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京都旅行2日目 一転「彦根城」へ

2017年09月29日 16時01分10秒 | 旅行 関西・近畿

「明日は8時半に出発しよう」と言ったら、全員が「9時がいい!」

今日は四条大宮のホテルから二条城まで歩いて行きます

歩くのは平気と思いましたが、昨夜も1時間ほど京都の夜散策で歩き

その前日は山道を2時間歩き、そしてまた・・・・・

旅行社は20分くらいですと言ったが、道不案内で35分くらいかかり大幅に時間ロス

しかも今日は雲一つ無く、京都盆地特有の焼ける様な暑さ

汗が流れて、顔からも吹き出し放っておくと目に入って痛い

途中「餃子の**」があった、これについてちょっとエピソード

まだ旅行社担当と打ち合わせしていたとき、この担当者Aくんは入社して初仕事

ここに入る前は学生時代も含めずっと京都暮らしだったと言うことだ

京都で介護の仕事をしていたが、故郷の親の仕事を次ぐために戻ったが仕事が少なく

経験のない旅行社に入社したとのこと

だが京都は詳しい、それで夜の京都でおすすめはと聞いたら「餃子の**」も

一つのおすすめだったので「ああ、社長殺人事件のあれだね」と物騒なことを言ったら

がっかりした声で「ああ~ ここでは**は、その程度の認知度なんですね・・・・・・」

京都では(ソウルフード並みの扱いとか)

 

さてようやく着いた二条城、今回が4回目かな? お決まりの撮影禁止

足が痛くて、そして暑くて二重の苦しみだ、それでも中はひんやりしていて気持ちよく

また平らで木製だからようやく足が楽になった

二条城は城と言っても戦争用ではなく、徳川将軍の京都の別荘御殿といった感じ

主に外交の場であった様だ

急いで見て外に出た、ここからホテル経由で梅小路駐車場までタクシーで行く

ホテルで預けた荷物を受け取り、駐車場へ行き降車しようとしたら厳つい警官がやってきて

「ここで駐車するな!!」と運転手に高圧的に怒鳴った、運転手は下手に出て「すぐに降りますから」というが

「だめだ!もっとずっと前へ行って停まれ」まったく話にならない、目の前にわが家のバスがあるのに、

暑い中遠くから歩けという

後から来た仲間のタクシーも同じように言われて我々の10mほど前まで行ってしまった

私のタクシーは叱られたところから5m位で停まった「大丈夫ですか?」と言ったら、「いいですよ無視無視

急いで降りましょう」と強引に停車、警官がこっちにむかいかけたら3台目がやってきて、そっちへ行った

「世界の観光都市京都なのに・・・・これじゃ」聞こえる様に言ったが気にも留めない

確かに暑い中での孤独な仕事、苛つくのも無理ないか

なんとかバスに乗り、今度は近くの東寺観光だ。 一泊駐車4000円(11時乗車)

またまた私の出番、若い連中はまったく都市の中を走る気が無い、また走らせたくも無い

京都市内を走って見て昨日から感じていたことが3つある

1は意外に一方通行が無い、神戸や新潟市などではこれに悩まされた

2は道路の一番左がバス専用なのは、都市では当たり前だが、そのレーンは一般の駐車場と

化していること、また乗降の際にはまことに便利が良い、特に置き場に困るマイクロバスは

3は京都人の最悪の交通マナー、これには驚いたな。 私はマイクロバスで東京、千葉、横浜

新潟、富山、金沢、大坂、神戸、名古屋と都会はほとんど走ったけれど京都は酷い

マイクロで京都市内を走るのは2回目で、前回は少しも感じなかった

堀川通りだったかな?4~5車線の広い通り、右折で待っていて矢印になって発車しようとしたら

まだ対向車線から完全赤信号無視で3台も突っ込んできた

二車線の道路では路駐1台が邪魔をしていて右車線に入るとき、楽々譲ってもらえる車間にも

関わらず(京都以外の町では)、無理矢理(俺の車線だ!)みたいに外側から割り込み追い越しだ

どうやって二車線に3台入ったのか今も謎だ

 

東寺に着いたら反対車線だった、ぐるっと大回りして九条大宮線に出て考えた、南禅寺の豆腐懐石は

時間厳守で11時45分に入らなければならないと念を押されている

果たして何十分で南禅寺に着くんだろうか? そう思ったら東寺観光はパスしかない

初めての東寺はまたしても見送りだ

旅行社の行程表では、東寺の後に青蓮門院門跡観光も入っている、へえ~~無理

東寺から南禅寺まで30分予定だが、だいたいそれで間違いない、なのにどうして

時間が足りない???

