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横浜スローライフ -- My slow life in Yokohama

位置情報、地理情報に関するサービス、その他日常生活から思ったことを気ままに記す不定期のんびり日記

不可逆的な体験

2016年03月06日 23時15分06秒 | スローライフ
 このほど、12インチのMacBookを購入した。

 私のMacBookAir履歴は2009年6月に13インチのAir(初代デザイン)を購入した時からスタートした。その13インチはバッテリーが2時間持たず、しかも重さが1.4キロもあったので、2010年11月に現在のデザインである11インチのMacBook Airを購入、小型軽量で満足していたが、バッテリーの持ちが今ひとつであったのと、ストレージが128ギガだったので満杯になり、2013年6月に256ギガのに買い替えた(ブログをサボっていた時期なので投稿記事は無い)。こいつは仕事のメインマシンとして、文字通り目が覚めてから眠るまで、実に活躍してくれた。しかも、一度も故障しなかった。今なおバッテリーが3~4時間持つという優等生だ。ただ、メモリは4ギガ、ストレージが256ギガと、スペック的にはちょっとしんどくなってきていた。

 もう一度MacBook Air11インチを買おうかと思い、AppleのWebストアを見ていたら、「整備済品」(何らかの事情でメーカーに返却された製品を修理したもの)で、現行製品の12インチMacBookが新品の2割ほど安い値段で売られていることを発見した。しかも、メモリは8ギガ、ストレージが512ギガと、これまでの倍である。これはお得だ。Retinaディスプレイというのも期待を持った。

 翌日発送され、翌々日には到着。早速開封の儀を行う。
 アップル認定整備品と箱に記してある

 新古品でありながら、包装から本体、付属品まで何一つ瑕疵が無い。

 今まで使っていたMacBook Air11インチと並べてみる。

 短辺はほぼ同じ、長辺が少し短い。重量もわずかに軽い。なんと言っても薄い(これまでのMacBook Air11インチでも十分に薄かったが)。にもかかわらず、key自体のタイピングも不自然さが無い。良くできている。また、色(グレー)は落ち着いていて、質感が高い。なんと言ってもRetinaディスプレイの良さが際立つ。きめ細かさは抜きんでていて、「どうしてもっと早くRetinaマシンを買わなかったのだろう」とすら思う。You can't go back. もうAirに戻れない。

 印刷物と変わらないくらいに感じる解像度

 この不可逆的な体験は、Appleの製品・サービスが私に幾度となく提供している。最初はiPodとiTunes、そしてiPhone3G(これは人生の中でも最大級)、iCloud(とりわけ写真)、iPhone4(Retinaディスプレイのすばらしさを体験した)、MacBookAir(3機種計7年近く愛用)と続く。今回の12インチMacBookは、さらにもう一つ体験を提供してくれたようだ。

ラストワンマイルの消滅 - 固定電話がメタル回線から無線になった話

2016年02月12日 14時04分57秒 | スローライフ
 自宅の固定電話が、メタル回線から無線に変わった。

 我が家の固定回線はNTTではなくKDDIの「メタルプラス」という契約を結んでいた。そのサービスが今年6月末をもって終了するにあたり、後継サービスとして「ホームプラス」電話があるとの案内がしばらく前に届いた。世の中無線やFTTHが主流になり、メタル回線は採算性の悪いものになってしまっていたのだろう。

 説明書きを読むと、ホームプラスはメタル回線には接続されないが、固定電話として使えるとある。どうやって実現するかという技術的な説明は書かれていなかったが、どうやら携帯電話回線を介して仮想的に固定電話環境を実現する仕組みのようだ。かかってきた固定電話はKDDI側で携帯電話網に転送され、自宅の専用機器に着信し、それを固定電話形式の信号に変換する。逆にかける電話は専用機器で携帯電話網に転送され、KDDI側で固定回線に変換され、NTT網に渡される。この仕組みによりKDDIは、それまでNTTに支払っていたメタルの借り受け料が不要になるので、収益性が大幅に高まるだろう。

 先日、その切り替え工事が行われた。白い小型のボックスは、070で始まる携帯電話番号があてがわれている。それに従来の電話機からのモジュラーを差し込む。そしてボックスの電源を入れる。たったこれだけで工事完了。電話もファックスも従来どおり使える。ただし、110番などの緊急番号発信者の「位置情報検出」ができなくなるらしく、それへの注記が付してある。
 これに070で始まる携帯電話番号が設定されている

 今まで、固定電話は必ず自宅のモジュラーに接続しないといけないので、置き場所を限定されていたが、この仕組みを使うと、どこに持っていっても良いことになる。要するに「固定」しなくても良い。理屈の上では、KDDIの携帯電話さえつながるエリアにいれば国内のどこに移動しても「固定電話」として使えるはず・・(?)

