上野駅発行 日暮里接続 京成線100円区間ゆき 片道連絡乗車券

1985(昭和60)年1月に東北本線上野駅で発行された、日暮里駅接続の京成線100円区間ゆき片道連絡乗車券です。


   

桃色こくてつ地紋の金額式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

この券は上野駅の広小路口にありました86番窓口で発行されたものですが、広小路口から歩いて2分、わずか200メートル離れた場所(横断歩道を渡ったところ)に京成電鉄の京成上野駅がありますので、なぜこのような口座が設備されていたのか、また、どのような需要でこの券が必要であったのか、大変疑問な一枚です。


   

国鉄上野駅広小路口にあります86番窓口と京成上野駅の位置関係を示す地図です。
日暮里駅から京成線100円区間というのは当時の京成電鉄の最短区間の運賃区間帯であり、わざわざ割高になる連絡乗車券を購入し、日暮里駅で跨線橋を渡って乗換えなくても、京成上野駅から京成線1本で行ったほうがよっぽど便利だし、国鉄運賃分の110円を支払わなくても良いように思えるのです。

こんなこと考えるのって、ケチくさいんでしょうか?

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南田辺駅発行 天王寺接続 南海線90円区間ゆき 片道連絡乗車券

1985(昭和60)年2月に、阪和線南田辺駅で発行された、天王寺駅接続南海線90円区間ゆきの片道連絡乗車券です。


   

桃色こくてつ地紋のB型金額式大人・小児用券で、大阪印刷場で調製されたものです。
御紹介の券は、前回エントリーで、
> 金額式券で発行されていたのは大阪印刷場および東京印刷場で調製されたものだけのような気がします。
と申し上げました、大阪印刷場で調製された金額式の連絡乗車券です。


   

東京印刷場の金額式券を再掲いたしますが、基本的な記載事項は同じですが、様式がかなり異なります。


御紹介の天王寺接続の南海線といってもピンとこない方もいらっしゃると思いますが、かつて、天王寺駅には南海天王寺支線という路線が乗り入れていました。
天王寺支線は南海本線の天下茶屋駅から分岐し、天王寺駅までを結んでいた営業キロがわずか2.4kmの路線でした。このうち天下茶屋駅~今池町駅間が1984(昭和59)年に廃止され、残る区間も1993(平成5)年に廃止されています。
御紹介の券は部分廃止された以降の天王寺支線への連絡乗車券になります。

部分廃止された以後は、天王寺駅を出ますと、飛田本通駅・大門通駅・今池町駅の3駅のみで、運賃は全線90円均一になっていました。そのため、天王寺駅の乗換改札口では運賃の90円を現金で支払って乗車する方式が採られていました。(その逆の場合は天王寺駅の改札もしくは途中駅で降りるときに現金精算)。
ただし、終点の今池町駅は南海本線の萩ノ茶屋駅と徒歩による接続駅扱いになっており、天王寺駅から南海本線にまたがる区間について、部分廃止となった後も通し運賃が残されていた関係から、今池町駅より先の南海本線にまたがって乗車する旅客にのみ、天王寺駅で乗車券の発売が行われていました。
このような取扱いが行われていた関係から、御紹介の乗車券で天王寺支線に乗り継ぐ場合、天王寺支線の駅で下車する場合には、天王寺駅で乗車券が回収されていました。

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上野駅発行 高田馬場接続 西武線90円区間ゆき 片道連絡乗車券

1984(昭和59)年12月に東北本線上野駅で発行された、高田馬場駅接続の西武線90円区間ゆき片道連絡乗車券です。


   

桃色こくてつ地紋のB型金額式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。

国鉄では社線への連絡乗車券を各種発行しておりましたが、金額式券で発行されていたのは大阪印刷場および今回御紹介の東京印刷場で調製されたものだけのような気がします。
また、国鉄末期には新潟・仙台印刷場の閉鎖や名古屋印刷場所管分の一部移管などによって東京印刷場の所管範囲が広がっており、いままで金額式の連絡乗車券の発行例がなかった口座についても金額式に変わったところもあるようです。
どちらの印刷場においても、連絡社線の表記については「◯◯線」という表記がされており、御紹介の券の場合は西武鉄道への連絡乗車券でありますので「西武線」という記載になります。

