人生は 五 七 五

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(by mother teresa)

読まなきゃ文も浮かばない、外向的な人

2008-06-18 23:33:54 | Weblog
あー、何か読書に取り憑かれた。この衝動的に何かするってお多いんだけど衝動的だから割とすぐ冷める。

所で、衝動的に本屋に行って本読んでいるんだけど、実は本を読まないと文章は書けないという大発見をした。

どういうことかというと、文に触れないと文が思い浮かばない。今までの自分の図式で行くと、本を読むのは内向型、内向型は外からの刺激でなく内なる刺激によって力や創造が漲ってくる。自分は本を読むから内向型。本など読まずに内省することで何かを書きたくなる。

所が、本を読むから内向とか外向とか余り言えなくて、本を読もうが読まなかろうが外向は外向、内向は内向。多分内向の方が割と自然日本を読むかも知れないかもという傾向は言えるけれども、絶対とは言えない。

何れにしても、自分は外向的なので、上記の図式は全くの見当違い。1人で家でボケーとして朝から晩まで座禅を組んでアイデアのお告げを待っていても内なる自分からは何にも出てこない。そもそも内なる自分などと言うものはあるのかどうかも疑わしい。多分ない。

さて、外向的な人はどうやって文章をわき起こらせるかというと、読書活動しかない。入らなければ出やしない。極めて俗物的というか金がかかるというか、非経済的だけど仕方がない。楽しい本、理解できる本、そんな本を読むとなぜか読んでいる内に文章が自ずと沸いてくる。

と言うわけで、外向的な作家(果たしてそんな人がいるのかどうか疑問だが)と言うのは、書くために読んでいると思われる。最も外向的な文章書きは作家と言うよりもどちらかと言うと評論家かも知れないが、、、

ってな感じ

読書の梅雨 - 妊娠小説

2008-06-18 00:10:50 | Weblog
うーむ。最近どうも読書の梅雨になっている。

斎藤美奈子の「妊娠小説」古本屋で見つけたので、読んでみた。面白い。何しろ面白い。彼女の処女評論らしく真面目に面白い。(ちなみに「趣味は読書」を本屋さんで立ち読みしてみたが、こちらはちと軽い)

とにかく面白い。面白いとこのまま繰り返せるぐらい面白い。なぜ面白いのか書きたいのだが、どうやら自分は左脳で理解し右脳で表現するらしいので、論理とか分析するなどと言う大層なことは世界の平和のために辞めておく。

でも評論を評論して意味があるのだろうか。

自分も、左脳で表現して売れる文章が書ければ、今頃は華々しく文壇を飾っていたに違いない。今でも何時かは文壇に華々しく出てやるぞとか密かに思っているけど、何か思っている内にそのうちお迎えが来そうだ。まあ、恐らくお迎えが来る頃には、己を知り始めて諦めていると思うが。

人生は諦めるために生きているようなもんだ。

ちなみに物書きは外向的なのか内向的なのかどちらなのだろうか。

それにしても、上野千鶴子が落ち着いてきた頃に徐々に斎藤美奈子が出てきたように思うが、必ず何人かの世界を解く人(俗に言う哲学者)が必要なのだろうか。

でも、文壇に華々しくデビューできるのなら、やはり評論家でなく作家としてが良いな。