【毎日新聞特集「湖国の人たち」:オピニオン’10 井上ひろ美さん】
◆県立琵琶湖文化館学芸員・井上ひろ美さん(38)=守山市
◇「文化財守る」第一に 既成枠超え新たな挑戦
滋賀の貴重な文化財を保存、展示してきた県立琵琶湖文化館(大津市打出浜、休館中)が今年、開館50周年を迎えた。しかし、県は昨年12月、財政難や老朽化を理由に現施設の廃止方針を打ち出した。館の機能の重要性は認められたものの、行く末は不透明だ。存在意義や今後について、学芸員の井上ひろ美さん(38)に聞いた。【中本泰代】
--琵琶湖文化館とはどんな施設なのでしょうか。
文化財の流出防止と産業振興を目的に、県庁隣の武徳殿に「産業文化館」が設けられたのが1948年。滋賀会館への移転を経て、61年3月、現在の施設がオープンしました。総合レジャー施設という位置づけで、博物館に加えプールや展望台、植物園、水族館などを備え、当時では珍しい洋食を出すレストランもありました。1階ベランダにはパラソルが立てられたとか。
その後、近代美術館や安土城考古博物館、琵琶湖博物館などが開館するたびに機能を切り離し、琵琶湖文化館は仏教美術に特化していきました。81年には、県内各地の国宝や重要文化財などを一堂に集めた特別展「近江の名宝」展を開催。前例のない企画で、全国の博物館が後に続きました。
この半世紀、琵琶湖文化館は、県内の博物館の「開拓者」でした。仏像などの文化財は信仰の対象でもあり、借りたり展示したりすることは当初は難しかった。そんな中、地道な活動で所有者や地域の理解を得、信頼関係を築いてきました。
--しかし07年10月、県教育長が初めて琵琶湖文化館の存続に言及し、08年4月には休館。以来、どのような活動を?
他の施設での展示▽他館への収蔵品貸し出し▽文化財講座の開催▽調査--など、これまで通り。変わったことは、年20回ほどの展示替えがなくなったことくらいですね。
--博物館が調査するというのは、意外な気がします。
琵琶湖文化館は「文化財の保護」に力点を置いてきました。県教委と一緒に、各地の文化財の調査や修理にあたっています。というのも、滋賀は仏像が多く、大きくて重いため一人では扱えない。協力し合わないと仕事にならないのです。他県では、博物館がここまで保護にかかわることはあまりありません。
地域の寺社の建て替えに伴って仏像を詳細に調べたり、修理の助言をしたり、時には預かることも。守山市の慈眼寺で薬師三尊を修理した際は、仏様の頭部が過去3回も修復され顔つきが変わっていたことが判明しました。こうした成果も過去の積み重ねがあってこそ。文化財を守ってきた所有者や地域の人たちが、日ごろの心配ごとや疑問を気軽に相談できる場であることも、博物館の本来の存在意義だと思います。
--県は「館の機能を継承するため、12年度までに検討を終える」としています。当面は現在の状態が続きますが、今後は?
この2年間は、いろいろなことを見直す期間だったと思います。
例えば、昨秋は安土城考古博物館で「修復」をテーマにした展示を行いました。博物館の「裏話」的な内容ですね。50年の間にできていた「こうでないといけない」という枠を超え、積極的にチャレンジできるようになった、とも言えます。また、館のホームページに再開を願う声が多く寄せられるなど、いろんな人がいろんな立場で館のことを考えてくれていることを改めて知りました。
6~9月には、九州国立博物館(福岡県太宰府市)で50周年記念の展示を予定しています。休館していなければ、これほど多くの収蔵品を一度に公開する機会は考えられなかった。今後も、現状だからこそできることを見つけ、実行していこうと思います。
==============
■提言
◇まずは博物館へ
歴史や美術は、人が「今を生きる」ために生かすことができるものです。住んでいる地域のことや先人の歴史を知ることで、人生の楽しみや仕事に生かせるいろんな知識や技術を会得できる。博物館はその材料を提供します。まずは博物館に行ってみてください、意外に面白そうなことをやっていますよ。
==============
■人物略歴
◇いのうえ・ひろみ
1971年、栗東市生まれ。栗東歴史民俗博物館資料調査員、永源寺町史編さんなどを経て、05年から県立琵琶湖文化館学芸員に。担当は書跡、典籍、工芸。
【関連ニュース番号:1004/100、4月13日;1004/43、4月6日;1002/204、2月25日など】
(4月17日付け毎日新聞・電子版)
http://mainichi.jp/area/shiga/news/20100417ddlk25040425000c.html
