昨日、女流小説家「林芙美子」の生涯を描いた昭和37年の映画「放浪記」主演、高峰秀子を見た
若き日の宝田明、小林桂樹、加藤大介、草笛光子、田中絹代、中谷昇、飯田蝶子など豪華キャスト、舞台では森光子が30年近く2017回まで公演したことで有名。
大正末期から昭和初期にかけて芙美子がその生活を(主にカフェーの女給)赤裸々に綴り、それをもとに書いた小説「放浪記」で昭和5年に刊行された。
これで一躍有名人気作家となって、貧乏暮らしにピリオドをうった。
私の祖母も、離婚して貧しすぎる家計を助けるため、一人息子を祖祖母に任せて鬼怒川温泉に住み込みで出稼ぎに行った
どんな仕事をしていたかはわからないが、その前の仕事が旅館の住み込み女中だったから、温泉旅館で仲居をしていたというのが一番だが、カフェの女給の方が稼ぎが良かったので、わが父は「お袋はカフェの女給をしていたかもしれない」と私に言ったことがある。
「放浪記」を見て、カフェの女給で稼ぐ芙美子の姿と、祖母の姿が重なって見えた、祖母は明治34年生まれで、芙美子は36年生まれだから歳も近い
祖母は、ここで東京日本橋兜町(当時は日本橋区三代町)6歳年上の粋で怪しげな自称「株のブローカ―」と知り合って、東京に出て同棲を始める
こうした生きざまも、「いい男」を見ると夢中になってしまう芙美子に似ている気がする。
同棲を始めた翌年には小学五年生だった父も東京に呼び寄せて、御徒町の一軒家で暮らし始めた。
芙美子は1951年に47歳で東京新宿区下落合で亡くなった、祖母は1945年に44歳で東京亀戸で東京大空襲で夫と共に死んだ、遺体は見つかっていない
芙美子は信州に疎開していて空襲からは逃れている。
子供の時から苦労を重ねた姿も芙美子と祖母は似ている
芙美子は子供の頃から母と行商して歩いたが、志あり、文才ありありの才女だったから、尾道に住み着いてからは女学校に入れた。
祖母も、豊かだった家が破産して一家離散、母、祖母と女三人だけで関東を彷徨い、宇都宮で正体不明の男と母が結婚して、古河に落ち着いた
落ち着いたけれども男運に恵まれず貧乏のどん底を味わいつくした
そして最初に書いた通りの人生。
芙美子と違い、祖母は文才などなかった上に、貧乏どん底で学校もどうだったのだろうか?
ただ非常に気の強い人で、きっぱりさっぱりした男勝りだったようだ、そこも芙美子に似ている。
今日、見つけたのだけれど芙美子も、祖母も母親の名前が「キク」というのも同じで、呆れてしまった次第である。
さて、映画を見て林芙美子の人生にも触れたら今度は「放浪記」も読んでみたくなった、こちらは単発だから「ムーミン」を読み終わったら「源氏物語」の前に読んでしまおう。
栗ご飯のおにぎり