好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

良寛最古の歌碑 断片  NO 1

2007-05-16 23:32:22 | Weblog
最古の良寛詩歌碑
三条市立図書館に断片が展示されています、
従来最古とされて来た詩碑は分水国上の乙子神社の詩歌碑
安政5年(1858年)に建立されたものあるが、
展示の古碑はこれより23年さかのぼる、現存最古の
良寛碑である、
生前しばしば三条を訪れた良寛が、八幡宮辺で詠まれた
いしぶみの一部の断片

十字街頭乞食了  八幡宮辺方徘徊  児童相見共相語
去年痴僧今又来   越州沙門 良寛書

(十字街頭  食を乞いおわり  八幡宮辺まさにはいかいす
児童相見て共に相語る 去年の痴僧今又来る)

良寛没後4年、良寛を敬慕した、町人たちが文政の大地震や
天保の飢饉で乏しい世相の中でゆかりの八幡宮境内に建立
したもの、その後文久元年(1861年)4月の大火で詩碑
壊れ行方不明に 昭和60年八幡宮築山の一隔で石片が発見

建碑は天保6年(1835年3月)
建碑者 成田伝吉  三浦屋元助

現存詩碑は古碑の代替えとして,大正3年に(1924年)に
建立されたもの、
   

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宛名のない手紙 歌碑  与板いしぶみの里NO 1

2007-05-16 00:45:12 | Weblog
此人 一夜御とめ 可被下候(この人 一夜御とめ下さるベく候

この手紙は与板大阪屋の椀の包み紙から発見されたという
日暮れ、塩の入り峠辺りで
泊まる宿のない旅人に良寛は会う。この人に同情して
矢立の筆で紹介状
で宛名がないから便利である、断られたら 次に通用
する 旅人がめでたく 大阪屋にとまる ことが出来た
証拠である。
 
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与板いしぶみの里 良寛  歌碑 NO 2

2007-05-16 00:21:37 | Weblog
父以南を偲ぶ歌

知々能閑気留 毛乃遠見天(ちちのかけるものをみて)

美都久幾能 安東裳奈美堂耳 可数見計理 安利之無閑之乃
みつくきの あともなみだに かすみけり ありしむかしの
己東遠於毛非轉
ことをおもひて

良寛が、父以南の(朝霧に 一段ひくし 合歓の花)の句のに、
書き添えた短歌の扇面である。
(みずくき)は筆跡の事で、父以南の遺墨を見るにつけ、涙にかすみ
存命の時のことが思い出されてならないとよんだうたである

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