◆県立琵琶湖文化館学芸員・井上ひろ美さん(38)=守山市
◇「文化財守る」第一に 既成枠超え新たな挑戦
滋賀の貴重な文化財を保存、展示してきた県立琵琶湖文化館(大津市打出浜、休館中)が今年、開館50周年を迎えた。しかし、県は昨年12月、財政難や老朽化を理由に現施設の廃止方針を打ち出した。館の機能の重要性は認められたものの、行く末は不透明だ。存在意義や今後について、学芸員の井上ひろ美さん(38)に聞いた。【中本泰代】
--琵琶湖文化館とはどんな施設なのでしょうか。
文化財の流出防止と産業振興を目的に、県庁隣の武徳殿に「産業文化館」が設けられたのが1948年。滋賀会館への移転を経て、61年3月、現在の施設がオープンしました。総合レジャー施設という位置づけで、博物館に加えプールや展望台、植物園、水族館などを備え、当時では珍しい洋食を出すレストランもありました。1階ベランダにはパラソルが立てられたとか。
その後、近代美術館や安土城考古博物館、琵琶湖博物館などが開館するたびに機能を切り離し、琵琶湖文化館は仏教美術に特化していきました。81年には、県内各地の国宝や重要文化財などを一堂に集めた特別展「近江の名宝」展を開催。前例のない企画で、全国の博物館が後に続きました。
この半世紀、琵琶湖文化館は、県内の博物館の「開拓者」でした。仏像などの文化財は信仰の対象でもあり、借りたり展示したりすることは当初は難しかった。そんな中、地道な活動で所有者や地域の理解を得、信頼関係を築いてきました。
--しかし07年10月、県教育長が初めて琵琶湖文化館の存続に言及し、08年4月には休館。以来、どのような活動を?
他の施設での展示▽他館への収蔵品貸し出し▽文化財講座の開催▽調査--など、これまで通り。変わったことは、年20回ほどの展示替えがなくなったことくらいですね。
--博物館が調査するというのは、意外な気がします。
琵琶湖文化館は「文化財の保護」に力点を置いてきました。県教委と一緒に、各地の文化財の調査や修理にあたっています。というのも、滋賀は仏像が多く、大きくて重いため一人では扱えない。協力し合わないと仕事にならないのです。他県では、博物館がここまで保護にかかわることはあまりありません。
地域の寺社の建て替えに伴って仏像を詳細に調べたり、修理の助言をしたり、時には預かることも。守山市の慈眼寺で薬師三尊を修理した際は、仏様の頭部が過去3回も修復され顔つきが変わっていたことが判明しました。こうした成果も過去の積み重ねがあってこそ。文化財を守ってきた所有者や地域の人たちが、日ごろの心配ごとや疑問を気軽に相談できる場であることも、博物館の本来の存在意義だと思います。
--県は「館の機能を継承するため、12年度までに検討を終える」としています。当面は現在の状態が続きますが、今後は?
この2年間は、いろいろなことを見直す期間だったと思います。
例えば、昨秋は安土城考古博物館で「修復」をテーマにした展示を行いました。博物館の「裏話」的な内容ですね。50年の間にできていた「こうでないといけない」という枠を超え、積極的にチャレンジできるようになった、とも言えます。また、館のホームページに再開を願う声が多く寄せられるなど、いろんな人がいろんな立場で館のことを考えてくれていることを改めて知りました。
6~9月には、九州国立博物館(福岡県太宰府市)で50周年記念の展示を予定しています。休館していなければ、これほど多くの収蔵品を一度に公開する機会は考えられなかった。今後も、現状だからこそできることを見つけ、実行していこうと思います。
==============
■提言
◇まずは博物館へ
歴史や美術は、人が「今を生きる」ために生かすことができるものです。住んでいる地域のことや先人の歴史を知ることで、人生の楽しみや仕事に生かせるいろんな知識や技術を会得できる。博物館はその材料を提供します。まずは博物館に行ってみてください、意外に面白そうなことをやっていますよ。
==============
■人物略歴
◇いのうえ・ひろみ
1971年、栗東市生まれ。栗東歴史民俗博物館資料調査員、永源寺町史編さんなどを経て、05年から県立琵琶湖文化館学芸員に。担当は書跡、典籍、工芸。
【関連ニュース番号:1004/100、4月13日;1004/43、4月6日;1002/204、2月25日など】
(4月17日付け毎日新聞・電子版)
http://mainichi.jp/area/shiga/news/20100417ddlk25040425000c.html