どこかで時間が狂っている、そうだ二条城ですでに40分時間が押していた、そこから

狂ってしまったのだ

南禅寺前「順正」で湯豆腐コースの昼食。 

    

 

  

 豆腐がこってりと甘い、やはり違う

ここでも生湯葉が美味しい、このお店は二度目だ、前回は投入のスープの中に

豆腐と鳥肉が入っている湯豆腐だった。

刺身と、天ぷらも出た、結構お腹がいっぱいだ、さて南禅寺見学、誰も門を入ってから動かない

暑さと朝からの歩きでみんなへばっている、それじゃと言うことで「彦根城見学にするか?」

と言ったら全員が「それが良いです」、急いで出発だ、これで帰宅は1時間半遅くなるな・・きっと

 

彦根までまた私の運転は続く、しかし・・・・・・・・・・・・疲れのせいか・・・眠い・・・・・・やばい

ついにパーキングに入って若者と交代「もういやだ! おれは寝る!」

「彦根に入ったらお願いします」などとぶつぶつ言いながら交代したがしらんぷりだ

そのまま彦根城まで運転させた。  

さて問題はまたしても駐車場だ、三年ほど前に観光バスでここに来たときは大型の専用駐車場が

あったので、大手門近くの案内所にいた若い職員に聞いたら、「この近くにはありませんねえ???」

と心細い返事、いろいろ言ったがらちがあかない、運転手だけ残してみんなここで降りた

あとで運転手から聞いたら、どこかのおばちゃんが明快に大型駐車場を教えてくれたそうだ

しかも若造に聞いた場所から100m、石垣を2カド曲がっただけのところだった

ありゃアルバイトだな、観光管理者さん、もっとましなのを配置してください

 

今や「直虎」で注目の彦根城、ところが幕末の井伊直弼、家康配下で彦根城の大名になった虎松こと

井伊直政、そして井伊直虎の関係は意外とわからない人が多い

まあ直虎はなかなか資料も少ない人でいわば伝説の女性(男説もある)

井伊直政は家康が信頼した人物で、家康の四男「松平忠吉」を補佐して戦場を駆け回った

忠吉は直政の娘婿でもある

しかしお互い勇敢で、関ヶ原の戦(1600年)では薩摩の猛将、島津の決死の突撃に正面からあたり

数で劣る島津を追いかけていき、島津軍副将の島津豊久を討ち取った

しかし直政も忠吉も、島津得意の奇襲戦法「退(のき)鉄砲」に当たり負傷した、それが元で二人とも後に

若死にしている。

しかし井伊家は、取り潰し、領地替えが多かった江戸時代を250年間変わらず彦根を守った

これは家康が西の大名の反乱や攻撃に備えて、もっとも信頼が置ける直政に託したのだった

ところが明治維新、徳川四天王で真っ先に官軍に味方したのは井伊家だったという

もっとも徳川御三家さえ、本家の滅亡を見て見ぬ振りして戦わなかったのだから時の流れという物か

 

表門からそこそこの勾配の石段を登って行く、幅は相当広いので歩きやすい

もう良いかな・・と言うところで本丸に到着する

彦根城は今回で4回目くらいだと思う、本丸天守が国宝である

内部は松本城と同様で現代風な手は加えられていない、せいぜい階段の滑り止めと手すりが今風

大坂城、名古屋城、会津若松城などコンクリートの博物館では戦国の世を忍ぶことは出来ないが

彦根城はほぼ垂直な木の階段が、2層にわたって残っており、女性などはスカート厳禁

そうでなくても恐る恐るの上り下りになる

櫓とその石垣は長く美しい、さすが国宝である、時間が無く宝物などを見る余裕は無かったが

大名庭園の玄宮園を見てきた、以前紅葉の時期に一度来たが、又見たくなった

近江八景をイメージした庭園なのだそうだ

関ヶ原の戦いで德川方が勝利し、この地にあった石田三成の居城、佐和山城と18万石の領地を

井伊直政は得たのだ、しかし佐和山城を廃し、彦根城を築城したという。

幕末の徳川幕府を一手に引き受けて活躍したが、強引な手法で多くの志士を殺め、大名を謹慎させたため

水戸浪士に襲撃されて命を落とした、井伊大老(彦根藩主 井伊直弼)の像

さ~て帰りましょ

帰りは福井の尼御前SAで18時夕食、みんなラーメン食ってるけど、福井は越前蕎麦がうまいのだ

おろし蕎麦をさっぱりといただいた。