好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

天神山城  NO 1

2007-05-23 23:37:44 | Weblog
岩室温泉の裏辺りの山道で これから夜に蛍が
楽しめる道 山道でも舗装されて いて危険わない
岩室種月寺の裏辺りか 登城口の標識があるので
すぐわかる 緩やかで晴れたときは 散歩コースだが
武士溜りまでは 本丸へは少し急な道でロープが
此処は気をつけないと 特に下りは、


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天神山城 NO 2

2007-05-23 23:36:15 | Weblog
物見台
此処から下からの侵入者を警戒していたのか、
こちらからは石瀬方面が良く見える
今は整備された道で危険な所はロープが張られている
現在は木が視界の妨げになっていて良く見難い、
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天神山城 NO 3

2007-05-23 23:35:46 | Weblog
石塁 土塁の標識から左にくだり 水場 へ
今は池のような感じだが 当時は地下水が流れ込んだか
山からの水を引ける様な 方法が採られていたんだろう、
この辺りは まだそんなに高くはないから 山水が利用できそう
井戸跡があるのか、
何段かに平らな所が有るので 此処は建物があリ
いわゆる食堂のような炊事場のようでもあるし
すぐ上が 武士溜り場でかなり広く大勢が集れるとこるが、
水は重要な戦略上役割を果たす、
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天神山城 NO 4

2007-05-23 23:34:58 | Weblog
此処はかなり広く いざ戦いの時の会議場のように
又此処で戦略が伝達されて配置に付くのか
武士溜まり とは

石碑が 陸軍中将 本間雅晴の 天神山城跡碑がある

小国(のち大国に)改姓
越後の豪族小国氏の居城
戦国時代に入り上杉謙信~景勝に仕え三河守重頼は嫡男が
病死して直江兼続の実弟 樋口与七実頼を養子に小国実頼
として小国家を 景勝の賀使を務め豊臣秀吉に謁しこの時
大国に改めた。

上杉景勝の会津移封で同行し 廃城に 再度上杉景勝は米沢に
同行

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天神山城 NO 5

2007-05-23 23:23:51 | Weblog
全体の案内板 よくわかり難いが
大体の位置が確認できる
本丸跡は後日に紹介
いつも思うが場所は良く選んでいるし戦いの時
特に本丸は 前 後ろとても攻めにくい所で左右は深い
空堀 壕で平治は山下の館での暮らしだろうが

黒滝城や弥彦の桔梗城 (城山)辺りとのろしですぐ
に連絡通信が出来たようだし、 

此処は松ヶ岳城が前を守るそんな地理、凄い
でもどんな建物が建てられて居たんだろう。
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