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(yottin blog)

光秀謀反の本能寺 なーんちゃって㉖

2021年03月12日 16時24分32秒 | 光秀の本能寺
信孝はピンチに陥った まさか家康と秀吉が同時に攻め上ってくるとは思いもしなかった
信忠に代わって織田の宗主となって織田軍団に号令しようと思ったが、時代はすでに変わっていたのだ
いまや家康にも秀吉にも織田家の庇護などいらぬ力が付いた、もはや邪魔な存在でしかない
織田にとってかわって天下を狙える地位に上ったのだ、チャンスであった
家康は順番から言えば信孝より上位の織田信雄を手に入れた、秀吉は信長の直孫三法師と信雄の弟、秀勝を擁している
さらに飛び込んできた蒲生氏郷の奥は信長の長女であるから、正当性においては秀吉が絶対有利であった、だから続々と織田の旧臣は秀吉の傘下に集まった

挟撃されたような形になった信孝は岐阜城、清州城のどちらに籠城するか選択に迫られた、やはり本領の清州に居座った
末森城、那古屋城、小牧山をはじめ尾張から美濃にかけてのネットワークを固めて抗戦を決意した
また北伊勢の滝川一益とも連携して助け合うことを確認した

信長の弟、織田長益(有楽)は大垣城で岐阜城の信忠を補佐していたが、信忠の突然の変異と死亡で行く先を考えていた
そこに秀吉と家康が信孝めがけて進軍中との情報が入ってきた、いずれこの三将の誰かにつかなくてはならぬ
長益は値踏みを始めた、自分にもう一つ箔をつけた方が高く売れると考えた 長益はとぼけているがなかなかの策士でもあり勇敢さもある
近くの犬山城はかって信雄の家臣が守っていたが、信雄が逃げると一緒に徳川に走った、そこに信忠の家臣が入った
ところが信忠が岐阜城を離れると信孝は岐阜城と犬山城も接収して家臣を入れた、だが守りはどちらもかなり手薄であった
長益はそこに目を付けた、岐阜城はさすがに自分だけでは落とすことはできない、そこで策を講じて犬山城を攻め落としてしまった
同じころ家康は信雄を旗印にして一軍を滝川の抑えに、井伊直政を岐阜城へ、そして家康と信雄は尾張の支城の攻略を始めた
信孝も勇敢であるからこれに対抗してゲリラ的に急襲を繰り返した、さらに背後から滝川が攻撃を仕掛けて長島を取り返した
家康は苦戦した、信雄の威光では信孝には通じない、武将としての資質では信長の息子トップ三兄弟の中では信孝が秀でていた
信長の激しい気性を一番受け継いだのは信孝だと家臣は口を揃える
信忠も10万の兵を率いて武田を滅ぼした実績があったが、あれは徳川、北条まで参加した戦であった
果たして信忠にどれだけの資質があったかは不明である、信長なきあとは衰退するばかりであったのだから

困った家康は打開策を織田長益の取り込みにかけた、
織田長益なかなかしたたかな古狸だ、南近江、美濃、尾張のいずれかをくれるなら参戦すると信雄に伝えた
だが信雄も家康も天下人ではないのだ、そういう点ではこの近畿東海はまた戦乱の時代に戻ったといえよう
信長健在の時には日本の戦国トーナメントはベスト16まで進んでいたのだったが、ここにきて信長が代表だった東海ブロックは
東海地区だけがベスト4に戻った感がある、すなわち徳川家康、羽柴秀吉、織田信雄、織田信孝だ
今は三者で信孝をつぶそうとしている状況だ
ともあれ戦国人に理屈や常識、法律は通用しない 力あるものが正義で法律なのだ
だから家康と信雄は、信益の条件を飲んで仲間に引き込んだ、そして信孝の家老が守る岐阜城を長益を大将にして徳川の軍団が加勢して攻めた
6000が守る山城を25000の大軍で攻めて3日で落城させた
そしてそこに織田長益を入れた
かわりに大垣城には家康の軍勢が入り、犬山城には美濃勢の稲葉一徹を返り咲かせた
次に狙うのは小牧山城である、ここは信長がかって美濃攻めの拠点として築城した重要な要の城だ、それだけに守りは固い
その頃、ようやく秀吉の軍が近江までやってきた、そして長浜の兵に加えて丹羽長秀も1万を率いて合流した
秀吉によって越前をもらった長秀は一気に100万石に迫る領地をもらいすっかり秀吉に臣従していた
しかも長秀は織田家中では人望に於いて秀吉よりはるかに勝っていた、秀吉は嫌いだが長秀が居れば安心と言う者も多い
秀吉にはこうした長秀がまことに使い勝手がいいのである

家康がすでに美濃を攻略したことは秀吉の耳にも入っている、だが秀吉は慌てない
近江を経て関が原に至った、そして大垣城を横に見ながら進んだ、大垣城へは使いを走らせ三法師の名で「ご苦労でござる、われらも信孝退治に参る」
大垣城の稲葉は茫然として5万の秀吉の大軍を見送った
そして徳川軍と信孝軍がにらみ合う小牧山に向かった









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