糸が切れた操り人形は、ただの木偶人形になる。
それが人の躯なら、人が背負う、人の定めの重さから逃れられた幸運な者かも。
だけどぅ、どんなに運命を変えようとして死に物狂いで足掻いても、
人の人生に雁字搦めに絡められた運命の糸から、
果たして人さんは、逃れることなんかできるんやろかぁ。
例えばどんな事をしてでも、運命を変えることができるものならば、
いったいそれはどんな方法なんだろう?
そして、どぅやったらその方法が手に入るのだろうか。
何処に往けば、それは知りえるののだろぅ?
だけど誰かが知ってるのだろぅ、その方法をぉ・・・・・・
遺棄された襤褸な人屑のようになって、バァさんの店の土間に横たわり、
グッタリト、糸の切れた操り木偶人形みたいに、全身から力の抜けたタダノ物体。
見たこともないような化けモンみたいな、馬鹿デッカイ男を運ぶことは、
生きている普通の人間を動かす、その何倍もの力が要る。
運転手、力が抜けキって躯がグニャグニャに為った大男の背後から、両脇に腕を回し、
なんとか抱え上げ、表の舗道に乗り上げて停めてる車まで運ぼうとしていた。
「姐ハン、モッソトそっちの方をモッテんかッ!」
「ソッチって、どこやのんッ?」
「足ぃもってどないするねんッ、コッチの膝の裏お持たんかいなッ!」
「持ってるがなッ!ぁッ!抜けたッ!わッ 」
バァさんの手には、巨大な四足動物みたいなバケモンの左足の、大きな靴だけが残る。
舗道に落ちたバケモンの踵が敷石を打つと、乾いた硬い音がした。
運転手、男を力任せに抱えようとしながら、それを観ていた。
ッデ、踵が落ちたとき、鈍い音じゃぁなく乾いた音だったから思わず問うた。
「なんやねん、コイツの脚はセメントかいなッ!」
「ゥンショッット!重とおて!・・・・・ギィ・・ッ!やねん 」
バァさん、外人の両脚を歯ぁ喰いしばりながら脇に抱え込んで喋るので、
ナニを言ってるのか、ハッキリ聴き取り難くかった。
「ぇ~!なんやって、聴こえんがな?」
「義足やってッ 」
「ギソクゥ? なんや?」
「脚ぃないねん モそっと上手に運ばれんのんかッぁアンタッ!」
ッデ、バァさん、人が力んで奥歯を噛む歯軋り音、久しぶりに聞いた。
「やかましぃわいッ!ぅ!・ぅん・ギリッ!」 ット。
「ぁッ!チョット待ちんかッ 」
「もぉぅ!ドナイヤねん!ッ」
「ッ!血ぃやがな!」
運転手、その言葉に驚いたのと、力尽きかねて男の躯を投げ出した。
男の後頭部が舗道に落ちると今度は鈍い音がした。運転手直ぐに男の黒いコートの前を開く。
「脇腹やな、姐ハン焼酎やッ 」
「アホッ!こないな時になにゆうねんッ!」
「(傷の)消毒やがな、忘れたんかいなダボがッ!」
バァさん、憎まれ口に反応しないで一升瓶を取りに行く。
「そないにケチらんとギョウサンかけんかいな 」
「アンタの車が汚れてもえぇんかッ 」
「ぁッそやな、チョットよぉ見えるように開くわ 」
「チョットあんた、ウチのデバ(包丁)やがな、なにすんねんッ!」
「緊急事態やがなッ!」
運転手、手馴れた感じの手捌きで、男の衣服を包丁で切り開いた。
「刺し傷やな、アンガイ浅いんとチャウの?」
「脂肪が厚いみたいやから、此れヤッタラえぇかもしれんなぁ 」
「アンタの診たてはえぇ加減やからなぁ 」
「姐ハンにゆわれとうないがな 」
「どないしたんやッ!」 ット、突然ッ、ふたりの頭の上から訊かれた。
男に覆いかぶさって傷を覗き込んでいたふたり、驚いて言葉もなく首を後ろに回し見上げる。
「ナッなんやもぉぅ!アンタかいなッ!脅かさんときんかぁ、ァホッ 」
「ニィチャン吃驚させたらアカンがなッ!ほんまにぃ! 姐ハン何方ハンやッ?」
「ぅぅん、チョットな・・・・、知り合いやねん 」
「ぉかんッ なにあったんやッ!」
「アンタにおかんゆわれとうないッ!」
「誰にやられたんやッ!」
「知らんがなッ!」
「知らんで済まんがなッ!」
「知らんもんは、知らんゆうてるやろ、アホかッ!」
「チョットチョット姐ハン、コナイナ時に喧嘩はないやろぉ、ニィチャン手ぇ貸してんか、なッ 」
ッデ、三人がかりでなんとか男を車の後部座席に押し込んだ。
「姐ハン、ワイの車に乗せるんわえぇけどな、どないしたらえぇねん?」
「せんせぇに、電話入れとくさかいに連れていきんか 」
「センセェ・・・ッテ誰や?」
「〇〇医院の先生やがな 」
「ぇ~、アッコはアカンで 」
「なんでや?」
「ワイ、不義理してるさかいになぁ 」
「アンタの不義理がなんか知らんけどな、緊急事態なんとチャウんかいなッ!」
「はよぅ(ハヤク)せんと、死によるがなッ!」
先に車の助手席に乗り込んだ、若い男が怒鳴る。
「ウチ、電話しとくな 」
バァさん、駅構内の公衆電話に向かって走り出した。
その背中に、運転手が怒鳴る。
「ワイが謝ってるゆうといてなッ!」
バァさん、後ろを視ないで手ぇ振った。
運転手が車に乗り込むと、煙草の煙に混じって血の匂いがした。
走り始めると、運転席のドアの窓を全開にする。
「今日は、ついてへんなぁ・・・・・」
「なにがですんか?」
「ニィチャン、姐ハンのなになん?」
「身内の者ですわ 」
「身内ッテ?」
「訊いてどないしますのん 」
「別にぃ 」
医院はそんなに走らなくても直ぐに着く距離だったけど、
運転手にとっては、長い時間だと感じた。
『トコトンついてへんがなッ!厄日やでッ!ボケがぁ!』
ット、心で毒づいて、大きく息を吸う。
無性に腹が立っていたが、何処にも持って往きようがなかった。
助手席の男を盗み視ると、ジャンバーの前が少し開いてて、
ズボンのバンドに、鈍い輝きの得物を差してるのが視える。
「ニィチャン、あんた筋モンの玄人かいな?」
「オッチャン、それがどないしたん?」
「どないもせんがな、そやけど素人には見えへんさかいになぁ 」
「ナンも知らへん方がええこともあるんやで、オッチャン 」
「そぉやな、ぅん、そぉやな 」
「オッチャン、ぉかんの店の常連かいな?」
「昔からの知り合いやがな 」
「昔ぃ?」
「ぁあッ 」
「何時からや?」
「おまえな、知らんでえぇことかて在るんやで、なぁ 」
「そらそぉやな 」
医院に着くまでふたり、なんにも喋らんかったそうです。