趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
JR北海道 夕張市福祉乗車券
平成11年8月に夕張市立総合病院で発行された、通院者(患者)用の福祉乗車券です。
桃色JR北地紋のD型券で、札幌印刷場で調製されたものではないかと思われますが、確証はありません。活字製版によるものではなく、東京印刷場の地図式券や門司印刷場の準常備券に見られたような一体型の版によって印刷されています。
硬券廃止後は大型軟券に様式が変更されているようですが、残念ながら実券は手許にありません。
発行駅名は新夕張駅となっていますが、実際には新夕張駅で乗客に発行されたものではありません。
裏面に発行箇所が書かれた丸型のデータ印が捺印されており、そこには夕張市立総合病院の名前があります。
この券は夕張市内の公立病院に通院する患者への交通費補助として病院で発行されていたもので、一般の旅客へ発行されるものではありません。「乗車券」という題字が印象的ですが、あくまでも発売されるものではなく交付されるものですので運賃の記載はなく、どちらかと言えば乗車票といった方が良いかも知れません。そのため、拙ブログではカテゴリーを「乗車票」とさせていただいております。
夕張市の福祉乗車券という性格から、夕張市民が夕張市内の公立病院へ通院することが前提であり、乗越(市外の駅まで行く)することはその趣旨に反するため、乗車できる区間は夕張市内の駅に限られています。区間外の駅へ乗越す場合には、打切り計算のうえ、別途区間外分の運賃を支払う必要があります。
夕張市立総合病院は明治時代に開設された夕張炭鉱病院の歴史を持つ病院で、炭鉱が閉鎖された昭和末期に夕張市が買収の上、市内唯一の市立総合病院として医療を継続していた病院です。しかし、御存じの通り夕張市は財政難に陥ってしまい、病院は民間の医療法人に移管され、現在は夕張医療センターとして継続されています。
上信電鉄 連絡精算所発行の区間変更券 ~その2
上信電鉄高崎駅の精算所で発行された、西富岡駅までの第1種車内補充券です。
JPRてつどう地紋の一般的な様式の車内補充券で、山口証券印刷で調製されたものではないかと思われます。
発行箇所名は高崎車掌区乗務員となっていますが、実際には高崎駅の精算窓口で発行されたものです。
拙ブログ2011年11月5日エントリーの「上信電鉄 連絡精算所発行の区間変更券」で御紹介いたしました2枚目のものと同じ年号の無い「新様式」券ですが、原券欄の種別が「スイカ(Suica)」となっており、ICカードと第1種車内補充券という組み合わせが面白いので御紹介した次第です。
現在と違い、当時のSuicaは入場時に初乗りである130円を差引き、出場時に残額を差引く(現在は出場時に全額を差引)方式が採られていましたので、原券欄の記載が「スイカ130円」となっており、その額が原券控除されています。
前回エントリーの際に謎でありました発行日の後の「〇ヨ」表示につきまして、上信電鉄本社の方にお尋ねしてみました。コメント欄に「車掌が列車に乗務していない時に記すものである」という説をコメントされた方もおられましたが、そのような事実はなく(私はそのような例を聞いたことはございません)、この精算所は午前10時に帳簿を締めていたので、始発から午前10時までに発行された券以外である殆どの券が「〇ヨ」になっているとのことでした。
サンフランシスコケーブルカーの車内乗車券
アメリカカリフォルニア州のサンフランシスコは起伏の多い町で、街の中には有名なケーブルカーが走っています。
(サンフランシスコケーブルカー:同市交通局HPより)
サンフランシスコ市営鉄道(San Francisco Municipal Railway : 通称 Muni)という名前が本当の名称で、サンフランシスコ市交通局が運営しています。 サンフランシスコ市営鉄道HP
御紹介いたしますのは、27年前の1985(昭和60)年8月22日に乗車した際に車掌氏から購入した、車内乗車券です。
