こんにちは いけや正の 晴れ時々スケッチ  

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9年前の3・11東日本大震災 その時 私は

2020年03月12日 | 日記
 東日本大震災から9年。
私はその時、現職最後の3月学期末を勤務先の学校で迎えていた。
都内の足立区にある特別支援学校に勤務中。
 子どもたちが下校した後、学年の先生たちと2階の教室で会議をしていた2時46分。
いきなり大きな揺れ。2階の教室から外を見るとプールの水が大きく波打っていた。
低学年の先生たちは一斉に教室から中庭に飛び出していた。
揺れがどれどれくらい続いていたか記憶は定かではない。
 すぐに3階の教室にいる中学部の子どもたちのことに気が付き、2階のベランダから
「3階の子どもたちの所へ!」と低学年の先生たちに呼び掛け、私もすぐに階段を駆け上がった。
帰り支度をしていた中学部の生徒たちは机の下に潜り込んで揺れに怯えていた。
大小の揺れが何度も押し寄せる中、子どもたちとプレイルームに避難。
 保護者の迎えを夕方まで待ちながら、テレビに映し出される東北沿岸に押し寄せる巨大な津波に息をのんだ。
「こんなことがあるのか」と現実とは思えない映像に釘付けに。
同僚の教職員20名近くが学校に泊まり込んだ。交通機関はすべてストップ。
私は、夜遅く、自転車で帰宅。自宅の被害はほとんどなく一安心。
 翌朝、車で学校へ。どうしても帰宅を希望する同僚教員3人を載せて千葉県、茨城県へ。
水戸街道沿いをブレザーと革靴、仕事着姿でひたすら歩く人々の群れを目にする。
この先どうなるのか、という漠然とした不安が胸を過る。

震災一ヶ月後、支援に出かけた宮城県松島町野蒜小学校の一階の職員室内。
天井近くの津波の後が生々しい。