神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

早朝3時に目が覚めて

2024年10月15日 05時26分48秒 | yottin日記
 しばらく就寝時間が23時過ぎになって来たので、夕べは20時半に寝た
案の定、午前3時に目が覚めて、もう眠れない
時間的には6時間半熟睡したので十分と思うが、どうも夜中の3時では何をやるにも半端すぎる。

風が南の窓を叩いている、夕べは肌寒くてくしゃみも出ていたのに、今は室温が23度あってフェーン現象の臭いがする。

夕べ20時半にベッドに入ったのには2つ理由がある
一つはドジャースの第二戦が朝5時からで、それが見たいがため
いま一つは今日が病院での検査日だからだ、血液検査次第で一つの区切りがやってくる
前回の検査では赤血球、白血球、好中球が標準下限を10%ほど下回っていて2度目の抗がん剤投与延期になった
一回目は3週間延期、今回は2週間の延期にしてもらった、これ以上遅れると11月のスケジュールに支障が出てくる
是が非でも今日は4回目の投与をしたいのである、これで抗がん剤投与は終了となるのだから
その先が、どうなるかはまた未知の領域だ、だけど抗がん剤の縛りから抜けるのは、あらたな活動の可能性が広がるということだ。

いずれにしても平気なように見えて平気ではない、結構心も体も傷んでいる
今まで経験したことがないプレッシャーだったと思う、ただ経験としては未知の領域、病院のシステム、看護師や医師と顔見知りになったことは少し物知りになったようで嬉しくもある
病気の知識もついたし、病院の景色もすっかり飲み込んだ。

しばらく中断していた日記の転記を再開している
今は1997年を転記中だ、そして当時の自分の生活スタイルに驚き、呆れている
時代は、都会ではバブル崩壊、田舎ではバブルの真っ盛り、私の頭の中もバブリーで家庭を振り返ることなくゴルフに飲み会にと精力的に遊び惚けていた
仕事もした、本当に寝る間がない程、仕事もしたし遊び続けてもいた
結婚式場の時は毎週末は朝4時半から夜は23時まで休みなしで板場に閉じこもりっきりで働いていた
仕事が嫌になるほど入って来て、月間残業100時間など珍しくなく、法律を作る政治家も執行する人間も頭の中がバブリーで容認していた時代、仕事の合間に遊び、遊びの合間に仕事をした、その繰り返し人間が人間らしい生活ができない(儲かる)時代だった。

いま日記を転記してみて、(悪い意味で)今の自分を自分がどのようにして作り上げたのか客観的に見ている

日記の転記をした意義があった、残りの人生を有意義にするためにも
足元を見つめて進んで行こう。



ディスコ・クイーン  シルヴィ・バルタン