 そうすると、一体固定電話って何なんだろう?と疑問すら出てくる。既に携帯電話しか持っていない世帯が増えている中で、我が家は使用頻度が大幅に低いにもかかわらず、固定電話を維持している。思い切って捨ててしまっても、そんなに大きな害は無いと思うので、単にノスタルジーを感じて踏み切れないだけとも言えるかもしれない。

 それにしても、「ラストワンマイル」をあっさりとクリアするこの手法、とても地味な領域であるが、メタル回線網に必要な設備、電柱、電話線とそれを敷設して維持するための人材を究極的に不要とする、とてもドラスティックな革新である。
 空っぽになったモジュラージャック

カシオのスマートウォッチ発売に、まず「腕時計である」ことの価値を見る

2016年01月07日 21時44分30秒 | スローライフ
カシオからスマートウォッチが発売された。
「あ~、そうなんだ、カシオも出したんだ」くらいに思っていて、そのニュース記事を読んでみたら、まさに同感するコンセプトをカシオの製品担当者のコメントとして書かれていたので、私もひとこと書きたくなった。

「ふだん表示が真っ暗なものは、時計としてはありえないという考え方でいる。腕時計はさっと確認でき、“チラ見”で見られる文化を育んできた中で、なにか操作しないと時刻を見られないのは使い勝手を損ねており、それは時計として実用レベルではない」

これだ。私は昨年のApple Watch発売と同時にそれを購入し、ほぼ3ヶ月間使い続けてみた。その結果、時刻をチラ見ができないことへの不便さに耐えかねて、それまで使っていた腕時計(カシオのOCEANUS)に戻すことに決めた(Appleファンの1人としては、Watchの初物は大事に手元に置いているが)。Apple Watchは、クルマを運転している際のナビゲーションで、「トントン」と叩いて曲がり角を知らせてくれるのは感動して気に入ったのだが、正直それ以外の強い魅力を日常生活からは感じられなかった。それでも、腕時計としての「実用性」が満たされていればApple Watchを使い続けたと思うのだが、上記の引用コメントにあるように、普段表示が真っ暗で時刻を見たい時にはわざわざ腕を動かして自分の側に傾けなければならないという仕様には、とてもイライラさせられた。

私は、腕時計に装飾品としての価値を感じるタイプではないので、求めることは実用性のみ。電車移動が多いので、簡単に正確な時間を知りたい。頑丈であって欲しいし、極力バッテリーの持ち時間を気にしたくない。カシオの今回の製品は、「電池寿命は通常使用で約1日以上、時計のみの表示であれば約1カ月以上」と記事に書かれている。これは素晴らしい。もし、Apple Watchがこのくらいの仕様だったら、今も愛用していただろうに。

ともあれ、今回のカシオのスマートウォッチは、まだ手探りでちぐはぐ感のあるこのジャンルを成熟に向かわせる、まさにスマートな一石を投じたと思う。

190回目のサイクリング

2015年12月29日 14時47分45秒 | スローライフ
冬空の元、サイクリングに出かけてきた。今日はいつもの「いたち川」(柏尾川の支流)を走るコースだ。およそ11キロ、40分程度で手軽に行ってこられる。今日は顔や耳が冷たくて痛くなったものの、陽射しがあるのでウインドブレーカーの下は薄着でも汗をかかない程度の快適な体感だ。

自転車は5年前に買ったもので、その当時からRunkeeperというアプリを使っていて、その記録によると、今日がちょうど190回目のランとなる。月に3回少々のペースだ。悪天候もあるし、花粉症で走れないシーズンや週末にかかる出張も多かったから、自宅にいる週末の大半はサイクリングに出かけていたことになる。季節が良ければ北鎌倉や、さらには由比ヶ浜まで足を延ばすこともある。

始めた当時は、少しふっくらしてきた贅肉を減らし、鈍ってきた足腰を鍛え直したいと思っていたが、その2つの目的は見事に達成された。そしてひたすら漕ぎ続けることは、いろいろストレスがたまりやすい環境におかれている身にとって、その解消に意外にも効果があることがわかり、今ではサイクリングは私の日常の一部になっている。

