京濱電鐵 新子安駅発行 コロムビア前・川崎大師駅間ゆき 片道乗車券

本日は8月15日、79回目の終戦の日です。拙ブログでは毎年、終戦の日(かつては終戦記念日って言っていたような・・・)のエントリーでは、コレクションの中から戦争に関連したものを御紹介するようにしていますので、今年もひとつ、探してみました。


   

まだ太平洋戦争前の1937(昭和12)年5月に、京濱電鐵(後の京浜急行電鉄。現・京急電鉄)本線にあります新子安駅で発行された、大師線のコロムビア前・川崎大師駅間ゆきの片道乗車券です。
経年で色あせてしまっていますが、桃色無地紋のA型一般式大人・小児用券と思われます。同社の乗車券は数枚手元にありますが、状態が良いものでも桃色無地紋になっており、裏面についても同色になっていることから、地紋がなかったものと思われます。


   

裏面です。券番の他、「京濱電鐵」の社名と発行駅名が記載されています。


着駅のコロムビア前駅は現在の港町(みなとちょう)駅で、現在地より300メートルくらい川崎大師駅寄りのところにあったようです。
駅名の由来である「コロムビア」は、当時駅の近隣にあった日本コロムビアの工場に由来していますが、戦時中の1943(昭和18)年に不要不急駅として営業が休止され、翌1944(昭和19)年に港町駅として営業が再開されています。この時に駅名が改称された理由として、当時の世相による外来語禁止や、工場名が駅名にあることが防諜上好ましくないということが理由となり、地名であった港町駅に改められたものと言われています。

日本コロムビア社は国産の円盤式レコードの生産と販売を行う日米蓄音機製造を前身として、日本蓄音器商会として法人化された日本で最古参のレコード会社で、昭和初期から米国のコロムビア・ミュージックエンターテインメント社(現・米国ソニー・ミュージックエンターテインメント社)と提携関係になると日本コロムビア社へ改称されています。しかし、戦時中は敵国企業である「コロムビア」の社名が使用できなくなり、日蓄工業に改称されているようですが、現在でも日本コロムビア社として存続しています。

日本コロムビアの工場は2007(平成19)年に閉鎖されて移転してしまい、今ではその跡地には京急が建設した3棟の高層マンションがそびえ立っており、工場の面影はありません。

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