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空想歴史小説 貧乏太閤記36 丹羽長秀との競争

2022年10月16日 17時45分29秒 | 貧乏太閤記
因みに一向一揆について
一向宗は浄土宗から起こった浄土真宗の一派であり、後には浄土真宗そのものが一向宗と呼ばれるようになった。
かって京の都は足利将軍、三好長慶、細川晴元、松永久秀らが離合を繰り返し京で勝ったり負けたりの戦をして、都は荒れ放題になった
京にあった蓮如(れんにょ)の浄土真宗本願寺も対立する延暦寺(えんりゃくじ)の僧兵に焼き討ちされて越前(福井)に逃げて吉崎御坊を創建する
その後も越前守護と対立して三河(愛知県東部)へ逃げて布教活動をする、やがて京の山科で本願寺再建、その後大坂石山で石山本願寺をを起こす。
蓮如が撒いた種、越前一向宗は能登、加賀(石川県)、越中(富山)にも広がり越後の長尾景虎(上杉政虎)とも対立した、加賀に尾山御坊を作り在郷武士を追い払い宗徒が治める国となった(加賀一向一揆)
加賀は信長に制圧されるまで一向宗が治める国であった。
越前でも守護の朝倉氏を圧迫していたが、三河で広がった一向宗も家康家臣とのトラブルから一揆に発展したのだった。

もどれ
信長にしてみれば今川との間に家康が入ったおかげで今川を気にせず美濃攻めを着々と進めることができた。
それでも先代の義龍は強かった、織田軍は何度も撃退されている
だが義龍が死に、竜興に代替わりしたことで斎藤家の内部にほころびが起きてきた、竜興はえこひいきが強く、佞臣を傍に置き正しい政ができなくなった
だから竹中半兵衛のように脱国する重臣も出てくる。

信長は4年前に大規模な小牧山城を築城して、翌年には織田信賢を倒した
それから近江の六角に傾きだした守護斯波義銀をも放逐した
それからは美濃の東に位置する小牧山城を主城として、城下町を整備した
斎藤家の稲葉山城と大垣城の間に、秀吉が墨俣城を作り織田の兵站基地とした

秀吉には、この頃気になる男がいる
前田利家同様に信長の馬廻りである丹羽五郎左衛門長秀(にわごろうざえもんながひで)である
秀吉より年上だがあまり目立たない勲功もない武士であったが、なぜか信長から東美濃の切り取りを命じられ、しかも成果を着々とあげてその地位を上げていた、性格は静かで温厚である。
そして秀吉も信長に呼び出されて
「五郎左(丹羽長秀)の働きを聞いておろう、そなたも西美濃を切り崩し五郎左に勝る働きをしてみよ」指名された秀吉は感激した(お屋形様は儂に期待しておる)
ここは秀吉と半兵衛の腕の見せ所である。

「半兵衛殿、西美濃の稲葉、安藤、氏家の切り崩し、引き出物代わりに儂にいただきたい」
秀吉は半兵衛の能力を試そうと思った
半兵衛は特に感情を表さず「承りました」とだけ言った

美濃の重臣だった北方城の安藤守就は半兵衛の岳父であり、半兵衛の稲葉山城乗っ取りに協力して今は斎藤竜興と距離を置いている。
半兵衛が訪ねて織田家への鞍替えを進めると守就は一も二もなく快諾した
「義父上、ついては稲葉、氏家殿も共に立ち上がってもらうように働きかけをしてください、斎藤家に刃は向けずとも静観するだけで結構でございます」
守就の働きでまずは大垣城の氏家卜全(うじいえぼくぜん)が味方に付いた、そして稲葉一鉄も味方になった
西美濃衆の中で抜群の3人が織田に寝返ったので、その他の小豪族も相次いで織田方に寝返った。

「よし! 秀吉の働きに乗じて今こそ稲葉山を落とすぞ」
信長も勇気百倍となった、思えば10年かけても落とすことができなかった稲葉山城を落とす絶好のチャンスが訪れたのだ。
信長は即決だ8000の兵で美濃に侵入した、斎藤勢も兵を出して迎え撃ったが兵の士気が違う、先代義龍は君主として尊敬できたが、竜興に臣従できない微妙な家臣が多い

「稲葉、氏家はどうした、なぜ兵を出さぬ、東美濃勢はどうした」
「西美濃は伊賀守(安藤)が止めているとのこと、織田に寝返ったとの噂もあります、東美濃は既に制圧されました、竹中半兵衛も織田方です」
「なんじゃと!裏切った、なぜだ」
「さて・・・」家臣も(あなたのせいだ)とは口には出せない
もはや籠城するしかない、稲葉山城は要塞堅固な山城である、外から攻め落とすことはかなり無理だ
竹中半兵衛の時は油断して城内に入れたからやられてしまったが、外からやってくる敵には大手門を破られない限りは大丈夫だ。

信長は最後の詰めでつまずいたので秀吉に命じて、城下の井ノ口に火を放って焼かせて、裸城にしてしまった。
既に大手門直下の隣山にある二の丸まで占領したが、険しく堅固な本丸から打ちかけてくる鉄砲や弓矢に阻まれてそこから先には進めないでいる
ここで数日足止めされて、信長は苛立ってきた
そんなとき頭に浮かぶのはまたしても木下秀吉であった
「藤吉郎を呼べ! 今すぐにじゃ」

秀吉が墨俣から小六ら数十名を率いてやってきた
「秀吉できるか」信長が仕事内容を言わないのに「できまする」
「よおもとぼけたサル殿よのう」信長が苦笑いした
どんなに信長の機嫌が悪くても、なぜか秀吉には癒される
心地よい、秀吉には全くと言って良いほど小理屈も屁理屈もない、できないこともない、命じた仕事はすべて二つ返事で引き受ける。
「秀吉、あの大手門を何とかしてこじ開けよ」「承知しました」
秀吉は信長の前を辞すると軍団の外に消えて行った。











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