12月に入ってクリスマスの思い出作りをするミックママは
週に何度もそんな様子をフェイスブックに投稿している。
ツリーを飾ったり クッキーを焼いたり
チョコフォンデュを愉しみながら
ジンジャーブレッドハウス作りをしたり
それらに加え今年は行動範囲も広く
家族でアイススケートに行ったり
クリスマスパレードを観に行ったり
クリスマスキャロルをミュージカルにした”スクルージ”を鑑賞したり、、。
どれもこれも皆の笑顔で一杯!!
明治生まれの祖母に育てられた私には
サンタさんは一度も来なかったけど
イブの夜、布団に入って
サンタさんを待つあのワクワクした気持ちは
あの夜にかえれる程鮮明に残っている。
そんな風に子供の頃のクリスマスの想い出は 数少ないけど
暗い気持で過ごしていた10代の終わりも
クリスマスの音楽が響くライトの中ではいい想いに包まれた。
恋人もいず一人で歩く原宿 竹下通りに
何故かこの年になってもかえるんだよねぇ
私は翌朝目を醒ました時に何もなかったように記憶していましたが実際はそうではなく グリコのキャラメルなり マーブルチョコなりが置かれていたのかも知れません
だから あのワクワク感が記憶に残っていたのでしょうね
サンタは来なかった と思い続けたのはきっと 欲しかった玩具がなかったからかも
宇佐にいた頃ですか?
私が生まれる前ですね
そう言えば 祖父が亡くなり家を売って宇佐で借家暮らしをしていた時 クリスマスのお菓子が入った靴を一足はき 焚火の周りを一人で回っていた記憶もあります
縁側には大人が座っていました
あの時も楽しくて 楽しくてあ そんな気持ちが残っているので クリスマスの音楽を耳にするだけで良い気持になります
メールはゴミ箱に入っていました
あとでメールします
私がもらったクリスマスプレゼントは1度だけ
枕もとに靴下を置いて寝たら、朝、靴下の中にグリコのおまけつきキャラメルが入っていて嬉しかったです。
5,6歳の時かな
あの頃は裕福な家だったけど、おもちゃ、お菓子が売ってなかったですね。田舎だったし。。。。。
メール見てね
以前 青山通の事を話されていた時
もしかしたらすれ違っていたかもな度と思った事でした
私は表参道にある日本看護協会で働いていました
キティーランドと同じ側で青山の方角に数分歩いた所です
*小父さんへ
祖母は明治31年生まれでした
クリスマスはなかったですが お正月にはおとそ?も飲まされおせちもつくってましたね
何故かクリスマスは良い気持に包まれます
*Reeさんへ
この家族、、というか 娘は子供たちの食事にも非常に気を付け いろんな機会も与えています
ちょっとした教育ママだけど 日本のような行き過ぎたものではなく
男の子は思春期の頃から 変わってきますよね
カメ君はまだいろんな話を私にしてくれるけど この先 どうなるのかな
特に男の子って年頃になると親と行動しなくなっちゃうのに。
うちは中学から全然出掛けたがらなくなりましたもん。
私も明治33年生まれの父と明治41年生まれの母の子だったからかサンタは来なかったようです
てか、貧乏のどん底な上に、子供が6人でしたからね。
いやいやミックママの家は、世界の幸せが全部集まってきたいうな光景で素敵ですね。
ジンジャーブレッドハウス作りって初めて見ましたが楽しそうです。
ひゃー、個性的な作品が三つできましたね
ミックママがお元気そうで何よりです。
一番下の写真はミックママが撮っているんですか
なんか泣けてきた
私も同じ場所で青春していたから