武田の先陣 大将 小山田備中守討死 小山田左兵衛尉、 栗原左衛門尉 深手を被り 飫冨、 真田 、芦田は 大敗して 退いた
これは 長尾政景の 勇猛なる ゆえである、 まるで鬼神 のようであった 、武田勢は皆 舌を巻いて恐れた。
山本勘助 入道は 旗本の脇備えにいたが、 越後勢の引く様子を見て、 長尾景虎と長尾政景の間に不和があると見抜いた
政景が いかに強いといえども、 戦いの様子を見れば 味方に対する怒りを含み もはや討ち死にすると定めた戦である
彼を討ったとしても 景虎は引き返して助けにくるまいと知り 越前守を討つのは 今であると、 旗本の前備えの馬場民部少輔、甘利左衛門尉、 内藤修理勢に 謀を言い含めて、 山本勘助真っ先に軍を進めた
馬場 、甘利、 内藤 をはじめ、 真田、芦田、相木など 名だたる武田の大将ら わめき叫んで 打ってかかる
真田 一徳斎は一時は敗れて引き上げていたが、甘利、内藤が 敵陣に 攻め かかるのを見て「 我ら 敵に背を見せたが、 今こそ その屈辱を晴らす、後代まで 名を汚すな 返せ 返せ」と 家来に下知すれば、 真田勢は これに励まされ 盛り返す
長尾勢も勇威を振るって 切り結べば 両軍の勢いは天をつき 砂煙を上げて ここ かしこに 戦ったが、 長尾勢は 数度の戦いに疲れ果て 引き上げようとしたところ、 内藤修理正勢が 盛んに 追い上げて 打ち立てれば、 長尾勢向かい討たんとするが中央を敵に突破されて陣形を作ることできず、馬場民部少輔の軍も 矛先を揃えて 打ってかかる、これによって左右に分けられた長尾勢は結集できず
こちらに二百、三百、あちらに五百、六百と分断されて各個撃破の憂き目にあう、 これにさしもの長尾勢も山本勘助入道の計略に悩まされ、討たれる者は 数知れず
長尾越前守 大いに怒り、 「少数の敵の奇計に悩まされたる 見苦しさよ ただ 打ち破って崩せ」と励ましても敵の勢い強く 食い止められる
真田は 長尾勢の色めくのを見て、 まん丸の備えで 大将政景の軍の中へ 一文字に打ってかかり四方八方に 突き立てれば、 長尾政景 必死で 戦ったが 真田の 勢いには敵しがたく 粉のごとく 打ち崩される
ついに 長尾勢は どっと崩れたち 峠を指して引き退くを 武田勢 追い詰めて切所に追い詰めて打てば 長尾勢いよいよ崩れて 深い谷に陥り あるいは 追い詰められ討たれる者多く、 その数は713人 長尾政景が頼みたる 古林、 畑野、 相原 など 二十四人あまりとどまり奮戦して敵を打ち払いながらも討ち死にする
政景は自ら敵十三騎を 切って落とし 切り抜けたわずか二、三騎だけを 連れて 峠を 越えていくところに、 真田の一族 真田兵部 ただ一騎で政景に打ってかかる、 政景は引きながら後ろ側に刀を抜いて切り払うと、 兵部は手の甲を切られ、 力なく退く これに続いて 望月甚八と名乗り、槍を引き絞り 政景を
突かんとするのを 政景は 馬上にて 望月の槍の柄を引きつかみ、 馬に一 鞭打って 走らせれば、 望月は政景の怪力に槍を持ったまま引き立てられ、 馬から落ちて二十間ほど 引きずられて政景が持つ槍を離せば甚八は 勢い余って 谷間へ 転げ落ちた、 かろうじて 命を保ち帰る
かくして長尾政景は峠に立って落ちてくる兵を集め、 桃井、 高松、 大崎、 平賀、 川崎らの諸将とかろうじて 引き上げる 。
この戦は、大将長尾景に見捨てられた長尾政景が、ここを死に場所と定めて鬼神の働きをすれば、三千の将兵も心を合わせて、武田方一万数千を地蔵峠に待ち受けて、逆落としに攻めかかり、ついには武田勢は数百の死者を出して引いた。
これを見た本陣脇の軍師山本勘助入道道鬼は、大将景虎と政景の不和を見抜いて、後詰の無いことを知り、一気に兵を集中して長尾勢を分断して、各個撃破の計を授けて向かわせた
これがうまくいって、ついには奮戦する長尾勢も力尽きて七百有余の兵を失って退却した。
これを考えるに、戦い前に政景は峠か坂の途中に五百ほどの伏兵を左右に分けて置いておけば、追いかけてくる武田の先鋒を壊滅で来たものを、全軍で向かったために余力なく後半の壊滅的敗北となったのだ。
だがこれは政景が大将としての才覚が無いためではない、いかに政景が剛の大将と言えども二度にわたる攻防で味方は疲れ、敵は新手を繰り出せば負けるが必定なり。
景虎が引き返して峠から攻め下れば、此度の戦は越後勢の勝利となったであろう、されども景虎は政景の死を望んだ故、あえて見捨てて須坂へ引き上げた
政景もその心を知る故に、ここを死に場と決めて越後の為の戦ではなく、自らの死に花の為の戦をしたのであった
宇佐美駿河守、古志駿河守、千坂対馬守は景虎に「兵を返して政景を救うべし」と懇願したが景虎はこれを許さなかったのは、武田を打ち破る機会であったのに残念なことである。