛ばす。

雨上がりの五月の空気は、本当に緑のカヲリ。

空気に色がついているみたいだ。

 遊べるようなキレイな川ではないけれど
水面がきらきら陽に反射してきれいだなあ・・・と
自転車の速度を緩めると・・・前方の道路に・・・あれは紐?

近づくと、あれれ動いてる。 ヘビだ!ヘビだ!わあ、ヘビだ!久しぶりに見たなあ。
あちらも慌ててひゅるひゅると土手の草陰に隠れてしまいました。

 ヘビ好き長男が一緒だったなら
きっと一瞬にして捕まえていたことでしょう~。

今日は、アゲハ蝶もひらひらと舞う陽気。

初夏ですねえ。

五月の爽やかな緑のカヲリのなかにいると
いつもきまって
詩人・立原道造が病床で言ったという言葉を思い出す。

  「五月の風をゼリーにして持ってきてください」

ほどなく、彼は24歳という若さで夭逝してしまう。

うつくしい言葉です。

そして、とてもせつないコトバです。


 


ダリルの家

2014-05-01 | MUSICのこと



もう永いことだいすきなホール&オーツ。
ダリル・ホールがインターネットで放映している「Live From Daryl's House」は
クオリティーの高いライブ番組。

最新episodeを観てびっくり。
もうあの広大な土地にあるすてきな白い家、Daryl's Houseじゃなくなっていた。

前回の番組のラストで、衝撃発言。
Daryl's House を新しくしちゃうって???どーゆーこと?
しかもダリルがふざけて家を爆破するCGまで・・・。

終の棲家的なすてきなお屋敷だったのに、どうなってしまうのか・・・って思っていたら、
番組放映は、ニューヨーク州のポーリングという町の古い建物に場所を変えていた。

ヤンマーのショベルカーに乗って現れたダリルが言うには、
ライブも聴けてレストラン、バーもある自分のクラブにする計画らしい。
まだまだ建設途中みたい。エクサイティングだ!って嬉しそうに言うダリル。
今回は町名まで言っちゃうんだから商業的にやっていくってことなのかな。

「Live From Daryl's House」 が本当に生で観れるなら
わたしマジで行きたい。Pawling, New York!

ネットでも、すばらしい臨場感のあるライブ番組。
今回のエピソードのゲストはAmos Lee というひと。
このひとも、同じ匂いのするいい唄声。
「I'm In A Fhilly Mood」を演奏していた時のダリルの、
シンパシーに思わず緩むスマイルがいいね。。

すごく初期の曲「When The Morning Comes」の演奏もよかったなあ。
この曲もすきだなあ。

この番組は、ゲストとメンバーが
互いの音と声を最大限に生かしたセッションを
心底楽しんているのがひしひしと伝わってくるのが最大の魅力。
こんな極上ライブ、ぜひ生で堪能してみたいものだなあ。
でも、ファン心理的には、番組はこのまま観客を入れずに放映し続けてほしいな。
今のこのライブの、ラフで親密な空気感はきっと無くなってしまうから。


なんかね、ちょっとへこんだりしても
永年ファンのミュージシャンが、年齢を重ねても
こうして人生を音楽を楽しんでいる姿をみると
こちらまでしあわせな気持ちになるよね。

来日ライブに行くたびに、そしてこうしてダリルズハウスを観るたびに
このひとのファンでいてよかった。って毎回思う。

15歳の時に「Kiss On My List」の一曲でわたしのこころに飛び込んできた一粒の種は
30数年経って、今やこころにしっかり根を下ろす大木となっております。

つくづく 「すきなもの」 は、生きるチカラの源ですねえ。





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