いたち川は季節の移り変わりを楽しめる。川辺の風景の変化はもちろんだが、流れる水の色や川面の様子も季節によって大きく違う。鳥や虫たちの鳴き声も様々だし、川辺の遊歩道を歩く人や遊ぶ子供達にも季節感が溢れる。特に夏のザリガニ取りに興じる小さな子供達を見るのは微笑ましい。さらに5~6年前までは我が子と魚獲りに興じたポイントを通り過ぎる際には、当時が懐かしく思い出される。走っていて実に趣がある。

横浜のこの地に引っ越してきてほぼ15年が経った。たまたま住み着いたこの地であるが、それなりの都市的利便性と三浦半島・鎌倉に連なる樹林帯との境目に位置していて、ONとOFFいずれもへのアクセスが満たされて満足している。縁が続けば長くこの地に住みたいと思っている。

発表会まであと3週間

2014年07月05日 11時25分21秒 | スローライフ
 今月末は、バイオリンの先生門下の発表会があり、私はチャイコフスキーの「メロディ」とバルトークの「バイオリン二重奏」(全44曲の中から3曲のみ)を弾く。ここ数年、バッハの「無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ」ばかりを弾いてきた我が身にとっては、ジャンル的に結構なチャレンジであるが、弾いていて結構楽しい。梅雨空の湿気のもとでは、バイオリンは響き方がどうしても鈍くなるが、それでも、思い切り弾けた時の爽快感は格別だ。

 問題は練習時間の確保。

 経営者としての時間はいくらでも欲しい位なので、バイオリンの練習にどうしてもしわ寄せが来る。普段夜は不規則で練習はまず無理。練習をするとすれば、平日の朝、仕事に出かける前の15分くらいしかない。わずかな時間しか無いので、練習量も圧倒的に不足しているのだが、毎日継続するのは、いろいろな意味でメリットがある。まず、勘が鈍らない。この効果は大きい。出張で1週間程練習をしていないと、明らかに勘が鈍って調子がおかしい。次に、集中力が増す。朝の慌ただしいわずかな時間で練習するので、とても集中して真剣にやれる。逆に集中できない朝もあるが、そんな時は体調がイマイチだったりするのがわかる。そして、もちろん継続は力なりという、少しずつでも曲を覚えたり、弾き方を身につけたりという効果がある。

 と、うんちくはいいが、3週間後に迫った発表会、だんだん焦って来ている。

 

愛用のバイオリン。高校時代に親に買ってもらったもので、ストラディバリウスの1721年モデルのレプリカ。フランス製で100年くらい経っているようだが詳細不明。弓は兄から借用しているMa Long Di作の逸品。この組み合わせが、とても素敵な音を奏でる。

週末は由比ヶ浜まで

2012年11月10日 21時38分57秒 | スローライフ
 この1ヶ月ほどは気候も良いので、週末のたびに鎌倉の由比ヶ浜まで自転車で行っている。住まいから由比ヶ浜までは片道13㎞ほど、北鎌倉、鶴岡八幡宮を経て、45分ほどで到着する。往復でも1時間半なので、あっという間だ。

 由比ヶ浜から穏やかで広い海を眺めていると、とても開放的な気持ちになり、日頃のストレスがいくらばかりは解消される。繰り返して行っているうちに、もっと海の近くに住みたくもなっている。湘南っていいな、と本当に思う。

 由比ヶ浜から(正面に見えるのは伊豆大島)

 由比ヶ浜は波が穏やかな湾の奥にある。波が無いのにサーファーやウインドサーファーが実に多数いる。日によっては数百人も。そして、広めの駐輪場では、のんびりと休憩する自転車愛好家達が多数いる。もちろん私のその一人。

 稲村ヶ崎から江ノ島を望む(西方向)

 元気があれば、由比ヶ浜から国道134号線を西へ向かい、稲村ヶ崎まで行くのも良い。稲村ヶ崎の公園は10年ほど前、当時まだ小さな子ども達と来て、トンビに弁当を持って行かれた記憶がある。天気が良ければ、この正面方向に富士山が見える。

 七里ヶ浜から稲村ヶ崎方面(東方向)を見る

 稲村ヶ崎からさらに足を延ばして134号沿いに七里ヶ浜まで行くと、太平洋の大海原を全身で感じることができる。正確にはここは相模湾の一部なのだが、その雄大さは外海そのものだ。江ノ電の鎌倉高校前の駅がそばにあり、こういう青春もいいなぁと思う。

 私の自転車

 私の自転車は、ヤマハの電動アシスト型である。普段から運動していない身には、横浜の急坂は手に余るだろうと思って2010年に購入した。当時は体重が60キロを超えるほどもあり(今は50キロ少しまで痩せた)、ちょっとした坂道の走行に苦労したからでもある。アシスト機能のおかげで私のサイクリングは細々と続けることができている。