この様式は国鉄民営化後のJR東日本となっても引き継がれておりましたが、民営化後は連絡運輸の縮小および廃止や硬券の淘汰が進み、国鉄時代ほどの発行例は無かったようです。

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西武鉄道 400両突破記念乗車券

1965(昭和40)年2月に西武鉄道で発行された「400両突破記念」乗車券です。


   


しおり型のオーソドックスな形の記念乗車券で、左側に写真があり、右側に乗車券が付いています。

400両突破記念乗車券は同社の在籍車両(電車)が400両を超えたことを記念したもので、御紹介の高田馬場駅の他、池袋駅や西武新宿駅といった主要駅で発行されました。
乗車券片部分は若草色西武鉄道自社地紋の金額式10円区間ゆきとなっており、どの駅も購入しても、購入駅から10円区間ゆきという金額設定は変わらなかったようです。


   

裏面です。
時代を感じさせる文章と、その下には5年毎の在籍車両の変遷がグラフで記載されています。
昭和20年から25年までの5年間は22両の増備にとどまっていますが、昭和25年から30年の5年間と昭和30年から35年の5年間は64両、昭和35年から40年の5年間は147両と増えてきており、高度経済成長とともに輸送需要が増加し、増加した輸送需要に対応するため、列車の増発や長編成化によって必要な車両数が増加し、それによって在籍車両数が増加したことが窺われます。

同社は1945(昭和20)年に武蔵野鉄道と旧西武鉄道が合併してできた西武農業鉄道を前身とした(新)西武鉄道という経緯があり、合併当初は105両であった在籍車両が、高度成長期を迎えた20年後の1965年には400両となり、1912(明治45)年に武蔵野鉄道が開業してから100周年を迎えた2012(平成24)年には1,286両に達しているそうです。

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JR東日本 稲荷山駅発行 篠ノ井接続しなの鉄道屋代高校前・屋代ゆき 片道連絡乗車券

前回エントリーでJR東日本篠ノ井線稲荷山駅で発行された、篠ノ井駅接続のしなの鉄道戸倉ゆき片道連絡乗車券を御紹介いたしました。同駅には他に、しなの鉄道屋代高校前・屋代ゆきの口座もございましたので御紹介いたしましょう。


   

2006(平成18)年7月にJR東日本篠ノ井線の稲荷山駅で発行された、篠ノ井駅接続、しなの鉄道屋代高校前・屋代ゆきの片道連絡乗車券です。桃色JRE地紋のA型一般式大人・小児用の千切り軟券です。


   

再掲いたしますが、様式的には前回御紹介の戸倉ゆきの券と同じで、こちらは着駅が2つあることから二段書きになっている点が異なります。
小児断片には最初の着駅である屋代高校前の方が記載されている点は、硬券時代と変わらないようです。

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JR東日本 稲荷山駅発行 篠ノ井接続しなの鉄道戸倉ゆき 片道連絡乗車券

2006(平成18)年7月に、JR東日本篠ノ井線の稲荷山駅で発行された、篠ノ井駅接続、しなの鉄道戸倉駅ゆきの片道連絡乗車券です。


   

桃色JRE地紋のA型一般式千切り軟券で、大人・小児用券となっています。

同駅は国鉄時代の昭和60年代には駅員無配置の駅になっていますが、地元自治体に出札業務の委託が行われており、当初は硬券による常備券の発売が行われていましたが、JR化後の硬券廃止により、常備券類は軟券化されて発売が継続されていました。
御紹介の券はJR東日本が発売する常備軟券としては、直営駅用と業務委託駅用を含めても珍しい社線への連絡乗車券となっていました。様式的には同社が発売する近距離用の一般式常備軟券とほぼ同一ですが、「篠ノ井経由」と経由表記が入っていることと、同社の社線との常備式連絡乗車券の特徴である小児運賃の記載があることが特徴的です。

同駅はこの券が発売された2ヶ月半後の10月にPOS端末が設備され、常備軟券での乗車券の発売は終了しています。

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