趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
上信電鉄 連絡精算所発行の区間変更券
昭和59年7月に、上信電鉄高崎駅の連絡精算所で発行された、区間変更券です。
高崎線新町駅から150円区間ゆきの乗車券で、上信線根小屋駅までの区間変更を申し出たときのものです。
当時、高崎線のホームは国鉄高崎駅構内にあって改札が分離されておらず、国鉄線から乗り換える利用客は、国鉄線の改札口を通ることなく上信電鉄の乗り場へ行くようになっていました。
現在は上信電鉄とJRの改札は分離されており、ホームの入口に小さな出札小屋がありますが、当時はそれが連絡精算所となっていました。
当時、新町駅から高崎駅までは190円でしたが、発車間際のために運賃を調べる余裕がなく、「とりあえず」一番安い区間の乗車券で乗車し、高崎駅で乗り換える際に区間変更を申し出ることにしました。
高崎駅から根小屋駅までは当時120円でしたので、国鉄線の不足分40円を合算して160円となります。
高崎駅の精算所では、改札補充券(改補)を使用せず、高崎車掌区の第1種車内補充券が使用されていました。いかにも車内で精算されたように見えますが、精算所で発行されたもので、列車番号を記入する欄に斜線が引かれ、辛うじて駅で発行されたことがわかる感じです。
そして、乗り換えた時刻が夜であったため、既に売上計算をして締めてしまったのでしょう、日付のあとに「〇ヨ」の表記がしてあります。
こちらは数年前に日比谷のイベントで購入したものです。
昭和59年のものと基本的には変わりませんが、券番と册番がハイフンでまとめられた様式に変わり、発行日欄に年号を書く欄がなくなった新様式となっています。
1枚目と同じく高崎駅の精算所で発行されたもので、「東京山手線内」とゴム印が捺印されている点が、いかにも駅で発行されたことを物語っています。
今年のイベント会場で上信電鉄の方に伺ったところ、第1種車内補充券は殆ど高崎駅の連絡精算所で使用されていたようで、大抵の車掌は第1種車内補充券を使用せず、第2種の駅名式車内補充券を主に使用していたとのことでした。
同社には駅用として緑色の特別補充券があるにも拘わらず、なぜ増刷してまで車内補充券を駅で使用していたのか、理由がわかりません。
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もし残券処理のために使用されていたのでしたらわざわざ新券を増刷することはしないと思われますので、仰せのような理由で車内補充券が使用されたのでしょうね。
車掌が電車に乗務しないで地上で発券した場合に表す記号です(何の略かは知りません)。
よって何時買っても同じでした。
○社五井駅にも1種車補があり、区変も対応してますが、こちらは直後の列車番号を記載してますね。
◯ヨは普通〆切後に翌日扱いとして発行した乗車券類に表示するものと考えます。
制度そのものは昭和40年代前半に廃止されていますが、今でもJR長野地区の簡易委託駅で行われているようです。
車掌が地上で発行した車補に記載するというのは存じ上げません。
さて、1種車補の列車番号欄の記載内容の件、確かに不思議です。
①夜だけでなく、午前中でも昼過ぎでも○ヨと記載されている。
②○ヨと記載されていない券を全く見ない。
③国鉄の場合では○ヨ表記を車掌区でも使ったという話は聞いた事がない。
よって、上信電鉄では国鉄とは違う意味で○ヨを使っていますね。
まあ国鉄と民鉄とで言い方が違うという例は多々ありますよ。
間違ったコメント入れて、くだらない言い訳でごまかすなんて、最低な行為ですね。