 バッテリーは有限なので、せいぜい25キロほどの走行距離しか持たない。由比ヶ浜との往復で27キロほど。七里ヶ浜まで行くと36キロ。このため、平坦な道ではアシスト機能をOFFにしている。

 ちなみに、バッテリーとモーター部分の重量が結構あって、軽量なロードバイクに比べると、10キロほど重い。バッテリーが切れてしまうと、単に重たいだけの悲惨な状況になる。実際、そういう経験は最初の頃に遭遇した。今では、自分の体力、風、バッテリーの状態を総合的に判断しながら運転するようになっているのでひとまず避けられている。


カーシェアリングを利用してみた

2012年03月18日 18時37分20秒 | スローライフ
 最近、カーシェアリングをあちこちで聞くようになっていたが、実際に使ってみたので、その感想を少々。

 クルマは納得のいく一台を所有したい、という気持ちは、私の育った世代には比較的強いのではないかと思う。私自身は、結構メカ好きだし、完成度の高いものにはお金を払ってでも所有したい、という衝動が働く。この衝動は、特に20代の頃は自分自身でコントロールすることができず、25歳(1988年)でBMWの3シリーズを購入してしまって、お金が続かずに2年後に泣く泣く手放すなど、失敗も体験している(でも、すごくいいクルマだったなぁ~)。

 己の所有欲を満たすためにいくら「浪費」を許容するのかは、その人の懐事情と価値観によって大きく異なるが、冷静に考えれば考えるほど、クルマを所有することは無駄が多い。私の場合、結婚以降は一切クルマに浪費をしなくなっており、結局もう10年以上マツダのデミオを乗り継いできて来た。取り回しが良く、燃費も裏切らない。ここ数年は、レンタカーでもデミオを指定しているので、スイッチの操作も身体になじんでいる。

 私自身がどのくらいクルマに乗っているか、ということで言えば、最近はクルマで会社に行くことが無くなったので、週末を中心に月に2~3回あるかないかの頻度だ。それも、遠出ではなくて、ちょっとした買い物や荷物の運搬など、近場に短時間で済むものばかりである。経済的に考えれば、これはもう、カーシェアリングが圧倒的にお得である。

 ということで、タイムズ24が運営するカーシェアリング「タイムズプラス」の会員となった。これは、月額1000円の会費が徴収されるが、その会費は実際の利用料に充当されるので、利用さえすれば無駄金にはならない。実車は近隣のタイムス24の駐車場に止めてあり、ネットで予約ができる。タイムズ24の運営会社(パーク24)は、2009年にマツダレンタカーを100%子会社にしたため、マツダデミオを利用できる(ここが私にはとても大きなファクター!)。

 私の現時点の住居の近くで探してみると、徒歩7~8分の場所にクルマがあることがわかった。事前に予約をしてそこに行ってみたら、以前とある事情で妻と2度ほど利用したことのある駐車場で、ちょっと因縁めいたものを感じてしまった。ともあれ、会員カードをかざしてロックを外し、クルマに乗り込む。特に難しい操作は一切無しで、”勝手知ったる”デミオを運転して、買い物の用事を済ます。

 ここでちょっと不便なのは、自宅にクルマを置けないことだ。買い物の荷物をいったん自宅に置き、改めてクルマを運転して駐車場に戻し、そして歩いて自宅まで戻る必要があるのだ。あいにく雨が降っていて、特にそれを感じた。

 利用料金は、実時間と距離によって決まる。近場ならば距離料金は不要で、今回は1,400円(1時間33分)となった。ガソリン代、保険代等もこれに含まれている。予約時刻よりも早く返せばそれだけ安くなる。月額1000円の会費もこれに充当できるので、実質400円で使えた、と言えないこともない。月に2回ほどの利用であれば、合計で4000円程度で済むことになり、年換算で5万円弱。これはコンパクトカーの年額の保険代にもならない水準だ。月に4回と、倍の利用をしたところで、そのお得感は圧倒的である。

 この、カーシェアリング、都会に住む人にとっては、ベストのチョイスだと感じた。願わくば、自宅から徒歩1~2分で、その駐車場があって欲しいが、その気持ちが高じると、将来は「カーシェアリングの駐車場があるそばに住む」という家探しが実際に起こりそうだ。