わら半紙のようなペラペラの券紙で、電車に飛び乗ると車掌氏が近寄ってきますので、1ドルを手渡すと、冊子状になったきっぷの時刻欄にパンチを入れて渡されます。現在はHPには5ドルと書かれていますが、複数の観光ガイドのサイトには6ドルと書かれていますので、実際のところよくわかりません。
昔の都電の乗車券みたいに予め日付が印刷されており、発売する際に印を付けるのは有効時刻だけのようです。ケーブルカーは3系統の路線がありますので、有効時間(制限時間)内であれば乗継ができます。
電車のイラストの右側にある赤い数字は券番です。
時間表示は12時間制となっており、左側が「時間」で右側は30分刻みの「分」です。この券の場合午後9時まで有効ということになります。乗車券には記載がありませんが、確か、制限時間は90分以内だったと思います。
JR東海 新大阪駅発行 天満経由天王寺ゆき乗車券
昭和63年7月に、新大阪駅新幹線乗換精算所で発行された、新大阪から天王寺までの片道乗車券です。
名古屋印刷場調製の赤色JRC地紋のB型一般式券です。
当時、JR東海では近距離用の硬券乗車券は地方ローカル路線では現役で発売されており、拙ブログ10月17日エントリーの「JR東海 鼎駅発行『飯田線鼎駅記念きっぷ』」でご紹介いたしました三河一宮駅発行の券のような例がありましたが、今回ご紹介の券は経由表記があるためでしょうか、運賃や「下車前途無効」の表記位置に違いがあります。また、その影響なのでしょうか、発行箇所名の表記に特活を使用することなく、一番下の行に長々と表記されています。
ところでこの券ですが、新大阪駅から天王寺駅までは大阪電車特定区間完結の区間であり、しかも、大阪から天王寺の区間については大阪環状線の区間となります。しかし、大阪電車特定区間相互間の乗車券でありながら、「天満経由」と表記が謳われています。
新大阪から天王寺まで、天満経由で営業キロ14.5km200円(当時)であり、逆回りの福島経由でも営業キロ14.8km200円で運賃は同額です。しかも、大阪近郊区間相互の乗車券はエリア内であれば乗車経路に制限はありませんから、わざわざ経由を表記しなくても良いように感じます。
この区間の乗車券をマルスで発券すれば、経由表記は「東海道・大阪環状」となる程度で、恐らく天満経由となることはないでしょう。敢えて運賃帯のことを考慮したとしても双方とも11~15kmの区間内であり、全く意味がありません。
もしかすると、新大阪駅の精算所で大阪近郊区間発の原券から差額精算の乗越精算をする時のことを考えたのかもしれませんが、それでも理にかなっていません。
この券の経由表記に、何らかの意味があるのでしょうか?
参考までに、昭和62年4月のJR化直後に同じ窓口で発行された、同じ口座の券をアップします。
これはまだ大阪印刷場で調製された国鉄地紋の過渡期の券で、大阪特有のA型一般式となっています。こちらには経由表記はありませんでしたので、名古屋印刷場に移管された際、何らかの理由で経由表記が付けられたみたいです。
学校生徒旅客運賃割引証
学校生徒旅客運賃割引証(学割証)です。
国鉄民営化以後の現行の様式で、白色の上質紙に緑色の印刷となっています。学生さんには特に珍しいものではありませんが、社会人の皆様にとってはとても懐かしいものです。
私が学生だった頃はまだ国鉄の時代で、その当時の学割証はわら半紙のような茶色い用紙でした。様式的には変化ありませんが、割引率欄の記載は「旅客鉄道会社線」ではなく、少々あやふやですが「国鉄線」という表記だったように記憶しています。
裏面には割引証を使用する上での注意事項が印刷されています。
こちらも国鉄時代とはほぼ内容は同一ですが、冒頭の「旅客鉄道会社」が「国鉄」であったと思います。
学生時代は単に「運賃が安くなる紙」的に考えており、しかも年間交付枚数に制限がありましたため、国鉄時代のものを1枚も保存しておりませんでしたが、今になって、息子のものをスキャンした次第です。
学生のみなさん、今から1枚保存しておかないと、のちのち後悔しますよ。
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