先日の台風で、和歌山、奈良で大きな被害が出ました。
とくに、熊野山地で大きな被害が出ました。
熊野山地を背後に持つ和歌山県・新宮市で、ダムを早い時期に放
流していれば河川の流れが平均化されて、もう少し被害が少なくて
すんだのではないかーーという批判が出ました。そこで、新宮市議
会が、ダムを管理する電源開発を議会に呼び、話を聞きました。
その様子が、14日のテレビのニュースで流されていました。
電源開発の担当者の答弁が、ものみごとに、役人的、官僚的な答
弁なのです。あまりに見事な官僚的答弁なので、質問した議員側が
沈黙してしまうほどです。
どういうやりとりだったかというとーー。
新宮市議会の議員「あのダムを、もっと早い時間に放流していれ
ば、もう少し被害が小さくなったのではありませんか。なぜ、あの
ダムをもっと早くに放流できなかっのでしょうか」
電源開発の担当者「いや、発電をしているダムを、早くに放流開
始うするということは、ありえません。発電に使うダムに、それは
ありえません」
どうですか?
問題のダムは、発電に使っている。
発電に使うダムを、大雨が来るからといって、早くに放流すると
いうことは、ありない。
ただ、それだけを言っているのです。
しかも、テレビで見ていると、この担当者は、相当に強い調子で
「それはありえません」と、ほとんど決めつけるようにして、言っ
ています。
議論の余地なしーーというわけです。
実際、これで新宮市議会側は、出鼻をくじかれてしまったようで、
二の矢が出なかったようです。
しかし、こんな言い方に負けていてはいけません。
この言い方のどこがおかしいのでしょうか。
最大のポイントは、「発電に使うダムで放流することはありえま
せん」という言い方が、ただ単に、電源開発の立場、電源開発の視
点に過ぎないということです。
この場合、新宮市議会は、「台風による大雨という、常にない事
態で、河川の氾濫が予想される。だから、それに先だって、放流し
ておくということは考えられないのか」と聞いているわけです。台
風という特別な事態なんだからーーということです。
それに対し、電源開発は、「特別な事態」「特別な条件」とは関
係なく、あくまで、「電源開発の立場」「自分の立場」を主張して
いるのです。「自分の論理」です。
これが、官僚の対応の典型です。
なにがあっても、自分の立場、自分の論理を主張するのです。
しかも、それをあんまり堂々と主張するものだから、相手、この
場合は新宮市議会ですが、相手は、思わずたじろいでしまいます。
官僚あるいは官僚的なものと向き合うには、こんなことに負けて
いてはいけません。
では、どうすればいいのでしょうか。
まずはっきり、「それはあなたの立場のことでしょう」「あなた
の論理でしょう」と指摘し、それが、ただ単に自分の言い分を言っ
ただけに過ぎないということを分からせることです。
言い換えれば、それは自分の言い分に過ぎず、決して、正しいも
のでもなんでもない。「あなた、それは、別に正しいことじゃない
んですよ」ということを明快に指摘することです。
それだけで、官僚あるいは官僚的な立場の人たちは、たじろぎま
す。
そして、その上で、相手が相手の言い分を言ったのなら、こちら
はこちらの言い分を言うのです。この場合は、新宮市議会が、新宮
市と新宮市民の立場をはっきり言えばいいのです。
具体的には、こんな具合になります。
「電源用のダムを早期放流するのはありえないというのは、ただ
単に電源開発の立場を言っただけのことでしょう。その言い方は、
電源開発の言い方にすぎないもので、社会的に正しいかどうかは別
ですよ」
「私たち新宮市議会は、そんなことを聞きたいわけではありませ
ん。新宮市と新宮市民は、市民の生活を守るという立場から、早期
放流をするべきだったのではないかと主張しているのです。市民、
住民の生活を守るために、早期放流が必要だったのではないかと言
っているのです」
「電源開発の言い分が、そのまま、社会的に正しいということで
はありません。私たちは、ダムの早期放流が、発電のためにどうと
かそんなことではなく、社会的にどうかということを聞いておるの
です。社会的に正しいかどうかということを聞いているのです」
「それが新宮市と新宮市議会、そして、新宮市民の立場です」
このぐらいのことを、しっかり言わなければ、官僚組織には丸め
込まれてしまいます。
逆にいうと、利己的であろうが自己中であろうが、どこまでも自
分の立場を主張する、恥も外聞もなく自分の立場を主張するという
のは、まさに、それが官僚組織ですが、相手を説き伏せるのに最高
の方法だということですね。
そういう官僚組織を相手にするには、こちらも、自分の立場、自
分の要求を、はっきりと認識しておく必要があるということです。