立春の前だが

2012年02月01日 23時25分34秒 | スローライフ
 月も変わって、今日から2月。昨年の今日は、下の息子の入学試験で緊張していたことを思い出す。まだ1年しか経っていないとは思えないほど、この間息子は成長して、私からどんどん離れていっている。

 さて、立春の前ではあるが、今朝は南関東(しかも沿岸部)に特徴的な気温分布になった。
 今朝7時のアメダス気温分布(気象庁HPから転載)

 ご覧の通り、南関東沿岸部の気温は5度以上で3月中旬の暖かさ(実際には風が強く、体感温度はそれほどでもなかったが)。一方そうでない内陸部は軒並みマイナス5度を下回り、真冬の寒さだ。これは、沿岸部のみ南西の風が入ってきて発生する現象で、沿岸からほんの10キロ程度内陸に入っただけで10度近い差が生じることもある。こうした現象は私にとっては大変興味深く、いかに黒潮の影響を日本の南岸部は享受しているのかを感じる。

 今年の冬は、ここ横浜の南外れでも大変厳しく、ほぼ連日氷が張っている。ここに引っ越してきてから11年目になるが、こんなことは初めてである。その中にあっても、今朝のように、春は着実に近づいてきている。それはすなわち、私にとっては悲しい「杉花粉の襲来」を意味するのだが・・・

息子の反抗期入り

2011年11月19日 20時13分02秒 | スローライフ
 私がFOSS4G関連で9月からずっと忙しくしているうちに、中学一年の息子の様子が何となくおかしくなった。いつも、生き物や天気の話題を楽しく私と語らっていて、夏までは、あれほどいたち川での魚取りに連れて行ってあげていたのだが、空いている部屋(実は高一の兄の部屋)に引きこもって、私と話をしようとしなくなった。それどころか、挨拶すらしないし、何か私が話していると、いきなりかみついてきたりする。(逆に、母親にはまだベッタリ) 

 いわゆる、反抗期に入ったのだ。上の息子がおっとりしていて穏和な性格なのに対して、下の息子は逆で、旗幟鮮明型。白黒つけるのが好きだし、思ったことをやり抜こうとする。それもあって、人間として成長するためには、目の前の父親との激しい葛藤は避けて通れないタイプだ。いつかはそういう時期が来るだろうと思っていたのだが、私の予想よりも1年以上早かっただけに、いささか面食らっている。

 ともあれ、私としてはその現実を受け止め、何年後かわからないが、落ち着いてくるまで、じっと見守ってやるしか無さそう。楽しい家族旅行も、このブログで散々書いてきた、OSMログ取りも、魚釣りも、カブトムシ獲りも、そのフェーズとしては終わったということだ。

 自分の青年時代を振り返ってみても、そんなに激しい反抗期は無かったと思うが、それでも親と話をするのがうっとうしいと感じる時期が何年もあった。その間、両親はどういう気持ちで私や兄妹を見ていたのだろうか。

 親であるということは、子の成長の段階に応じて、それまで体験したことのない問題に次から次へと直面するものだ、と思って、実際に子に降りかかった様々な問題に懸命に対応してきた。しかし、子が自分から離れようとしているという事態は、これまでとは別次元のものだ。とてつもなく寂しさも感じるし、一方でそれはいずれ避けられないことでもあり、眠られない夜がまた増えた感じだ。

夏の終わり

2011年10月25日 22時29分07秒 | スローライフ
 最後まで生き残っていたカブトムシが、昨日死んだ。今年は、暖かい日が続いたこともあり、10月も下旬まで一匹だけだが生きていた。既に、来年に向けて幼虫たちは大きくなってきている中、死ぬ間際までえさを食べていた。よくぞここまで持ったものだ。

過去の記録を探ってみると、10月21日まで生きていた2007年の例があるが、今年はそれよりも3日長く、過去最長(というか、最遅)のようだ。

2011年10月24日没

 実は、沢山いたその他のカブトムシは、9月の下旬頃におおむね死んでしまった。今年のお彼岸は、結構まだ暑かったのだが、それでもカブトムシはだんだんと元気を失って、次々と死んでいってしまう。ところが、最後まで生き残っていたヤツは、オスなのだがとてもミニサイズで、全く強そうには見えなかった。息子によれば、このカブトムシは中学校にある雑木林で捕ったものらしい。

 大きなサイズが必ずしも丈夫であるとは限らない。環境変化に適合しやすいのは、小さい生き物であることが多いのは、恐竜の消滅などの歴史からも想像できる。今回の長生きカブトムシの例は、そういうことなのかも知れない。

 ということで、長く暑かった今年の夏は、まさに終了である。