神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

佳境に入って来た連ドラ

2024年02月19日 08時12分48秒 | 映画/ドラマ/アニメ
 連ドラも5話、6話と進んで来て、その良し悪しもはっきりした来た
ここに来て心に響くドラマは「光る君へ」「さよならマエストロ」「春になれば」「おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか」この4本になった。
ここに見てはいないがブロ友のwadaさん推しの「不適切にもほどがある」を加えて最初から見ようと思う

今回の4つはどれも感動的な回であった。
「さよなら」と「おっさん」は内容もそっくりで「あらら」と思った
「さよなら」では別居中の妻が、音楽以外にまったく無神経なマエストロの夫に離婚を突き付けて自分の好きな道をどれだけ犠牲にしてきたかと責めたてる
これに愛想が尽きた息子と娘は家出、夫と妻はもともと別居で家族バラバラ
しかし両親の真を見た子供たちが戻り、妻も家に戻って何年振りかで家族4人が同じ食卓を囲んだ。
「おっさん」でも家族の為に自分がやりたかったことを全て犠牲にしてきた妻がついに爆発、それを理解したバラバラ家族の夫、娘、息子が団結して妻に感謝の形を示す、そして久しぶりに家族4人で食卓を囲む。
あまりにも似た内容でびっくりした。

もともと「おっさん」は近年取り上げられ法制化も進みだした、ジェンダーやハラスメントをテーマにしたドラマ。
原田泰造演じる主人公沖田は会社の室長で若い部下を管理している。
そもそも管理している意識が現代ではハラスメント、私より設定は若い主人公であるが、我々と同じ昭和世代の人間そのもの。
「男だろ」「男のくせに」「お茶を出すのは女の子の仕事だろ」「おれたちが若い時はなあ」「家庭より仕事の方が大事だろ」などを連発
ところが家に帰れば息子は(彼から見て)女装趣味で引きこもりの(情けない)状況、かといって強く言えず、気遣いは人一倍、腫れものに触るよう
娘はバイトで生活しながら趣味の漫画作家に没頭、しかし食えるまではいかずあきらめの境地、昭和男丸出しの父を軽蔑している。
そんな男がだんだん現代の世界に慣れてきて、ハラスメント、ジェンダーに理解を示していていくと言うドラマ。


だが、「男と女問題」「パワハラ、セクハラ問題」よりもっと身近なところに、今までの歴史の中でも本人しかわからない、周りは家族でもわからない問題が隠れていた。
今回は、そこに焦点を当てたのは作者の金星だったと思う。
ジェンダー差別の被害者である息子も、社会の底辺であがく娘も自分は被害者だと思っているが、そんな立場の人間さえ加害者だったと言う回だった。


それは母親の立場、沖田の妻(富田靖子)はいつも笑顔の良妻賢母だ
昼間は弁当屋でパートタイマー、終われば家に帰って家族の食事作り、唯一楽しみはテレビで大ファンの若手グループを見ること。
彼女が作った弁当が賞をもらった、そして家族にも食べてもらおうと張り切って帰宅、作って待っているが夫は帰りに一杯やって帰ってこない、娘も遅い
閉じこもりの息子は毎日一人部屋食で誰も部屋に入れない
ドアの前の廊下に置いた食事はそのままほったらかし、ようやく夫と娘は帰ってきて食卓に着くがおしゃべりに夢中、食べてはいるが料理そっちのけ
妻は「おいしい」の一言をもらいたくて二人の顔を見るが、二人は料理も見ないで口に運んでいるだけ
たまりかねて「どう」と言えば、夫は「うん 冷えているね」と言うだけついに妻はこれまでの我慢が爆発する
そしてようやく妻の陰の力を認識した三人は協力して、妻がファンのグループのコンサートのレアなチケットを贈るために努力する、そしてゲット
その夜、閉じこもりの息子も食卓について何年かぶりに家族全員で夕食を楽しむのだった。


この回の妻の気持ちは、たまに自信作を家族に提供する私も毎回同じ気持ちでいるからよくわかった、心の中で拍手した
と同時に、私や息子は女房殿が作る夕飯に、そういう気持ちでいたか?とも考えさせられた。









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2 コメント

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ドラマ (りんご)
2024-02-19 10:13:00
こんにちは。
私は「光る君へ」「さよならマエストロ」「不適切にもほどがある」を観ています。
「おっさん・・・」は見ていませんけど、奥様の気持ちわかります。
「美味しい」の一言で良いんですよね。
それだけで報われるのに。。と思います。

「ありがとう」も同じですね。
その一言があるとないとでは全然違ってきます。
自分も常に感謝の気持ちを忘れないよう気をつけようと思いました。
気づいていないこと (yottin)
2024-02-19 18:05:03
りんごさま

ハラスメントに注目が行っていますが、こおのように目立たない働きには意外と目が行っていないと思いました。
被害者もまた、いつの間にか知らずに加害者であることに気づかされました。
その点でこの脚本家は立派だと思います
まだまだ気づかない「ありがとう」はたくさんあると思います。
コメントありがとうございます。

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