自分は真っ直ぐに人生を歩んでいても、自分で道を外してしまうかもしれないし、誰かによって歪められてしまうかもしれない。
それは人や社会と関われば関わるほど、自分が何かをしようとすればするほど、その可能性は高くなる。
だからといって、何もしないで生きていくことはできない。
放火、殺人、事故、災害、そんな状況をニュースでたくさん取り上げられているのに、自分の身に起こるかもしれないと真剣に考える人は少ない。
公道に出れば、交通事故に遭うかもしれない
酔っぱらって暗い夜道を歩いていれば、ひったくりやおやじ狩りに遭うかもしれない
何か行動すれば、自分の思いとは違う不幸なことになるかもしれない
こんなことを考えながら過ごしている私っておかしいのかしら?
でも、何のリスクも考えずに行動する人って、いざそういう時になると、自分の過失を考えもせず、○○が悪いなどと人のせいにする。
いくつかの質問サイトを見ていても、ちょっと考えたら分かることなのに…と思うことが増えた。
そして、本当に大切なことは何かを考えず、目先のことにこだわりすぎている。
例えば、インフルエンザの予防接種を受けたら調子が悪くなったというご近所さんの話を聞いて、自分もそうなったら嫌だからという理由で、インフルエンザの予防接種をうけなかった人がいた。そしてその年、インフルエンザに罹患し、肺炎になって寝込んで苦しんだ。
こうなることを覚悟をして予防接種を受けなかったのなら納得がいくが、そうではない。
あの人があんなことをいったから…と人のせいにする。
何のためにインフルエンザの予防接種をするのか、意味を考えていないように思う。
マンモグラフィー検診をした時、胸を挟まれ激痛だったから、もう絶対に嫌だという人がいた。
痛いという事が重要なのではない。これも検診の意味をしっかり考えていない。
もし痛くても、がんが発見されていたら痛かったけど受けてよかったと思うだろう。
情報が氾濫し、本当に大切なことを自分で考える力が衰えてきていると思う。
人間にも本来、動物的な危険を察知する第六感のようなものがあったと思うが、自分で考えることが減り、第六感も働かなくなったように思う。
そして、相手の気持ちを察することができない人も増えた。
というより、自分よがりの気持ちの察し方をするのだ。
だからといって、それに腹を立てることも少なくなったが、年配の方が何も考えずに行動されているのをみるとちょっと…と思ってしまいます。
それは人や社会と関われば関わるほど、自分が何かをしようとすればするほど、その可能性は高くなる。
だからといって、何もしないで生きていくことはできない。
放火、殺人、事故、災害、そんな状況をニュースでたくさん取り上げられているのに、自分の身に起こるかもしれないと真剣に考える人は少ない。
公道に出れば、交通事故に遭うかもしれない
酔っぱらって暗い夜道を歩いていれば、ひったくりやおやじ狩りに遭うかもしれない
何か行動すれば、自分の思いとは違う不幸なことになるかもしれない
こんなことを考えながら過ごしている私っておかしいのかしら?
でも、何のリスクも考えずに行動する人って、いざそういう時になると、自分の過失を考えもせず、○○が悪いなどと人のせいにする。
いくつかの質問サイトを見ていても、ちょっと考えたら分かることなのに…と思うことが増えた。
そして、本当に大切なことは何かを考えず、目先のことにこだわりすぎている。
例えば、インフルエンザの予防接種を受けたら調子が悪くなったというご近所さんの話を聞いて、自分もそうなったら嫌だからという理由で、インフルエンザの予防接種をうけなかった人がいた。そしてその年、インフルエンザに罹患し、肺炎になって寝込んで苦しんだ。
こうなることを覚悟をして予防接種を受けなかったのなら納得がいくが、そうではない。
あの人があんなことをいったから…と人のせいにする。
何のためにインフルエンザの予防接種をするのか、意味を考えていないように思う。
マンモグラフィー検診をした時、胸を挟まれ激痛だったから、もう絶対に嫌だという人がいた。
痛いという事が重要なのではない。これも検診の意味をしっかり考えていない。
もし痛くても、がんが発見されていたら痛かったけど受けてよかったと思うだろう。
情報が氾濫し、本当に大切なことを自分で考える力が衰えてきていると思う。
人間にも本来、動物的な危険を察知する第六感のようなものがあったと思うが、自分で考えることが減り、第六感も働かなくなったように思う。
そして、相手の気持ちを察することができない人も増えた。
というより、自分よがりの気持ちの察し方をするのだ。
だからといって、それに腹を立てることも少なくなったが、年配の方が何も考えずに行動されているのをみるとちょっと…と思ってしまいます。